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『黒鎌のロア:神の盤面を燃やす王』  作者: Akarino−Hiro


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第3話 グリム門陥落

静寂の夜を、白銀の刃が裂いた。


狙いは、ロアの頸動脈。


迷いはない。

怒りに任せた粗い剣でもない。

目の前の命を奪うと決めた者だけが振るえる、完成された一閃だった。


ロアは、わずか半歩だけ身を引いた。


それだけで、刃は首筋をかすめる。


次の瞬間、巨大な黒鎌シオンの柄が、白銀の剣を弾き返した。


甲高い金属音が、夜を震わせる。

火花が跳ね橋の上に散った。


極端な黒と白が、月下で激突していた。


黒曜の王冠。

血を吸ったような真紅の外套。

身の丈を超す黒鎌を軽々と担ぐ、レヴェンの狂王。


対するは、白亜の鎧。

歴戦を物語る傷だらけの肩当て。

一切の揺らぎなく直剣を構える、帝国の女騎士。


セナ・リュクス・アークライト。


アステル帝国正統軍の騎士。


巨星たる皇帝が墜ちたこの夜、上層部の命令すら待たず、独断で絶対防衛線グリム門へ馳せ参じた女だった。


セナは、剣を引かない。


「あなたを、ここで止めます」


「止める?」


ロアは喉の奥で笑った。


「もう遅い。俺様が来た」


「来ただけで、この門が落ちると?」


「落ちる」


ロアが無造作に黒鎌を返す。


セナが横へ跳んだ直後、黒鎌の刃が跳ね橋の石床を深く抉った。

堅牢なはずの石畳が、薄氷のように砕け散る。


セナの青い双眸が、鋭く細められた。


「ただの大鎌ではありませんね」


「ただの王様に見えるか?」


「見えません」


セナは、剣の切っ先を再びロアへ向けた。


「あなたは王ではない。災いです」


ロアの笑みが、さらに深くなる。


「いいな。褒め言葉に聞こえる」


「褒めていません」


「なら、もっと力を込めろ」


セナが踏み込んだ。


速い。


白い鎧が月明かりを弾き、流星のような剣先がロアの胸元へ沈み込む。


その剣は、息を呑むほど美しかった。


余計な癖がない。

太刀筋の重さも、間合いも、呼吸さえも、極限まで研ぎ澄まされている。


ただし、綺麗すぎた。


ロアは黒鎌を振るわない。


長い柄を短く持ち直し、セナの剣を内側へ滑らせる。

白刃が真紅の外套を裂いた。

だが、王の肌には紙一重で届かない。


「お前、いい育ちをしてるな」


「戦いの最中に、何を」


「剣が、親に叱られて育ってる」


セナの眉が、わずかに動いた。


「侮辱ですか」


「分析だ」


次の一撃。


セナの横薙ぎを、ロアは黒鎌の柄で強引に受け止めた。


重い衝突音。


その音に応えるように、グリム門の内側から別の轟音が鳴り響いた。


バンだ。


獣腹の戦士が、門の内側で暴れ狂っている。


兵たちの悲鳴。

鎧がへこむ音。

人間が石壁に叩きつけられる生々しい音。


グリム門の内部は、すでに戦場ではなく獣の檻と化していた。


「内側に兵を入れたのですか」


「少しな」


「少しの音ではありません」


「あいつは一人で五人分うるさい」


ロアは悪びれもせず笑った。


「便利だろ」


セナは奥歯を噛み締める。


それでも、焦りはしない。


彼女は門上に待機する弓兵へ、視線だけで短く合図を送った。


練度の高い弓兵たちは、ロアの体ではなく、跳ね橋の左右へ牽制の矢を放つ。

退路を削り、ロアの動きを一本の線に縛るためだ。


セナは、優しいだけの騎士ではない。


守るべきもののためなら、戦場の一部を切り捨てる冷徹さを持っている。


「いい」


ロアが低く唸った。


「お前、綺麗事だけの女じゃねえな」


「戦場で、綺麗なまま立てる人間などいません」


「なら、その目障りな白い鎧は趣味か?」


「戒めです」


セナが刃を翻す。


「自分が汚れる存在であることを、忘れないための」


一瞬だけ、ロアの表情から嘲笑が消えた。


代わりに浮かんだのは、極上の獲物を見つけた獣の目だった。


「気に入った」


「私は、あなたが気に入りません」


「だろうな」


ロアは黒鎌を肩に担ぎ直した。


「だからいい」


セナが動く。


白い軌跡が、剣筋に幾重にも走った。


