23.王国までの道のり
約束していた休みの日を迎え、聖花はまだ皆が寝静まっている時間に寮を出た。
向かったのは正門ではなく、事前にフェルナンから指定されていた学園内の一角だった。数日間体調を崩して寮で休んでいることになっている以上、誰かに姿を見られるわけにもいかないし、堂々と学園を出るわけにもいかない。
周囲に人がいないことを確かめながら待ち合わせ場所まで向かうと、そこには既にフェルナンが待っていた。
「おはよう、セイカ」
「おはようございます。早いですね」
「僕が遅刻するとでも思ってた?」
「そこまでは言ってません」
「顔に書いてあったけどな」
「気のせいです」
軽く言い返す聖花にフェルナンは小さく笑うと、そのまま先に立って歩き始めた。聖花も周囲を気にしながら後に続き、普段使うことのない教員用の出入口へと向かう。
少し前までなら、こうして二人きりで顔を合わせること自体が考えにくかった。パトリシア王国から戻って以降フェルナンはまた聖花を避け始め、まともに話せるような状態ではなかったからだ。
「先生は堂々と出られていいですね」
「ちゃんと休みを取ってるからね」
「私は仮病ですけど」
「仕方ないでしょ。理由もなく外出できないんだから」
「……それは、そうですけど」
「じゃあ我慢して」
納得しきれないものはあったが、他にもっともらしい理由が思いつくわけでもない。聖花がそれ以上文句を言わずについていくと、フェルナンは周囲に人がいないことを確認してから扉を開けた。
「ほら、今のうちに」
「何だか悪いことをしている気分なんですが」
「実際、あまり堂々とはできないことをしてるからね」
「先生が言わないでください」
呆れながらも扉を抜け、聖花はフェルナンに続いて学園の外へと出た。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
二人はそのまま学園を離れ、待たせていた馬車へと乗り込むと再びパトリシア王国へと向かう。
出発してからしばらく経った頃、聖花は向かいに座るフェルナンと他愛のない言葉を交わしながら、流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
パトリシア王国までは馬車で丸一日ほど掛かる。朝のうちに出発したとはいえ、到着する頃にはすっかり日も暮れているだろう。
「そういえば先生、本当に何か手掛かりはあるんですか?」
「ないよ」
あまりにもあっさりと返され、聖花は窓の外に向けていた顔をフェルナンへと戻した。
「……ないんですか?」
「あるなら、とっくに探しに行ってると思わない?」
「それはそうですけど……」
言われてみればその通りだった。何か新しい手掛かりが見つかったから、今回パトリシア王国へ向かっているわけではない。
「もう一度探しに行こうなんて馬鹿げたこと言い出したのはセイカだからね。何も見つからなくても怒らないでよ?」
「何で私が怒るんですか」
「わざわざ来たのに無駄足だったって」
「言いませんよ。そもそも、まだ着いてもいないでしょう」
「それもそうだね」
フェルナンが笑い、聖花は呆れながら窓の外へと視線を移す。
もっと深刻な空気になるものと思っていたのだが、今のところフェルナンに普段と大きく変わった様子はない。これから探す相手が長い間忘れられずにいたシンシアであることを考えれば、もう少し思い詰めていてもおかしくないと思っていた。
もっとも、何も感じていない筈がないことくらい聖花にも分かるが、わざわざ尋ねることでもない。そう考えていたのだが、しばらくして何となく居心地の悪さを覚え、再び正面へ顔を戻す。するとフェルナンは窓の外を見るでもなく、頬杖をついたままこちらを眺めていた。
「……何ですか?」
「別に」
「なら、そんなに見ないでください」
「見たら駄目なの?」
「ずっと見られていたら気になるでしょう」
「そういうもの?」
「そういうものです」
悪びれる様子もなく笑われ、聖花はそれ以上相手にするのをやめて再び窓の外へと顔を向けた。
◆
長い移動の途中には何度か休憩が設けられていて、昼を過ぎた頃に食事を取るため一度馬車を降りることになった。
しばらく座り続けていた身体を伸ばしてから、聖花はフェルナンと共に近くで食事を済ませることにして店へと入る。長旅の途中で取る食事ということもあって特別豪華なものではなかったが、朝から馬車に揺られ続けていた聖花にとっては十分なご馳走だった。向かいではフェルナンも黙々と食事を進めていて、何気なくその様子を眺めていた聖花は、ふと彼の表情が殆ど変わらないことに気付いた。
