22.出発前の
授業の合間の休み時間、次の授業までどう過ごそうかと考えていた聖花は、不意にこちらに向けられている視線に気付いて顔を上げた。
視線の先にいたのはロザリアだった。
目が合ったにもかかわらず彼女は直ぐには逸らそうとせず、むしろ先ほどまで令嬢たちと話していた筈なのに今は口を閉ざしたまま真っ直ぐこちらを見ていた。
(……また?)
睨みつけられている訳でもなければ、露骨な敵意を向けられている訳でもない。ただ、何かを確かめるように聖花の様子を窺っているのだ。
やがて何事もなかったかのようにロザリアが視線を戻したところで、聖花も小さく眉を寄せた。
(……何なの?)
そう思いつつも、これ以上ロザリアばかりを見ている訳にもいかないので聖花もそっと視線を外す。
こうしたことは今日が初めてではない。
以前からロザリアに敵視されていることは分かっていたし、時折こちらに向けられる視線に気付くこともあった。しかし、ほんの数日前から明らかにその頻度が増えているのだ。
廊下ですれ違った時もそうだった。少し離れたところで、いつも彼女の傍にいる令嬢たちと話していたロザリアの前を聖花が通った途端、それまで続いていた会話が綺麗に途切れたのだ。
何事かと思って見てみれば、今度は全員が揃ってこちらへと視線を向けていた。
(まあ、元々嫌われてるし……今更か)
流石に何度も続けば気にはなるものの、だからといって聖花から声を掛ける理由もない。
何かしてくるのであればともかく、見られているだけなら放っておけばいい。そう結論付けた聖花は、次の授業の予習をするため教本へと手を伸ばした。
◆
その日の放課後。聖花が教室を出て廊下を歩いていると、後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。
「――セイカ」
足を止めて振り返れば、こちらへと向かって進むフェルナンの姿がある。終礼が終わってからというもの、何時もと異なりすぐに教室から出て行かないとは思っていたが、何か用があったのか、聖花が教室を出るのを待っていたのかもしれなかった。
「……何ですか?」
薄々何の用か察してはいたものの、念のため聞き返す。するとフェルナンが小さな声で告げた。
「準備のことなんだけど、もう少しかかりそうかも」
「ああ……パトリシア王国の」
「忘れてなかったんだ」
「私から言い出したんですから、忘れるわけないでしょう」
呆れながら答えると、フェルナンは楽しげに目を細めた。
先日まであれほど聖花を避けていたのが嘘だったかのように、あの一件以来フェルナンは以前のような調子を取り戻していた。だからといって頻繁に話すようになったわけではないが、少なくとも顔を合わせても不自然に避けられることはなくなり、こうして必要があれば普通に言葉を交わせるようになっている。
「それで、もう少しというのは?」
「そのままの意味だよ。向こうへ行く準備もあるし、僕にもこっちで済ませておかないといけないことがあるからね」
「そうですか」
「……随分あっさりしてるね」
少しくらい何か言われると思っていたのか、フェルナンが意外そうに瞬きをする。
「急かしたら早くなるんですか?」
「ならないね」
「では待ちます」
「君ってこういう時、本当にあっさりしてるよね」
「待つ以外にできることがありませんから」
「それもそうか」
フェルナンが小さく笑う。
そのまま話は終わったものと思い聖花が再び歩き出そうとしたところで、何故かフェルナンがこちらを見つめたまま動かないことに気付いた。
「……何ですか?」
「いや――」
問い掛けても、フェルナンはすぐには答えなかった。
そうして暫く聖花の顔を確かめるように眺めたあと、僅かに目を細める。
「何でもないよ」
「そうですか」
「気にならないの?」
「何でもないと言ったのは先生でしょう」
「そうだけどさ」
何やら不満そうな声を出されたものの、聖花としてはそれ以上聞きようがない。話に一区切りをつけ、小さく礼をした。
「では、私は戻りますので」
「うん。またね、セイカ」
軽く手を振るフェルナンに会釈を返し、聖花は今度こそ歩き出した。
以前ならば、じっと見つめられるだけでも逐一警戒していたことだろう。しかし今はそれだけで身構えることも自然となくなっていた。
完全に信用したわけではない。前のこともあるし、つい先日では廊下を凍らされて身動きを封じられたばかりなのだから、そこまで簡単に気を許せる筈もなかった。
それでも、またシンシアと重ねているわけではなさそうで、聖花は少しだけ安心した。
◆
その日の夜。寮に戻り一息ついた聖花は部屋にいたアデルへと声を掛けた。
