11.芽生えた想いは(リリス)
セイカとリリスが初めて出会ったのは、王都の路地裏だった。
その日、リリスは頼まれていた仕事を片付けた帰りだった。特に問題が起きることもなく用件を済ませ、あとは帰るだけ――その筈だったのだが、建物の屋根を伝って移動していた途中、眼下の通りに妙なものを見つけて足を止めた。
一人の少女が、騎士らしき男から必死に逃げていたのだ。
この一帯の治安維持を担っているのは基本的に衛兵であり、騎士が市井の人間を追い回すようなことは滅多にない。身なりからしても少女が罪人とは思えず、それならば後ろから追っている男は彼女に仕える護衛か何かなのだろう。
だとすれば、少女は貴族か、少なくともそれに準ずる資産家の娘ということになる。
(何で逃げてるんだろ)
仕事を終えた以上、リリスには何の関係もない。放っておいて帰ればいいだけなのだが、そう思いながらも足は止まったままだった。
少女は人混みを掻き分けるようにして逃げ、その後ろを体格のいい騎士が追っている。どうやら逃走の途中で荷物でも押しつけられたらしく騎士の動きは鈍い。それでも身体能力の差までは埋められず、懸命に逃げる少女との距離は少しずつ縮まっていた。
その様子が妙におかしくて、リリスは屋根の上から後を追った。
果たして捕まるのか、それとも最後まで逃げ切るのか。そんなことを考えながら眺めているうちに、いつの間にか少女は追跡を振り切ったつもりになったらしく、僅かに速度を緩めて安堵した様子を見せていた。
しかし、実際には撒けていない。
もう少し進めば人混みも途切れる。そうなれば、今度こそ逃げ場はなくなるだろう。少女自身もそれに気付いたのか、先ほどまで前だけを見て走っていたというのに、今度は逃げ込めそうな場所を探すように忙しなく辺りを見回し始めた。
どうするつもりなのだろうと暫く眺めていたリリスだったが、やがて僅かに考えた末に、少女の進行方向にある建物の隙間へと屋根から飛び降りた。
人が一人入ってもまだ余裕のある狭い空間に身を潜め、程なくして少女が近くまでやって来たところで、隙間から腕を伸ばしてその手首を掴む。
「――っ!?」
驚く暇すら与えず、そのまま路地へと引き込んだ。
勢いのまま倒れれば怪我をするかもしれないから、自分が下になるよう身体を入れ替えて抱き留めた。少女が胸元へと倒れ込んできた拍子に頭を覆っていたものが僅かにずれ、黒に近い青色の髪が覗いた。
(やっぱり変装してたんだ)
青い髪自体は珍しくもないが、わざわざ髪まで隠して街を歩き、その上で騎士から逃げていたとなれば、やはり普通の平民ではなさそうだった。
もっとも、少女にとってそんなことはどうでもよかったらしい。見ず知らずの人間に突然路地裏へと引きずり込まれたのだから当然だが、状況を理解するなりリリスの腕から逃れようと激しく身体を捻っていた。
だが、追ってきた騎士の足音はまだ近い。
「静かに」
暴れる身体を片腕で押さえ込み、もう一方の手で口を覆いながら小声で告げると少女も漸く状況を思い出したらしく、先ほどまでの抵抗が嘘だったかのように動きを止めて息を潜めた。
やがて騎士の足音が少しずつ遠ざかっていく。十分に離れたことを確かめてから押さえていた力を緩め、口を覆っていた手を離したところで少女がこちらを見上げ、リリスと目が合った。
未だ警戒を露わにしたその顔を見ているうちに、少しくらい揶揄ってみてもいいだろうと、口元には自然と無邪気な笑みが浮かんでいた。
「こんにちは」
あまりにも場違いな挨拶だったからか、少女は一瞬呆気に取られた。
しかし、直ぐに我へと返ると再び腕の中から抜け出そうとする。まだ騎士は完全に離れていないと教えてやれば、渋々ながら抵抗をやめて身体を預けてきた。
暫く待ち、追ってきた騎士がこちらとは反対の方向に向いたのを確認したところでリリスは漸く立ち上がった。そのまま少女の手を引いて路地を走り抜ける。
仕事を終えて帰るだけだった筈なのに、気付けば見ず知らずの少女の逃走劇に巻き込まれている。まるで子供の遊びにでも付き合っているようで、これはこれで悪くなかった。
もっとも、そんな時間も長くは続かなかった。体力の差は歴然としていた為かやがて少女の足取りが鈍くなり、追っ手から十分に離れたところでリリスは足を止めた。