以前リリスと共にパトリシア王国を訪れた際にもフェルナンと食事をしたことはあったが、あの時はそこまで気に留めていなかったし、それどころではなかった。だがこうして改めて見てみると、作業をするように料理を口に運ぶばかりで味を楽しんでいるような様子はなく、ただ空腹を満たすためだけに食べているようにも見えるのだ。
「どうしたの、そんなに見て。僕の顔に何か付いてる?」
「いえ、何も。それ美味しいのかなぁ、と」
突然そんなことを聞かれたフェルナンは手を止め、今しがた口へ運んでいた料理へと視線を落とした。
「どうなんだろう。美味しいのかな?」
「私に聞かれても分かりませんよ」
「そうなんだけどね」
そう答えながらもう一口食べるものの、やはり美味しいとも不味いとも言わない。
「もしかして、苦手なものでも入っていましたか?」
「いや、別に嫌いとかじゃないよ。食べられれば何でもいいから、あまり気にしたことがなくて」
「……何だか勿体ない感じがしますね」
「そう?」
「どうせ食べるなら、美味しいものの方がよくないですか?少なくとも私はそう思いますが…」
何気なく口にした聖花だったが、フェルナンにはあまり馴染みのない感覚だったのか、少し考えるように目を伏せた。
「そういうものかな」
いまいち共感できていないらしい返事に、聖花は少し不思議に思った。食事に拘りがない人がいること自体は分かるものの、ここまで関心が薄いとなると普段は何を好んで食べているのだろう、と。
「先生は、好きな料理とかないんですか?」
「好きな料理か……」
それほど難しい質問をした覚えはないし今度こそすぐに答えが返ってくると思っていたのだが、フェルナンは意外にも黙り込んでしまった。
そうしていると、やがて困ったような笑みが浮かぶ。
「昔はあった気がするけど、今は特にないかな」
「昔は?」
「うん。でも、もう覚えてないや」
軽い調子で答えたフェルナンは、ふと思いついたように聖花へと視線を向けた。
「それとも、セイカが新しく作ってくれる?」
「うーん……前は作っていたんですが、ここ最近は自分で作っていないので何とも――って、何で私が作る前提なんですか」
冗談に真面目な顔で答え始めた聖花を見て、フェルナンが一瞬だけ目を丸くする。しかし、途中でようやく気付いて言い返す頃には可笑しさの方が勝ったらしく、その口元には笑みが浮かんでいた。
「そこまで言ってないよ」
「なら聞かないでください」
「まさか本気で考えてくれるとは思わなかったから」
楽しそうに笑われ、聖花は僅かに眉を寄せた。
自分で言い出したものの、よく考えれば作ってほしいと頼まれたわけでもない。それなのに真面目に答えてしまった所為で余計なところを突かれた気分だったのだ。
「そういえば、セイカは元平民だったね」
何気なく続けられた言葉に返事をしようとして、聖花はふと口を閉ざした。
フェルナンの言葉が気になったわけではない。引っ掛かったのは、つい先ほど自分自身が何気なく口にした言葉だった。
(……前は作ってた?)
前世については未だ思い出せないことの方が多いというのに、何故か考えるより先に口から出ていた。いつ、何処で、どんな料理を作っていたのかまでは思い出せないものの、自分で作っていたという感覚だけは妙にはっきりと残っている。
突然黙り込んだ聖花を見てフェルナンは別の理由を思い浮かべたらしい。先ほどまで浮かべていた笑みを僅かに薄れさせると、小さな声で呟いた。
「……ごめん」
「え?」
「いや、何でもない」
それ以上何かを言うことなく、フェルナンは再び食事へと手を伸ばした。
何を謝られたのか分からず、聖花は僅かに首を傾げたものの本人が話す気もないのなら問い詰める程のことでもない。それよりも今は、曖昧な記憶の中から何故料理をしていたことだけが自然と出てきたのかの方が気に掛かった。
とはいえ考えたところですぐに答えが出る筈もない。聖花は一旦その疑問を頭の隅へ追いやると、フェルナンにもそれ以上何も聞かず、自分の食事へと戻ったのだった。
休憩を終えて再び馬車へ乗り込んでからも暫くはフェルナンの様子に変わったところはなかった。話を振り、そのたびに軽いやり取りが続いていたものの時間が経つにつれて少しずつ口数が減っていく。
