12.笑顔の奥に
午後七時ちょうど。
小池様ご一家は、予定どおりホテルのマイクロバスに乗り込み、「大文字の送り火」の観覧へ出掛けられた。
京都の夏の夜を彩る幻想的な送り火は、ご家族にとって忘れられない思い出になったことだろう。
午後九時半過ぎ。
笑顔でホテルへ戻って来られた三人の姿を見届けた私は、胸をなで下ろしていた。
その日は全室満室。
大きなトラブルもなく、一日を終えられそうだという安堵感が、ようやく私の肩の力を抜いてくれた。
しかし、その夜はまだ終わってはいなかった。
時計の針が午前零時を少し回った頃だった。
夜勤の仲田がフロントの奥から顔をのぞかせた。
「主任、小池様という若い女性がお呼びですよ」
私は少し不思議に思いながら、すぐにフロントカウンターへ向かった。
そこには、部屋着姿の梨奈が静かに立っていた。
「どうかされましたか? こんな遅い時間に……」
私が尋ねると、梨奈は穏やかに微笑んだ。
「今日は、本当にありがとうございました」
その表情には、一日の充実感がにじんでいた。
「両親もすごく喜んでくれて……。さっきまで部屋で、久しぶりに家族三人でゆっくり話をしていたんです。本当に、最高の思い出になりました」
その言葉を聞いて、私まで胸が温かくなった。
「それは本当に良かったですね。私も、とても嬉しいです」
そう答えると、梨奈は小さくうなずき、優しく微笑んだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
軽く会釈を交わし、彼女は静かにエレベーターへ向かって歩き出す。
私はその後ろ姿を、何となく見送っていた。
──不思議だった。
最高の思い出になったと話していたはずなのに、エレベーターへ乗り込む直前に見せた梨奈の横顔は、どこか寂しげで、何かを心にしまい込んでいるようにも見えた。
その時の私は、その小さな違和感の意味を知る由もなかった。
けれど、あの夜、胸をよぎった説明のできない胸騒ぎだけは、今でも忘れることができない。




