10.一方その頃、学園ではⅠ
『一方その頃、学園では◯〜◯』はルードルフ視点で進行します。
聖花が閉じ込められた翌日、1-Αでは昨日と同じくセイカ・ゴルダールのいない教室で朝礼が始まろうとしていた。
昨日の出来事を考えれば今日くらいは欠席していても不思議ではない。ルードルフも空いたままの隣の席を一瞥しただけで、然程気に留めることなく自分の席へと腰を下ろした。
やがて朝礼が始まると教壇に立ったフェルナンが生徒たちを見渡し、普段より僅かに硬い声音で口を開いた。
「セイカ・ゴルダールさんは療養のため、暫く屋敷に戻ることになったそうです」
その言葉に教室のあちこちから小さなざわめきが起こった。
僅かに落ち着きを欠いたフェルナンの様子を見て、ルードルフは小さく息を吐いた。昨日意識を失った生徒を心配する気持ちは分からなくもないが、今はよりにもよって二人の関係を面白おかしく囃し立てる噂まで流れているのだ。担任である以上仕方がないとはいえ、あまり露骨に態度に出していては自ら噂を肯定するようなものである。
もっとも、階段から落ちて意識まで失ったのだから、療養のため帰宅すること自体は不自然ではなかった。それでも対象がセイカとなると、ルードルフにはどうしても引っ掛かるものがあったのだ。
少し前には体調不良で二日ほど学園を休み、戻ってきたと思えば今度はロザリアを打ったという噂が広まっている。それとほぼ同時にフェルナンとの関係まで面白おかしく囁かれ始め、挙げ句の果てには階段で何者かに背中を押されているという。
ロザリアの件については、以前から噂そのものに疑問を抱いていた。
セイカが彼女の頬を打ったという話は学園中へ広まっているものの、リリスに調べさせた限りでは肝心のその瞬間を見たという者が未だに見つかっていない。実際に手を上げたのか、それとも噂そのものが偽りなのか。仮に本当に打ったのだとしても、何の理由もなくセイカが公爵令嬢に手を上げるとは、これまで彼女を見てきたルードルフにはどうにも考えにくかった。
フェルナンとの関係についても同様である。入学前に彼がセイカの家庭教師をしていたことを考えれば親しいのは確かだろうが元々女性との距離が近い男だけに、それが必要以上に誇張されているようにしか思えない。
そして昨日の一件については最早事故ですらなかった。意識を取り戻したセイカ本人が背中を押されたと証言している以上、何者かが明確な意図を持って彼女を階段から落としたのだ。
体調不良、ロザリアとの一件、フェルナンとの噂、そして階段からの転落。それぞれに繋がりがあるのかは分からない。だがこうも短期間に不可解なことが重なれば、単なる偶然として片付ける気にはなれなかった。
(……療養、か)
暫くセイカが学園に来ない。そう考えると何かが一つ減ったような物足りなさを覚えたものの、それ以上に気になったのは結局何一つ答えが出ないまま本人が学園を離れてしまったことであり、ロザリアの件もフェルナンとの噂も、昨日セイカを突き落とした人物についてもまだ分からないことばかりなのである。
昔からルードルフは分からないものをそのままにしておくことを好まず、ましてやセイカについては何故か余計にそう思えてならなかったのだ。
当事者に直接聞ければ話は早いが、リリスによればロザリア自身は普段と殆ど様子が変わらず、その場に居合わせたベルとマイルについては以前と少し様子が違うらしい。もっとも、当時のことを尋ねれば二人とも「セイカが打った」と口を揃えて答えているという。
リリス自身も、当事者でもない彼が執拗に嗅ぎ回れば不自然だと考えたのか当初は一先ず様子を見るだけに留めたらしい。だが昨日セイカが階段から落ち、それが事故ではなく何者かに背中を押された結果だと明らかになってからは事情が変わったようだった。
―――もっと深く探ってみる。
そう言い出したのは、意外にもリリス自身だった。
そもそも彼は面倒臭がりな上に、自分が面白いと思ったことにしか積極的に目を向けようとしない。頼めば渋々動くことはあっても、自分に関係のないことへ進んで首を突っ込むような性格ではなかった。
実際、ロザリアが打たれたという噂が広まった頃もそうだった。所用で学園を離れていたリリスが戻ってきた日の放課後に話を伝えたところ、噂そのものには興味を示したものの自分から調べようとはしなかった。
結局、あの時はルードルフが頼んだから動き始めたに過ぎない。
それが今回は違ったのだ。セイカが何者かに階段から突き落とされたことを知って以降、こちらから新たに頼むまでもなく自ら調べる範囲を広げようとしている。
他人が見れば、気紛れを起こした程度にしか思わないだろう。だが、付き合いの長いルードルフには、それがリリスにしては珍しい変化であることが分かった。
どうやらセイカ・ゴルダールという少女は、いつの間にかリリスにとって自分とは無関係だと切り捨てられる相手ではなくなっているらしい。
もっとも、それを言うならルードルフも同じだった。
気に掛けている、という言葉が正しいのかは分からない。自分の場合はむしろ、彼女について知りたいという感覚の方が近かった。