光の魔術。


切っ先が三つに分身する。


本物は一つ。

残りは眼を焼く光の残像。


歴戦の兵でさえ迷う。

首か、肩か、胴か。

狙いを見極めようとした瞬間、命は刃に吸い込まれる。


だが、ロアは端から目だけで見ていなかった。


石畳を蹴る足音。

微かな呼気。

鎧の重心移動。

剣を振る直前に生まれる、肩の沈み。


ロアは黒鎌の石突きを、足元の床へ無造作に打ち込んだ。


ごん、と重い振動が跳ね橋を揺らす。


想定外の振動に、セナの踏み込みが半瞬だけ鈍った。


その半瞬で十分だった。


ロアは三つの剣から、本物の刃だけを正確に弾き落とす。


セナの目が、驚愕に見開かれた。


「読んだのですか」


「見え見えだぜ、白いの」


「セナです」


「じゃあ、セナ。お前は強い」


ロアは手の中で黒鎌を遊ばせるように回した。


「だから、ここでやめとく」


セナが身構える。


その刹那、城門の頂から重厚な鐘の音が響いた。


一度。


二度。


三度目は、鳴らなかった。


泥酔の剣士ジンが、敵の鐘楼を完全に制圧した合図だった。


同時に、門前で宰相ラウルが血を吐くような声を張り上げる。


「門兵に告げる! レヴェン王国は負傷者を受け入れる! 武器を置いた者は捕虜として丁重に扱う! 略奪は一切許さん!」


続いて、僧ニコが慈悲深げな声を響かせた。


「薬も温かい湯もご用意しております! 無駄死にしたい方以外は、どうぞ一列にお並びください!」


「あなたはもう少し言い方を考えなさい!」


ラウルの怒声が夜風に乗る。


この場違いなやり取りに、帝国門兵たちの動きが完全に止まった。


敵が奇襲をかけてきた。


だが、正面には丸腰の使者がいる。

薬と食料が並んでいる。

内側では得体の知れない怪物が暴れている。

湿地には魔女ヴィヴィが作り出した大軍の幻影が揺らめいている。

頼みの鐘楼は沈黙した。


命令を待つには、状況そのものが壊れすぎていた。


セナの脳裏で、すべての点が線につながる。


「あなた……最初から、門兵を殺す気がないのですね」


「全員殺したら、空っぽの門しか残らねえだろ」


「では、何を」


「迷わせる」


ロアは黒鎌を低く構えた。


「兵は迷うと、一番強い命令にすがる。だから俺様が、最高に分かりやすい命令を下してやる」


その言葉に呼応するように、門の内側から帝国兵の叫びが上がった。


「武器を置け! 負傷者を先に出せ!」


味方である帝国兵の声だった。


門兵の一部が戦意を喪失し、負傷者をレヴェンの使者団へ運び始めたのだ。


軍が、音もなく崩れ始める。


セナが思わず振り返りかけた。


ロアが、その隙を逃すはずもない。


黒鎌が、跳ね橋の空間を薙ぎ払う。


セナは反射的に剣で受けた。


受けたが、衝撃に足幅がずれる。


一歩。


それだけで、ロアには十分だった。


ロアは低く沈み込み、黒鎌の硬い柄で、セナの剣の根元を正確に打ち据える。


激しい金属音。


セナの手首が跳ね上がる。


次の瞬間、死神の黒い刃が、彼女の白いうなじの数ミリ手前で止まっていた。


近すぎる死。


セナは動かなかった。

ロアも動かない。


冷たい月明かりの下、二人の間だけが静まり返る。


「殺せばいい」


セナが静かに言った。


「殺す理由がねえ」


「私は敵です」


「敵なら何も考えず殺すってのは、三流の兵の考えだ」


「では、王はどう考えるのです」


「使える敵は残す」


セナの瞳に、明確な怒りが灯った。


「私を、あなたの駒にするつもりですか」


「違う」


ロアはあっさり黒鎌を引き、肩に乗せた。


「お前は、駒にするには目が強すぎる」


セナが震える手で剣を握り直す。


「なら、なぜ」


「お前はこの門を無事に守りたい。俺様はこの門を無傷で取りたい。やってることは逆だが、向いている方向は今夜だけ同じだ」


「同じ……?」


「兵を、無駄に死なせたくねえ」


セナの表情が変わった。


ほんのわずかな波紋。


それは怒りではない。

疑いでもない。


絶対に理解したくないものを、心のどこかで理解してしまった者の顔だった。


ロアは淡々と告げる。


「クロムの反乱軍が来る。皇帝派の追手も来る。周辺国のハイエナどもも血の匂いを嗅ぎつける。ここで意地を張って兵を磨り潰せば、明日の朝には、お前らの死体で街道が詰まるぞ」


