第8話「侯爵の末路」
宰相府の応接間は、飾り気のない部屋だった。
壁には国の紋章が一つだけ。家具は最低限。この宰相の性格そのものだ。
グレーテル宰相は、白髪を短く刈り込んだ老人だった。装飾のない黒い衣。表情を読ませない目。
私とノエル、そしてジルベール公爵が召喚されていた。
「三名の報告を聞く。──全てを聞き終えるまで、私は一言も発しない。始めなさい」
ノエルが口を開いた。メルヴィル侯爵家による国庫横領の証拠。二重封蝋による公文書の改竄。リュシアンの証言記録。ダニエルの毒殺の状況証拠と成分分析結果。
ジルベール公爵が補足した。十年に及ぶ内偵の記録。
そして私。ログによる改竄前と改竄後の差異の証明。
報告は二時間に及んだ。グレーテル宰相は約束通り一言も発しなかった。
最後に、宰相が口を開いた。
「──十分だ」
「メルヴィル侯爵ガスパールに対し、宰相権限による査問を開始する。王太子アルベールには事実確認のための聴取を行う」
宰相が立ち上がった。
「アシュフォード嬢。お前の母──ベアトリスの件も、私は知っている。二十年前、不正に気づいた書記官が病死として処理された。あの時、私にはまだ力が足りなかった」
宰相の目に初めて感情が浮かんだ。悔恨だった。
「今度は、握り潰させない」
◇
その夜。侯爵邸から急報が届いた。
ガスパール・メルヴィル侯爵が、書斎で自ら毒を飲み、死亡しているのが発見された。机には一通の手紙。全ての罪を執事長ピエールに被せる内容だった。
「最後まで──自分の手は汚さない男だったか」
ノエルが苦い顔で呟いた。
だが侯爵の死は全ての終わりではなかった。ピエールは即座に身柄を確保された。リュシアンの証言とログが決め手となり、ダニエルへの毒殺関与が認定された。
ソフィア・メルヴィルは予想に反して宰相府に自ら出頭した。
「全て、父の指示でした。──私にできたのは、言われた通りに涙を流すことだけ」
彼女の声は震えていたが、涙はなかった。初めて見る、演技ではないソフィアの顔だった。
「あなたは知っていたの? お父上の横領のことを」
「知りませんでした。けれど──知ろうとしなかった。それは同じことです」
その言葉を聞いた時、私はソフィアを単純な「敵」とは思えなくなった。操り人形の糸が切れた後に残ったのは、一人の若い女性だった。
屋敷に戻ると、ノエルが門の前に立っていた。
「宰相が──明日の御前会議で、全ての証拠を公開する許可を出した」
「全ての──」
「ああ。お前のログを含む全てを、御前会議の場で公式に提示する」
ノエルが一歩近づいた。
「イレーネ。──よくここまで来たな」
その声はいつもより柔らかかった。
「一人で来たわけではありません」
彼の外套の袖が、私の手にわずかに触れた。触れただけ。それだけで十分だった。
明日、全てのログを公開する。
この国の嘘を──記録が、終わらせる。




