8.奇妙な一致
目を覚ましてから暫く経った頃には、頭を動かした時に残っていた鈍い痛みも随分と和らいでいた。
キャロルからはまだ横になっているよう言われていたものの、意識を失っていたことが嘘のように身体そのものに目立った怪我はない。階段から落ちたというのに、この程度で済んだことを考えれば運が良かったのだろう。
ただ、背中を押した相手が誰だったのかについては未だに分からないままだった。
何故狙われたのかについては大方見当がつく。ここ最近、自分を取り巻いている噂を考えれば、それを理由に恨みや嫉妬を抱いた誰かが行動に出た可能性は十分にあった。もちろん、現時点では必ずしもそうと決まったわけではなく、全く別の理由で狙われた可能性も捨て切れない。
結局、背後から押された聖花には相手の姿すら見えていないのだから、今のところは推測することしかできないのだ。
そんなことを考えていた時、保健室の扉が開いた。
「失礼します」
聞こえてきた声に顔を向け、聖花は目を僅かに見開いた。
入ってきたのはアーノルドだった。
もっとも、一人ではない。彼一人でも驚きはするものの、その少し後ろにいた人物に目が行く。アーノルドの背後には見慣れた――けれど今となっては見るたびに複雑な気分にさせられる姿があったのだ。
―――カナデだ。
(……どうして、この二人が一緒に?)
一瞬そう思ったものの、今のカナデはマリアンナ・ヴェルディーレとして生活していて、アーノルドとは同じクラスだ。一緒にいたところで、それだけなら不自然なことではない。
だが聖花は以前にも二人で話しているところを見掛けたことがあるのだ。あの時のことを考えれば、単なるクラスメイト以上の繋がりがある可能性もあるのだろう。
それよりも聖花が引っ掛かったのは、そんな二人が揃って自分の見舞いに来たことだった。
アーノルドだけなら、まだ分からなくもない。キャロル以外の誰かに見られる危険はあるものの、これまでの彼を見る限り身体に異常がないか確かめに来るくらいのことはしそうだった。
だが、カナデまでいるとなれば話は別である。
今の姿になってからまともに話したのは一度きりで、その後は言葉を交わしてすらいない。以前、友人になろうと言われたことはあるものの、あれを額面通りに受け取る気にもなれなかったのだ。
(……やっぱり、この二人には何かあるの?)
そんな事を考えつつ視線をアーノルドへと向けると彼と目が合った。
「起きていたか」
「はい。少し前に」
答えながら身体を起こそうとすると、アーノルドの眉間に僅かに皺が寄った。
「そのままでいい」
「ですが……」
「気を失っていたのだろう」
有無を言わせない口調に押され、聖花は結局、上体を起こしかけたところで諦めた。
何となく、機嫌が悪い。普段から愛想のいい人物ではないものの、今日はいつにも増して言葉が短く、声にもどこか刺々しいものが混じっている気がする。
理由を考えるより先に、その後ろにいたカナデがベッドへと近付いてきた。
「確か……セイカ、さん。でしたよね?」
「……はい」
「階段から落ちたとお聞きして、心配で……。意識も戻っていないと聞いていたので、本当によかったです」
そう言って、カナデはほっとしたように胸元に手を添えた。
事情を知らない者が見れば、怪我をした生徒を心配して見舞いに来た令嬢にしか見えないだろう。
だからこそ聖花は警戒した。表向きは然程親しい間柄でもないというのに、カナデが純粋に心配してここまで来るとは到底思えなかったからだ。
「ありがとうございます。幸い、大きな怪我はなかったようです」
「でも、階段から落ちたのでしょう?今は大丈夫でも、後から何かあるかもしれませんし……」
カナデは心配そうに眉を下げると、少し躊躇うような間を置いた。
「それに、最近は色々な噂もあるみたいですから……少しの間、お屋敷に戻られた方がいいのではありませんか?」
「……屋敷に?」
予想していなかった言葉に、思わず聖花は聞き返した。
「はい。もちろん私が口を出すようなことではないのですけれど、今回の怪我も、一度きちんと診てもらった方が安心だと思います。噂だって、少し学園を離れている間に落ち着くかもしれませんし」
言っていることだけを聞けば、それほどおかしくはない。
階段から落ちて意識を失ったのだから、一度屋敷に戻って療養するというのは自然な話だ。最近の噂から距離を置けるという意味でも、悪い提案には聞こえなかった。
だが、それをカナデが勧めてくるとなれば話は別だった。
(……何を考えてるの?)
聖花が返答に迷っていると、それまで黙っていたアーノルドが口を開いた。
「それがいいだろう」
「……え?」
思わずそちらを見る。
「一度、学園を出ろ」
あまりにもあっさりと賛成され、今度は聖花が言葉を失った。
―――何故アーノルドまで。
昨日は屋上で散々フェルナンについて問い詰めてきたと思えば、今日はカナデの提案に乗って学園から離れろと言ってくる。
「アーノルド様まで、どうされたんですか?」
「どうしたとは何だ」
「いえ……」
やはり、何かおかしい。そう思い、聖花がアーノルドの顔色を窺うと、やはり機嫌が悪そうに見えた。それも、普段のように単に不愛想なのとは少し違う。何かに苛立っているような、妙に張り詰めたものを感じるのだ。
「今回の件もある。一度学園から離れて休んだ方がいい」
「でも、大きな怪我はありませんし――」
「意識を失ったんだろう」
そこまで強く言われるとは思わなかった。ぴしゃりと遮られ、聖花は口を閉ざした。
「……それは、そうですけど」
「なら決まりだ」
(決まりって……)
まだ自分は了承していない。そう言い返したくなったものの、ここまで息の合った様子でカナデの提案に賛成されると別の疑念も浮かんできた。
(もしかして、最初から二人で話してた?)
以前にも二人で話しているところを見掛けている。今回も聖花を一度学園から遠ざけることで、何かしら話がついていたとしてもおかしくは――
「俺も一度、学園を出る」
「……え?」
思わず聞き返したのは聖花だけではなく、カナデもまた僅かに目を見開いていた。次いで眉がぴくりと動き、直ぐに先ほどまでの心配そうな表情に戻ったものの、その目だけはアーノルドへと向けられていた。
その反応を見て、聖花は僅かに眉を顰めた。てっきり二人で話を合わせているものと思ったが、少なくともアーノルドまで学園を離れることについてはカナデも知らなかったらしい。
「アーノルド様も、ですか?」
「ああ」
「どうして……」
「少し用がある。それだけだ」
いつものようにそれ以上説明するつもりはないらしいものの、どうにも引っ掛かるのだ。カナデが自分に帰宅を勧めたことも、それにアーノルドがあっさり賛成したことも、そして何故か彼まで学園を離れると言い出したことも。
(……何なの、この二人)
それぞれ別のことを考えているように見えるのに、何故か自分だけがその間に挟まれているような気がして聖花は僅かに眉を顰めた。
だが結局、最後まで聖花にはどちらの意図も分からなかったのだった。




