第7話「裏切り者への返礼」
ュシアンへの罠を仕掛ける日が来た。
私はリュシアンに手紙を出した。「大切な話がある。明後日の夕刻、屋敷の書斎で」と。ノエルの名前はわざと出さなかった。
「ノエル。書斎に来てほしいんです。──隣室に」
「分かっている。全て記録する」
ノエルは監察局の書記官を一人連れてきた。公式な証人だ。この国の司法制度では、監察局員の立会記録は裁判証拠として認められる。
当日。リュシアンが来た。いつもと変わらない、柔和な笑顔。
「イレーネ。大切な話って何だ?」
「座って、リュシアン」
私は対面に座り、手帳を開いた。
「──メルヴィル侯爵家から、いくら受け取っていますか」
空気が凍った。リュシアンの笑顔が、一瞬だけ崩れた。すぐに作り直したが、その一瞬をログは記録している。
「何の話だ? 疲れているんじゃないか」
「ログを見せましょうか。あなたが訪ねてきた日と、メルヴィル家が動いた日の対応表です」
リュシアンの顔から血の気が引いた。
「三回目。ダニエルに会うと話した翌日──ダニエルは死んだ」
リュシアンの手が震え始めた。
「違う……俺はダニエルのことは知らなかった。ただ情報を流しただけで──」
「情報を流した結果、人が死んだのよ、リュシアン」
「俺だって好きでやったわけじゃない!」
その声には怒りではなく──絶望が混じっていた。
「ヴォー男爵家の借金を知っているか。父が死んだ時、残ったのは爵位と借金だけだった。メルヴィル侯爵が肩代わりすると言った。その代わり──」
「私の監視」
「……すまない」
リュシアンの目から涙がこぼれた。演技でも同情でもない──取り返しのつかないことをした人間の、後悔の涙だった。
私の手も震えていた。憎むことができれば、どんなに楽だったか。
「リュシアン。あなたを許すことはできない。でも、まだできることがある」
リュシアンが顔を上げた。
「メルヴィル侯爵から受け取った指示の全てを、監察局に証言してください」
隣室のドアが開いた。ノエルと書記官が入ってきた。
「証言すれば、情状酌量の材料にはなる」
リュシアンは長い間黙っていた。そして、静かに頷いた。
「全て──話す」
◇
証言は三時間に及んだ。侯爵の情報網。ピエールへの指示。そして侯爵が最も恐れていたもの。
「侯爵は言っていた。『記録さえ消せば何も残らない』と。だがお前のログだけは消せないと知って、焦り始めていた」
婚約破棄は恋愛の問題ではなかった。私を宮廷から追い出し、記録へのアクセスを断つことが本当の目的だった。
証言の後、リュシアンが言った。
「昔、庭で一緒に読んだ本を覚えているか。あの時お前が言ったんだ。『記録することは、未来の誰かを守ること』だと。──俺はその言葉を裏切った」
リュシアンは正式に拘束を受け入れた。屋敷の門を出ていく彼の背中を、私は見送った。
その夜、母の手紙を読み返した。「あなたの記録を、信じています」
翌日、宰相府から一通の召喚状が届いた。
グレーテル宰相が──ようやく動き出した。