「……貴方は誰なの?」
息を整えながら尋ねられ、リリスは改めて少女を見た。
「気になる?」
悪戯を仕掛けるように問い返せば、少女は眉を寄せて「気になるに決まってる」と返してくる。
その反応が面白くて、もう少しだけ巫山戯てみることにしたのだ。
「それなら、当ててみてよ」
さすがに付き合いきれないと思ったのか、少女はまともに答えようともせず、助けてもらったことへの礼だけを告げて立ち去ろうとした。
「リリス」
頃合いか――そう思ったリリスが背中に向けて名を告げると、少女の足が止まった。どんな反応をするのだろうと思いながら続きを口にする。
「リリス・ティーザー。それが僕の名前」
案の定、ティーザー侯爵家の名は知っていたらしい。
僅かに緊張した様子は見せたものの、それだけだった。口調こそ先ほどより丁寧になったが、態度を露骨に変えることもなければ、それまでの非礼を慌てて詫びることもなく、今度は何故あの場所にいたのかと尋ねてきたのだ。
「内緒」
あっさり答えると、少女は小さく息を吐いた。
最初から教えるつもりなどなかった。それでも少しくらい期待させておくのも面白い。
「また会うことがあったら、話し掛けてよ。その時は、教えてあげるかもしれない」
そう告げて魔術で屋根へと移動すると、少女は何が起きたのか分からなかったらしく、辺りをきょろきょろと見回し始めた。
その姿を屋根の上から眺めて満足したリリスは、今度こそ帰路に就いたのだ。
そこで漸く、リリスは重要なことに気付いた。
「……あれ?」
―――ない。
仕事を終えた際に持って行った筈のものが、どこにも見当たらなかった。
普段ならば回収した時点で失くさない場所へと仕舞うのだが、今日は少女の逃走劇に気を取られたまま、うっかりポケットに入れていたらしい。
相手に知られれば間違いなく問い詰められる。それも、落としただけならまだしも誰かの手に渡ったとなれば話は別であり、流石のリリスもそうなるのは面倒に思えたのだ。
直ぐに来た道を戻り、落とした可能性の高い路地まで探したものの目的のものは結局見つからなかった。
そこでふと、去り際に視界の端に映った光景を思い出した。あの少女が、地面にしゃがみ込んでいたことに。
(……拾った?)
可能性は高い。そうなれば、何としてでも取り戻さなければならない。
その日のうちに少女の素性を探り始めたリリスは、各家の令嬢の特徴や予定まで漁ったものの、なかなか該当する人物を見つけられなかった。
だが、答えは意外にも早く向こうから現れた。王族主催のパーティーで例の少女を見つけたのだ。
―――セイカ・ゴルダール。
最近になってゴルダール伯爵家に迎えられた養女であり、その存在についてはリリスも噂程度なら耳にしていた。ただ、路地裏で出会った少女と結び付けて考えたことがなかっただけだった。
だが相手が分かった以上後は早く、その夜リリスはゴルダール邸を訪れた。
もちろん正面からではない。セイカと言葉を交わしたのは路地裏での一度きりであり、まして夜分遅くに侯爵家の人間が突然訪ねて入れてもらえるような関係でもないからだ。
そもそも事情を説明するつもりすらなかったリリスは目的の部屋を探し当てると、何事もないように窓を開けて中へと侵入したのだ。
部屋の主が眠っていることを確認し、まず目についた鞄へと手を伸ばす――その時だった。
「……ん……」
小さな声が聞こえ、リリスの手が止まった。
セイカが目を覚ましたのだ。とはいえ、まだ寝惚けている。直ぐに眠り直すだろうと判断して、部屋の隅に身を潜めて息を殺した。
ところが予想に反してセイカは起き上がった。開いていた窓に気付いたのか閉めに行って、それから何か違和感でも覚えたように部屋を見回した。
「……誰か、いる?」
静かな部屋に、そんな声が響いた。
勿論答えず、暗がりから背中を見つめながら、このまま再び眠るまで待つか、それとも今のうちに目的を果たすかと考え、僅かな逡巡の末リリスは音もなくセイカの背後へと踏み込んだのだ。
「――っ」
首筋に刃を当てる。漸く完全に目が覚めたらしいセイカの身体が強張ったところで、耳元へと顔を寄せた。
「これが見えない?」
息を呑む音がして、先ほどまで誰かの存在を確かめようとしていた少女が今度こそ動きを止めた。