やがて会話が途切れる時間の方が長くなり、気付けばフェルナンは窓の外を眺めていることが多くなっていた。
初めは聖花も気に留めていなかったが、気付けば先ほどまで何かと話し掛けてきた人物とは思えないほど静かになり、流れていく景色を見つめたまま物思いに耽っていることも増えていた。
「……緊張してるんですか?」
何気なく尋ねると、窓の外を眺めていたフェルナンがゆっくりと聖花に顔を向けた。
「僕が?」
「さっきから静かなので」
フェルナンは何も答えなかった。
否定するでもなく、いつものように冗談で躱すこともない。ただ暫く聖花を見つめたあと、再び窓の外へと視線を戻してしまう。
その反応だけで、どうやら見当違いではなかったらしいと聖花にも分かった。
「……そうですか」
これ以上聞くことでもないだろう。聖花もそれ以上問い掛けることなく窓の外へと視線を戻した。
シンシアが見つかる保証はない。それどころか、生きているという確証さえ何一つないのだから、何を考えているのかと尋ねたところで困らせるだけだ。
それからも馬車は長い道を進み続けた。窓から差し込んでいた光は少しずつ傾き、景色もゆっくりと夕暮れの色へと変わっていく。
朝早くから動き続けていたこともあり、聖花はいつしか何度も欠伸を噛み殺すようになっていた。最初のうちは何とか目を開けていたものの、規則的に揺れる馬車の中では眠気を振り払うことも難しく、気を抜けばすぐに瞼が落ちてくるのだ。
―――少しくらいなら大丈夫だろう。
そう思って一度目を閉じると、次第に周囲の音が遠ざかっていった。
「……セイカ」
誰かに名前を呼ばれた気がした。まだ重い瞼を僅かに開くとぼやけた視界の向こうに人影が見える。
「セイカ、起きて」
二度目の呼び掛けで重い瞼を開くと、ぼやけた視界の向こうにフェルナンの姿が映った。何度か瞬きを繰り返しながら身体を起こし、眠気の残る目を擦ってから顔を上げる。
「……先生?」
「着いたよ」
「……着いた?」
まだ頭が回りきらないまま聞き返すと、フェルナンは答える代わりに窓の外へと視線を流した。視線を追って聖花も顔を向け、そこで漸く眠っている間にすっかり日が暮れていたことに気付く。
窓の向こうには夜の街並みが広がり、道沿いや建物に灯された明かりが暗闇の中に点々と浮かんでいた。賑わいは既に落ち着いているのか人影も疎らで、馬車の車輪が石畳を進む音だけが静かな街に響いている。
景色自体は昼と夜でやや異なるものの、一度見た覚えのある街並みを目にしたことでボンヤリしていた聖花の意識も次第にはっきりとしてきた。
「……着いたんですね」
「うん」
短く返したフェルナンは、それ以上何も言わずに窓の外へと目を戻した。
前に訪れてからというもの、それほど日が経ったわけではない。それでもこうして再び同じ国へと足を踏み入れることになるとは、あの時の聖花は考えてもいなかったのだ。
とはいえ既に日は暮れている。通りにはまだ人の姿こそあるものの、今から当てもなく聞き込みを始めたところで、まともに探せる時間など残されていなかった。
「……今日はもう無理ですね」
辺りを見渡しながら聖花が呟く。
「そうだね。まずは泊まるところを探そうか」
「決めてなかったんですか?」
当然どこか確保してあるものと思っていた聖花は、思わずフェルナンへと顔を向けた。
「そこまで準備してると思った?」
「数日掛かるつもりで準備していたんでしょう?」
「それとこれとは別だよ」
悪びれる様子もなく返され聖花は僅かに眉を寄せた。学園を数日空けるための手回しまでしておきながら肝心の滞在先については何も考えていなかったらしい。
改めて周囲へ目を向ければ、すっかり暗くなった通りを照らしているのは街灯や建物から漏れる明かりばかりだった。今から探して、果たして都合よく空いているところが見つかるのだろうか。
「……こんな時間からでも宿って見つかりますよね?」
「心配してるの、そこ?」
何故か僅かな間を置いて返され、聖花は怪訝そうにフェルナンを見上げた。
「当たり前でしょう。見つからなかったらどうするんですか」
聖花がそう言い切ると、今度はフェルナンの方が何も言わなかった。ほんの一瞬こちらを見つめたあと、何事もなかったように前へと視線を戻す。
「まあ、大丈夫だよ。宿くらい見つかるって」
「本当でしょうね……」
「そこまで疑わなくても」
いまいち信用できないまま聖花が後を追うと、フェルナンは何も言わずに歩調を緩めたのだった。




