7.残し続けた一室
私は梨奈からの予約を、あえてシステム上でキャンセル処理しなかった。
理由は一つだった。
八月十六日はすでに満室である。
もし予約を完全に取り消してしまえば、万が一、梨奈から「やはり宿泊したい」と連絡があっても、その時にはもう部屋を用意することはできない。
その可能性は決して高くなかった。
それでも私は、どこかで信じていた。
八月十六日までに、お父様が退院できるかもしれない。
そんな小さな希望だけが、私に予約を消せなくさせていた。
しかし、それ以上に私の胸に引っかかっていたのは、電話越しに聞いた梨奈の声だった。
あの無理に気丈に振る舞おうとする声が、何日経っても耳から離れなかった。
八月九日。
私は意を決して、梨奈の自宅へ電話をかけた。
だが、その日は誰も家にはおらず、受話器の向こうで呼び出し音だけが虚しく鳴り続けた。
その後も私は、一日おきに電話を入れ続けた。
そして八月十三日。
ようやく電話の向こうで受話器を取る人がいた。
「はい、小池です」
電話に出たのは、梨奈のお母様だった。
私がご主人の容体を尋ねると、お母様は静かな口調で話し始めた。
「このたびは、ご心配をおかけしまして申し訳ございませんでした」
「また、せっかくご予約までお取りいただいたのに、キャンセルすることになってしまい、本当に申し訳ありません。皆様には大変ご迷惑をおかけしました」
お母様は何度も丁寧に頭を下げるように謝罪を繰り返した。
しかし、ご主人の病状については、それ以上詳しく語ろうとはしなかった。
私も、それ以上聞くことはできなかった。
しばらくして、お母様は少しだけ明るい声になった。
「主人ですが、十六日に仮退院できることになりました」
その一言を聞いた瞬間、私の胸につかえていたものが少しだけ軽くなった。
「それは本当に良かったですね」
思わず自然に言葉がこぼれた。
さらに、お母様は続けた。
「今、梨奈は京都のF病院へ主人の見舞いに行っております」
私は受話器を握ったまま、小さく頷いた。
八月十六日まで、あと三日。
私が信じ続けて残しておいた一室に、もう一度希望が灯ったような気がした。




