表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/11

6.受話器の向こうの沈黙


八月二日の夜だった。


私が夜勤に就いて間もなく、フロントの電話が静かに鳴った。


受話器を取ると、聞き覚えのある声が耳に届く。


「こんばんは、小池です」


梨奈だった。


私は、宿泊の確認か何かだろうと思いながら受話器を耳に当てた。


「先日は、本当にありがとうございました」


一度言葉を切ると、彼女は申し訳なさそうに続けた。


「……申し上げにくいのですが、せっかく予約を入れていただいたのですが、今回はキャンセルしていただけないでしょうか」


その声には、以前の明るさはなかった。


無理に平静を装っていることが、受話器越しにも伝わってきた。


「ご両親に、何か急なご都合でもできたのですか」


私は静かに尋ねた。


「いえ……」


短い返事のあと、電話の向こうに沈黙が流れる。


何かをこらえているような、重たい沈黙だった。


やがて梨奈は、小さな声で話し始めた。


「実は昨日、父が再入院してしまったんです」


その一言に、私は言葉を失った。


「以前から体の具合が悪くて……。いつ退院できるのかも、まだわからないんです」


私は一瞬、励ましの言葉を探した。


しかし、どんな慰めも今の彼女には軽く響いてしまう気がした。


「……わかりました」


私は静かに答えた。


「今回は残念ですが、ご予約はキャンセルということで承ります。どうか、お父様を大切になさってください」


「ありがとうございます」


その声は、どこか力なく、それでも感謝の気持ちだけはしっかりと伝わってきた。


電話が切れたあともしばらく、私は受話器を置くことができなかった。


あれほど楽しみにしていた家族旅行は、一夜にして現実の前に消えてしまった。


フロントにはいつもと変わらない時間が流れていた。


だが、私の胸には、受話器の向こうに流れたあの沈黙だけが、いつまでも残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