当然だろう。どれほど気丈に振る舞おうと、刃を首に突きつけられれば恐怖する。結局この少女も他の人間と変わらないのだと理解し、リリスは覆面の下で満足そうに笑った。
必死に呼吸を整え、怯えていることを悟らせまいとしている様子も小動物が懸命に威嚇しているようで可笑しく、その虚勢がいつまで続くのかリリスは少し見てみたくなった。
「ねえ……街で、何を知ったの?」
耳元で囁きながら、首筋に当てた刃を僅かに押しつけると、途端にセイカの身体が一層強張った。
「もう一度聞くよ」
もう少し怖がらせてみよう。そう思い声から感情を消して、先ほどより低く問い掛けてみた。
「何を知った?」
握る手に力を加えると鋭い刃先が僅かに皮膚へ食い込み、セイカの身体が震えた。冷や汗まで浮かび始め、直ぐには言葉も出てこないらしい。
(……やっぱり、同じか)
ほんの少しだけ期待外れだった。
小さく息を吐き、脅すことにも飽きてきたリリスは、首へと押し当てていたナイフを僅かに離した。ただし、逃げられるほど距離を取らないように。
漸く大きく息を吸ったセイカを眺めながら、そろそろ望んでいる答えを返してくれないものかと待っていると、やがて震えを押し込めるような小さな声が聞こえた。
「……知りません」
「うん?」
思わず、緊張感の抜けた声が出た。
聞き間違いかと思った。あれだけ怯えていたのに、何も知らないと言う。そんな筈はない。少なくとも路地裏で魔石型の魔術具を拾ったことくらいは分かっている筈だと。
しかしセイカは一度喉を鳴らした後、今度は先ほどよりもはっきりと言ったのだ。
「私は……何も知りません」
先ほどまで震えていたのが嘘のように真っ直ぐだった。
リリスはほんの僅かに動きを止めた。ただの令嬢、それも元は平民だった少女が、首へ刃物を突きつけられたまま何故そこまで明確に言い切れるのだろうと。
ほんの一瞬だけ生じた疑問が、ナイフを握る腕から僅かに力を抜かせ、セイカはその瞬間を見逃さなかった。
「――っ!」
腕を外側に思い切り払いのけ、その拍子にナイフの刃が首筋を掠めたにも関わらず構うことなくセイカは全体重をかけて抵抗してきたのだ。
予想外の力に指からナイフが抜け落ち、床へと乾いた音を立てて転がった。覆面の下で目を見開いたリリスは、直ぐには動かなかった。
(……へえ)
逃げるのか。それとも、こちらへと向かってくるのか。
次は何をするのだろう。そんな好奇心のまま見ていると、セイカは大きく息を吸った。
「きゃあああああっ!誰か!誰か来て!」
「アハッ」
思わず笑い声が漏れた。
成る程。自分一人では敵わないと分かっているから人を呼ぶことにしたらしい。遠くから慌ただしい足音が近づいてくる。
今夜は助かったとしても、その先のことまで考えているようには見えない。それでも目の前の危機から逃れる為に迷わず声を上げたらしい。
―――やはり、少し面白い。
「いいよ。君がそういうつもりなら、その思惑に乗ってあげる」
セイカを一瞥して、リリスは入ってきた窓を再び開いた。
「今日のところは、もう帰るね。バイバイ」
結局、目的のものは回収できなかった。それなのに不思議と気分は悪くなく、むしろ思いがけず面白いものを見つけたような気さえしていた。
魔具の回収なら後でもいい。期限までに取り戻しさえすれば相手も文句はないだろう。
そう考えていたリリスだったが、後日、落としたものは誰にも拾われていないという体で報告したところ、相手は僅かに眉を顰めただけでそれ以上追及してこなかった。
代わりに告げられたのは予想外の言葉だ。
「セイカ・ゴルダールという少女について調べてください」
何という偶然だろうと、リリスは僅かに目を瞬かせた。
自分から彼女について深く調べるつもりはなかった。それなのに今度は仕事として調べることになったのだ。
「いいけど。また弟関係?」
問い返してみたものの、相手――ルードルフは微笑むだけで答えなかった。
十中八九、アーノルドとセイカの間に何かあったのだろう。
普段なら「自分で調べればいいのに」と皮肉の一つでも言うところだったが先日の失態もあり、今回ばかりは余計なことを言わず素直に引き受けることにした。
「頼みましたよ」
「はいはい」