何を考えているのか。何を隠しているのか。ロザリアの頬を本当に打ったのか。打ったのなら何故なのか。次から次へと妙な出来事に巻き込まれながら、本人は何を思っているのか。
一つ疑問が浮かぶたびに、その答えが知りたくなる。以前なら単なる好奇心だと片付けられた筈なのに、いつからか答えが分からないままになっていること自体が妙に気に掛かるようになっていた。
そんなルードルフの考えがさらに変わったのは、その日の放課後のことだった。
「……何をしているのですか?」
「何って……待ってたんだけど?」
自室に戻ったルードルフが目にしたのは、何故か部屋の前に居座っているリリスだった。声を掛けると、随分と待たされたと言いたげに顔を上げている。
「……一先ず入ってください」
連絡もなしに突然やって来るのは勘弁してほしいものの、勝手に部屋に入って待たれるよりはまだマシだろう。そう自分を納得させながら中に招き入れ、扉を閉めたところで改めてリリスへと向き直った。
「それで……何の用ですか?」
「聞かなくても分かってるでしょ」
「……続けてください」
大方、何を伝えに来たのかは察しがついたため、ルードルフが続きを促す。
「まず、セイカが階段から落ちたことだけど……ベル嬢が怪しい」
「根拠は?」
「行動」
「詳しく話してくれますか?」
「まずロザリア嬢。近くで話を聞いてみたけど、セイカのことは一度も口にしなかった」
「それで?」
「マイル嬢はここ最近一人でいることが多くて、今のところ特に何もなし。問題はベル嬢」
そこで一度言葉を切ったリリスは、さして重大なことでもないかのように続けた。
「教室の近くで様子を見てたんだけど、セイカが階段から落ちたって話が聞こえるたびに僅かに反応してた」
「それだけでは何とも言えませんが」
「だから放課後、部屋まで行って待ってた」
嫌な予感がした。
「……まさか、勝手に部屋に入ったのですか?」
「僕を誰だと思ってるの?入ったに決まってるじゃない」
「目立つな、と前々から言っている筈ですが」
「誰にも見られてないから目立ってはないよね」
「そういう問題ではありません……」
思わず額を押さえる。
こういうところは昔から変わらない。既にやってしまったことを今更言ったところでどうにもならないため、ルードルフはそれ以上の追及を諦めた。
「……それで、何があったのですか?」
「ベル嬢が戻ってきて一人になってから、両手を見て『私は悪くない』って言ってた」
ルードルフの表情から僅かに呆れが消えた。
それだけでベルがセイカを突き落としたと断定することはできない。だが、セイカが階段から落ちたという話を耳にするたび反応を見せ、その上、一人になったところで自らの両手を見ながらそんな言葉を口にしたとなれば、無関係だと考える方が難しい。
一つ答えに近付いたことで、かえって知りたいことが増えたようにすら感じられた。
「ベル嬢については、引き続き調べてください」
「言われなくても、今調べてるところ」
返事の早さに、ルードルフは僅かに目を細めた。やはり今回のリリスは、いつもより随分と積極的らしい。
「……そうですか。では、また何か分かれば知らせてください」
リリスが小さく頷く。
「それより、貴方は先ほど『まず』と言いましたが、まだ何かあるのですか?」
「――昨日、第二王子が早退したらしいよ。話によると、一旦王城に戻ったとか」
「……今、何と?」
ルードルフの眉が僅かに動く。
(……アーノルドが?)
よりによって、セイカが学園を離れたのと同じ日にアーノルドまで――。
偶然だと片付けるには少々出来すぎているように思えた。
セイカについて抱いている疑念も、アーノルドとの関係も未だ答えは得られていない。その二人が同じ日に学園を離れたとなれば到底聞き流せる話ではなかったのだ。
「王城に戻ったというのは確かなのですか?」
「そこまでは。早退したのは確かみたいだけど、王城に戻ったってのは人伝に聞いただけ」
そこまで聞いたルードルフは、暫く考えたあとリリスを見つめ直した。
「……一つ頼んでも?」
「何?」
「昨日、アーノルドが学園を出た後の足取りを調べてください。可能であれば、誰と行動していたのかも」
「今度は弟?」
「ええ」
「……まあ、いいけど」
「お願いします」
それだけ告げると、ルードルフは改めて今朝フェルナンから聞かされた言葉を思い返した。
―――療養のため、暫く屋敷へと戻る。
階段から突き落とされて意識まで失った以上、それ自体は何も不自然ではない。だから朝の時点ではルードルフも特に疑問を抱かなかった。
だが、同じ日にアーノルドまで学園を離れていたとなれば話は変わってくる。
セイカは本当にゴルダール邸へ戻ったのか。アーノルドが学園を出たこととは無関係なのか。それとも、自分がまだ知らないところで二人の間に何かがあったのか。一度疑問を抱いてしまえば確かめずにはいられなかったのだ。
(……本当に、ゴルダール邸に帰ったのでしょうかね)
次話はリリス視点(芽生えた想いは ver.リリス)になります。




