13.一方その頃、学園ではⅢ
翌朝、教室には普段と変わらず生徒たちが集まり、間もなく始まる朝礼を待ちながら思い思いに言葉を交わしていた。
セイカが療養のため学園を離れてからも、彼女を巡る噂が消えたわけではない。ロザリアを打ったという話に加え、階段から突き落とされた件まで重なったことで、むしろ以前より話題に上ることが増えていた。
やがてフェルナンが教室へと入ってくると、それまで騒がしかった生徒たちも次第に口を閉ざし、それぞれの席へと戻っていった。
ここ最近のフェルナンは、以前に比べてやけに口数が少ない。必要な連絡こそ普段通りに行っているものの、それ以外の言葉をほとんど口にしなくなり、時折何かを考え込むように黙り込んでいる姿も見られた。
セイカが階段から突き落とされ、そのまま療養のため学園を離れた時期と重なっていることを考えれば、少なくとも無関係ではないのだろう。
「先生、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
いつもなら、そのまま朝礼が始まるところだったものの、マイルが声を掛けたところでフェルナンが顔を上げた。
席を立った彼女は緊張しているのか、身体の前で重ねた両手に僅かに力を込めていた。その表情から単なる連絡ではないと察したのだろう。フェルナンは一度教室内を見回した後、短く頷いた。
「……少しだけなら。どうぞ」
「ありがとうございます」
教壇を譲られたマイルが、その前へと進み出る。
突然のことに何人かの生徒が顔を見合わせたが、マイルは直ぐには話し始めなかった。教室に集まった者たちを見渡し、最後に一度だけロザリアの方へと視線を向けてから、意を決したように口を開く。
「皆様に、お話ししなければならないことがあります」
「朝から何ですの?」
「マイル嬢が?」
「できれば早くしていただきたいですわ」
あちこちから小さな声が上がった。何事かと興味を示す者がいる一方で、マイルの様子から単なる世間話ではないと察したのか、何も言わずに続きを待っている者もいる。
それらの声が収まるのを待ってから、マイルはもう一度息を整えた。
「セイカ様がロザリア様を打ったという噂は、事実ではありません」
その一言で、教室の空気が変わった。それまで腕を組んで話を聞いていたロザリアも、僅かに眉を寄せている。
何を言い出すつもりなのかと探るような視線がマイルへ向けられた。それに気づいたマイルは一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、やがて覚悟を決めるようにロザリアを見返した。
「ロザリア様を打ったのは――私です」
途端に、教室中にどよめきが広がった。
では何故、ロザリアはセイカに打たれたなどと話したのか。どうしてマイルはこれまで黙っていたのか。何故セイカがいなくなった今になって話し始めたのか。
先ほどまで抑えられていた声が一斉に溢れ、瞬く間に教室が騒がしくなった。
だが、最も大きな反応を見せたのはロザリアだった。マイルを見据えていた目が大きく見開かれ、僅かに唇が開いている。
「それは誠ですか?」
傍らで話を聞いていたフェルナンが先ほどまでより低い声で尋ねると、マイルは一瞬だけ俯いた。
「……はい」
それでも、すぐに顔を上げる。
「すべて私がやりました。ロザリア様を打ったことも、セイカ様を階段から突き落としたのも――」
「もういいわ、マイル」
その声が響いた瞬間、教室中のざわめきが途切れた。
声を上げたのは――ロザリアだった。先ほどまでの驚いた表情は消え、いつものように背筋を伸ばしたまま真っ直ぐマイルを見据えている。
「その先は、貴女が話すことではないわ」
「ロザリア様……」
ロザリアは席を立つと、そのまま教壇へと向かった。すれ違いざまにマイルに視線を向け、周囲には聞こえないほどの声で告げる。
「貴女は席に戻りなさい」
「ですが――」
「戻りなさい」
有無を言わせない声だったものの、それでもマイルは動かなかった。何かを言いたげにロザリアを見つめたまま、その場から離れようとはしなかったのである。
ロザリアもそれ以上は言わず、マイルを背後に残したまま教壇の前へと立った。
生徒たちの視線が一斉に集まった。
「マイルがお騒がせしたわね。この先は私が話します」
いつもと変わらぬ堂々とした口調だった。
「先ほど彼女が述べたことはお気になさらず。彼女の戯言ですので」