面倒そうに返しながらも、リリスの口元は僅かに上がっていた。
ところが実際に調べてみると、セイカ・ゴルダールという少女は別の意味でも興味深い存在だった。
経歴が、驚くほど見つからないのだ。
ゴルダール家へ養女として迎えられた記録は残っている。それ以前は平民だったという話もあるため足取りを遡ってみたものの、養女として登録される際に通常ならば取り纏められるはずの記録すら見当たらず、以前の名前も、何処でどのような生活を送っていたのかも分からない。
そのことを報告すると、ルードルフも多少なりとも引っ掛かるものがあったらしく、程なくして今度は別の調査を頼まれた。
―――闇属性を持つ少女について。
確か、貴族の令嬢を害そうとして捕らえられ、生涯幽閉を言い渡された少女だった筈だ。
何の理由もなくルードルフがそんな調査を命じるとは考えづらく、セイカとの間に何らかの繋がりを疑っているのだろうと思いながらリリスは特に問い返すこともなく調査を始めた。
少女の名はカナデ――ヒイラギ・カナデ。数か月前にギルドに登録した記録があり、調査を重ねれば髪や瞳の色も把握することができた。
ただ、一つだけ妙な点があった――カナデもまた、ギルドに登録する以前の足取りがまるで掴めなかったのだ。
生まれた場所も育った場所も分からず、それ以前から彼女を知っている人間さえ見つからない。まるである日突然この世に現れたかのような経歴の空白は、セイカ・ゴルダールによく似ていた。
平民ならば記録が少ないこと自体は珍しくない。それでも、二人揃ってここまで何も見つからないとなれば話は別だった。
(……これも言う?)
一瞬考えた末に、リリスはカナデについて報告する際、ギルドに登録する以前の足取りが掴めなかったことだけを伏せることにした。
セイカとカナデ。二人の経歴にこれほど似通った空白があると知れば、ルードルフがセイカへの疑いをさらに強めることは間違いなかったからだ。
そして確証まで得れば、あの男がいつまでも彼女を自由にしておく保証はなく、リリスにとって都合が悪かった。
せっかく見つけた面白い相手なのだ。こんなところで簡単に取り上げられては堪らない――だから、ほんの少しだけ情報を隠した。
幸いなことに、入学後はセイカと同じクラスになった。もっとも、それ自体は入学式を迎える前からルードルフに聞かされていて、当日になって驚いたわけではない。
ルードルフ自身も同じクラスであり、本人は何も言わなかったものの何かしら手を回したのだろうとリリスは考えていた。セイカを近くで見極めることと、自分との情報交換を容易にするために。
ならば、自分にとっても都合が良かった。
あの少女がどんな反応をして、今度は何を仕出かしてくれるのか。もう少し近くで眺めていたい。そんな軽い気持ちでリリスは入学式の日、真っ先にセイカに声を掛けたのだ。
それからの日々は、リリスが予想していた以上に面白いものになった。
周囲の目を気にして慌てる姿も、嫌がりながら最後には押し負けて名前で呼んでくるところも、少し揶揄うだけで反応を変えるところも、どれもリリスにとっては面白かった。
何より、セイカの周囲では妙に面倒事が絶えない。
フェルナンとのことも、アーノルドとのことも、ルードルフにまで目を付けられていることもそうだ。巻き込まれているというより、本人が知らず知らずのうちに首を突っ込んでいるように見える時もあったが、リリスにとっては何方でも良かった。
結局のところ、面白いか、そうでないか――リリスが物事に目を向ける理由など、それだけだった。セイカ・ゴルダールという少女は、今のところ間違いなく前者だと思う。
実際、セイカを見ていれば次から次へと何かが起こる。
図書室に頻繁に通っているとルードルフへ報告した時もそうだ。
話を聞くなりルードルフは図書室に足を運ぼうとして、明らかに何か企んでいるのが分かったからリリスも同行すると言い張った。邪魔をしないという条件で許されたものの、最初から律儀に守るつもりなどない。
案の定、ルードルフはセイカの経歴に触れ、やがて闇属性の少女の話まで持ち出した。セイカの反応を見る限り、あと少し追及を続ければルードルフの疑いは確信へ変わっていたかもしれない。
だから、邪魔をした。