「アデル、ちょっと話があるんだけど…」
「はい。何でしょう?」
振り返ったアデルを前に、聖花はどう切り出そうか少し迷った。けれども前回のことを思えば黙って出ていくという選択肢はない。
「……またパトリシア王国に行ってくるわ」
アデルの表情が止まった。
「また、ですか?」
「ええ。フェルナン先生と」
「お二人で?」
「……ええ」
途端にアデルの視線がじっと聖花へと向けられた。何か言いたげな顔をしているものの咎めるような言葉が飛んでくることはなく、その沈黙がかえって居心地悪く感じられる。
「今回は、先に教えてくださるのですね」
「……前みたいなことをしたら、また怒るでしょう?」
「当然です」
迷いなく返され、聖花は思わず視線を逸らした。前回は図書室へ行くと告げて出ていった挙げ句、そのままパトリシア王国まで行ってきて丸一日戻らなかったのだから、こればかりは何も言い返せない。
もっともアデルも今回は事前に話したことでひとまず納得したらしく、それ以上前のことを蒸し返すことはなかった。ただ今度は別の疑問が浮かんだのか、僅かに首を傾げる。
「何故またパトリシア王国へ?」
「少し、確かめたいことがあるんです」
詳しい事情まで話すつもりはなかった。シンシアのことはもちろん、フェルナンの過去についても本人の許可なく口にしていいことではないので聖花としてはそう答える他にないのだ。
アデルはしばらく聖花の顔を見ていたが、それ以上踏み込んで尋ねることはなかった。
「……分かりました」
それ以上理由を追及することはなかったものの、アデルはまだ何か言いたげにしていた。聖花がフェルナンと二人で出掛けることよりも、行き先がまたパトリシア王国だということの方が気掛かりなのだろう。
「今回は、どのくらいで戻られる予定なのですか?」
「まだ分からないわ。前回よりは掛かると思う」
今回は行って帰ってくるだけではなく人を探すことになる。どれほど時間が掛かるのかは聖花にも分からず、その答えを聞いたアデルの表情は案の定僅かに曇った。
「……でしたら、なおさら無茶はなさらないでくださいね」
心配そうに念を押され、聖花は返事に詰まる。危険なことをするつもりはないとはいえ、前回は随分と心配を掛けてしまっている。ここで軽々しく大丈夫だと言ったところで余り説得力はないだろう。
聖花が返事をせずにいると、アデルは念を押すように続けた。
「絶対ですよ?」
「……はい」
そこまで答えて、ようやくアデルの表情が少しだけ和らいだ。
◆
それから数日が経った。
授業を終えて教室を出た聖花は、廊下の壁際に立つ見慣れた姿に気付いて足を止めた。フェルナンもすぐにこちらを見つけたらしく、壁から身体を離して歩み寄ってくる。
「セイカ」
「はい?」
何の用だろうと見上げる聖花に、フェルナンは普段と変わらない調子で告げた。
「準備できたよ」
数日前の話を思い出した聖花は、何のことかと聞き返す代わりにそのまま日取りを尋ねる。
「…いつですか?」
「次の休みから。何日掛かるか分からないから、そのつもりでいて」
「……結局、学園のことはどうするんですか?」
「そこは僕が何とかしておいたよ」
「何とかって……」
何をどうしたのか分からない返答に、聖花は怪訝そうに眉を寄せた。フェルナンはそんな反応を予想していたのか、特に悪びれる様子もなく説明を続ける。
「君は数日、体調を崩して寮で休んでる。そういうことにしとくから」
「勝手に病人にしないでください」
「仕方ないでしょ。ただでさえ生徒の外出には厳しいのに、何て説明するつもりだったの?」
「それは……」
言葉に詰まった。
一部の生徒は除くものの、余程の事情でもない限り生徒が自由に学園の外に出ることは長期休暇期間を除き認められていない。ましてや今回の目的を正直に話したところで、数日間の国外行きを許可してもらえるとは到底思えなかったのだ。
「だから我慢して」
「……先生は普通に休めるのに、何だか納得いきません」
「僕は教師だからね」
「そういう時だけ教師らしくしないでください」
「酷いなあ」
納得しきれないものはあったが数日間学園を空ける以上、何かしら理由が必要なのも確かだった。寮で休んでいることにするのなら、アデルにも改めて話しておかなければならないだろう。
「兎に角、――決まりだね」
「分かりました」
聖花が頷くと、フェルナンは満足したように小さく笑った。
前回は成り行きのまま足を踏み入れることになったパトリシア王国へ、今度は二人とも明確な目的を持ってもう一度向かうことになるのだ。
目的はただ一つ。今も何処かで生きているかもしれないシンシアを今度こそ探し出すために。