「ロザリア様……」
背後から聞こえたマイルの声を無視し、ロザリアは教室を見渡した。
「まず此度の件ですが、すべて私が仕組んだことであり、セイカさんは一切関係ございませんわ」
再び教室が騒然となった。その中で、ルードルフも僅かに眉を動かした。
今ロザリアが語ろうとしている内容そのものは昨日マイルから聞かされたものと変わらない。驚いたのは、罪を被ろうとしたマイルをロザリア自身が止めたことだった。
マイルがすべて自分の仕業だと申し出れば、少なくともロザリアは自らの関与を隠したままでいられた筈である。それを利用するどころか、自ら遮ったのだ。
(……これは、少し予想外ですね)
ルードルフは口を挟むことなく、そのまま続きを待った。
「お静かに」
ロザリアが告げると、ざわめきが次第に収まっていった。全員の視線が再び自分に向いたのを確認してから、ロザリアは淡々と続けた。
「私がベルさんに私の頬を打つよう命じ、それをセイカさんの仕業に見せかけました。そしてその後、私を打ったことを理由にベルさんを脅し、今度はセイカさんを階段から突き落とすよう命じたのです」
噂として広まっていた話が嘘だっただけではない。その嘘そのものがロザリアによって意図的に作られ、さらに階段の一件にまで繋がっていたと本人の口から明かされたのである。
誰も直ぐには言葉を発せなかった。
「……何故、そのようなことを」
沈黙を破ったのはフェルナンだった。表情を強張らせ、教壇の前に立つロザリアに低い声で問い掛けている。
だが、ロザリアはそんな視線を向けられても動じなかった。
「単純な話ですわ」
むしろ、何でもないことを話すように答える。
「――セイカさんが気に入らなかったから。それだけです」
「……それだけ?」
「ええ。ですから、いっそ学園に来られなくしてしまえばいいのではないかと思いましたの。結果的に療養のため学園を離れることになったのですから、強ち失敗とも言えませんわね」
「ロザリア様……!」
背後でマイルが思わず声を上げた。
しかし、ロザリアは振り返らない。
何の弁解もせず、悪びれた様子すら見せない彼女に生徒たちは言葉を失っていた。中には信じられないものを見るような目を向ける者もいれば、露骨に顔を強張らせる者もいる。フェルナンに至っては、先ほどまで以上に険しい表情でロザリアを見据えていた。
それでもロザリアは怯むことなく、むしろ鼻で笑うように口元を僅かに歪めた。
「学園の秩序を乱す恐れのある危険因子を、このまま放置しておくわけにはいきませんわよね?」
まるで自分から逃げ道を塞いでいくような言葉だったものの、その真意を窺わせるものは表情にも声にも何一つ現れていない。
「……ロザリア・モネスト嬢」
フェルナンが彼女の名を呼んだ。感情を押し殺しているのが分かるほど低い声だった。
「詳しい事情を伺います。朝礼が終わり次第、教員室に来てください」
「ええ、構いませんわ」
あっさりと答えると、ロザリアはそれ以上何も言わなかった。
これまでは噂ばかりが先行し、当事者から正式な申し出もない以上、教師側も事実として扱うことができなかった。しかし今、ロザリア本人が大勢の生徒を前に、一連の行為を自ら認めたのである。
もはや噂として放置できる段階ではなかった。
「マイル、戻りますわよ」
「……はい」
ロザリアが教壇を離れると、今度はマイルも逆らわなかった。
二人が席へと戻ってから朝礼は再開されたものの、普段なら何かしら声の上がる教室が、この日に限っては異様なほど静まり返っていた。
その空気の中でもロザリアだけは何事もなかったかのように前を向いていて、それがより一層異様さを増していた。
やがて朝礼が終わると、フェルナンは出席簿を閉じてロザリアへと視線を向けた。
「ロザリア・モネスト嬢。来てください」
「分かりましたわ」
ロザリアが席を立つと、その背後でマイルも反射的に立ち上がりかけた。
「貴女は来なくて結構よ」
「ですが、私も――」
「必要ありませんわ」
ロザリアは一度だけ振り返りそれだけを告げると、もうマイルを見ることなく歩き出す。
教室中から向けられる視線にも、後ろに残されたマイルの表情にも目を向けず、いつもと変わらぬ堂々とした足取りでフェルナンの後を追っていた。
そして二人が教室を出ていくまで、誰一人として口を開く者はいなかったのだった。
次回はロザリア視点です。