あのまま確証まで得られれば、ルードルフが次にどう動くか分からない。少なくとも、それまでと同じようにセイカを自由にさせておくとは限らなかった。
それではつまらない。せっかく傍にいれば飽きずに済む相手を、自分とは関係のないところで失うのは嫌だったのだ。
ルードルフが去った後、セイカが手にしていたパトリシア王国についての本を見つけた時には、もうそこまで調べていたのかと少し驚いた。
図書室を漁ったところでフェルナンの正体に辿り着けるとも思えなかったが、ここまで来たのなら少しくらい揶揄ってみてもいい。
そんな思いつきでパトリシア王国へ行こうと誘ったのだが、まさか本当に向かうことになるとはリリス自身も考えていなかった。
転移用の魔具を私用で使ったことについては、ルードルフに後で怒られたものの大した問題ではない。
実を言えば、帰還用にもきちんと持っていた。
忘れたと嘘をついた方がセイカがどんな顔をするのか気になったから黙っていただけだ。その結果、馬車で帰る羽目にはなったものの、あの時の反応を見る限り嘘をついた甲斐は十分にあったと思っている。
そんな日々が続く中、所用で暫く学園を離れていたリリスが戻ってきた日の放課後、ルードルフからセイカについて二つの噂が広まっていると聞かされた。
一つは、セイカがロザリアを打ったというもの。もう一つは、担任であるフェルナンとただならぬ関係にあるというものだった。
「それ、僕に関係ある?」
噂自体はなかなか面白い。
だが、それを聞かされたところでリリス自身に何かあるわけでもない。翌日学園に行けば嫌でも耳に入るような話を、どうしてわざわざ自分へ伝えるのだろうと思って尋ねてみると、ルードルフから返ってきたのは噂の真偽を調べて欲しいという頼みだった。
何故そこまで知りたがるのかは分からない。
ただ、頼まれた以上は調べればいい。
セイカが理由もなくロザリアを打つ姿は想像しづらかったし、フェルナンとの噂に至っては尚更だった。これまで傍で見てきた限り、セイカが彼に対して特別な感情を抱いているようには到底見えない。
もっとも、ここ最近になって二人の接し方が多少変わっていることには気付いていた。
セイカとフェルナンが二日ほど学園を休んでいた間に何かあったのかもしれないものの、それでも噂で囁かれているような関係ではないだろう。そう考えながら、リリスは頼まれた調査を始めた。
その数日後、朝の教室でフェルナンの口からセイカが階段から落ちて、保健室へと運ばれたことが告げられたのだ。
大きな怪我はないらしいが、まだ意識は戻っていない。その言葉を聞いた瞬間、リリスの表情から僅かな間だけ感情が抜け落ちた。
ただ足を滑らせただけなのかもしれない。だが、もしそうでなかったら。もし、誰かが意図的にセイカを階段から落としたのだとしたら――。
胸の奥に妙なものが生まれたものの、心配とは少し違った。
これまでなら、他人が何をしようと自分に関係がなければどうでもよかった。面白そうなら眺めるし、つまらなければ目を向ける必要すらない。
それなのに、今回はどうにも気に入らなかったのである。
もし今回のことでセイカが変わってしまったらどうする。これまでのような反応を見せなくなったら、次から次へと予想外のことを仕出かしていた彼女から、その面白さが失われてしまったら。
―――それは困る。
せっかく見つけた面白い玩具なのだ。誰とも知らない人間に勝手に傷つけられ、その面白さを損なわれるなど冗談ではない。
普段なら、関係のないことに進んで首を突っ込むような真似はしない。頼まれたのなら兎も角、面白くもないことのためにわざわざ動くなど面倒なだけだ。
けれど、今回ばかりは放っておけない。
セイカは実際に階段から落ち、未だ意識を取り戻していない。それが単なる事故ならばまだいいが、もし誰かが意図して突き落としたのだとすれば、自分の知らない人間が勝手に手を出し、あの少女を傷つけたことになる。
そう考えるだけで、先ほどから胸の奥に燻っている苛立ちが消えるどころか、ますます強くなっていった。
誰が何のためにやったのかなど、今はまだ分からない。だが、このまま何もせずにいるという選択肢だけは不思議と最初から浮かばなかった。
「……面白くないな」
誰に聞かせるでもなく、リリスはぽつりと呟いたのだった。