「だから、門を奪うと?」


「そうだ」


「その理屈で、あなたはいつも奪うのですか」


「すべてを奪い尽くされる前にな」


セナは、強く唇を結んだ。


ロアは酷薄に笑う。


「決めろ、セナ。俺様と最後まで斬り合って、この門を味方の血で濡らすか。それとも兵を下げて、明日の本当の敵に備えるか」


「あなたを、信用しろと言うのですか」


「信用するな」


ロアは一秒も置かずに答えた。


「自分で判断しろ」


その言葉に、セナの動きが止まった。


信じろ、ではない。

従え、でもない。


自分で判断しろ。


それは王の言葉というより、戦場そのものの声だった。


背後で、帝国兵たちの悲鳴じみた報告が飛ぶ。


「セナ様! 南側の落とし格子が作動しません!」


「負傷者の数が多すぎます!」


「湿地の軍影、消滅しました! 幻術です!」


「内側の敵は少数ですが、すでに制圧不可能です!」


セナは静かに目を閉じた。


ほんの一秒。


その果てしなく長い一秒で、彼女はすべてを見た。


血まみれの門。

絶望する兵。

呻く負傷者。

奇妙なレヴェンの使者団。

傷ついた跳ね橋。


そして、黒鎌の狂王。


セナは、美しい直剣をゆっくりと下げた。


「武器をおさめなさい」


周囲の帝国兵たちが、一斉に息を呑む。


「戦闘は一時的に停止し、負傷者の救出に向かいます」


副官が悲痛な声を上げた。


「セナ様、それは……降伏ですか」


「違います」


セナは、射抜くような視線でロアを睨み据えた。


「これは、明日を戦うための撤退です」


ロアは心底愉快そうに笑った。


「いい言葉だ」


「あなたに褒められたくはありません」


「俺様は、褒めたい時に勝手に褒める」


「迷惑極まりない」


その時。


難攻不落を誇ったグリム門の頂に、レヴェン王国の真紅の旗が力強く舞い上がった。


夜風にはためくその色を、宰相ラウルが地上から見上げる。


限界まで肺に溜まっていた息が、ようやく吐き出された。


「落ちた……」


「門が、ですか?」


隣でニコが首を傾げる。


「私の胃壁と寿命です」


「それは前からです」


「黙っていなさい」


湿地では、ヴィヴィの幻影の霧が晴れていく。


内側の広場では、降伏した帝国兵たちに囲まれながら、バンが不満げに鼻を鳴らしていた。


「もう終わりか? 俺はまだ遊び足りねえぞ」


「終わりです!」


ラウルの甲高い怒声が飛ぶ。


一方、ジンは鐘楼の影から悠然と降りてきた。


その手に血は付いていない。

抜き身の剣だけが、静かに鞘へ納められる。


「酒は?」


ロアが振り向かずに聞いた。


「欲しい。橋を落とした。二本だ」


「一本だ」


「王のくせにけちだな」


「国が小さいからな」


ジンは、ふっと息を吐いて笑った。


グリム門は落ちた。


力任せの正面突破ではない。

血で血を洗う虐殺でもない。

非道な火攻めでもない。


迷いを作り、視界を奪い、指揮系統という鎖を断ち切り、兵たちの心を先に落とした。


ロアの戦は、乱暴で無軌道に見える。


だが最後には、必ずひとつの急所を射抜く。


門兵たちは次々と武器を捨てていった。

負傷者はニコが手配した荷車へ運ばれていく。

ラウルは即座に捕虜の待遇と門の補修計画を指示し始める。

ヴィヴィは優雅に霧の残り香を払っている。

バンは腹が減ったと騒ぎ立てる。


その雑然とした光景の中で、敗将となったセナだけが、じっとロアを見つめていた。


「あなたは……一体、何者ですか」


ロアは黒鎌を肩に乗せたまま、不敵に振り返る。


「王だ」


「王は、あのような戦場で、あんなふうには笑いません」


「じゃあ、お前の知ってる王様ってのが、死ぬほど退屈なんだ」


セナが何かを言い返そうとした。


だが、その言葉が音になるより早く、黒鎌シオンが不気味に震えた。


漆黒の刃の奥で、青白い光が脈を打つ。


ロアの脳髄に、あの無機質な声が響いた。


『異常値、拡大』


ロアは微かに目を細める。


今度は、セナも異変に気づいた。


「その大鎌……今、不自然に光りましたね」


「気のせいだ」


「嘘が下手です」


「よく言われる」


緩みかけた空気を切り裂くように、門の東側から泥まみれの伝令が駆け込んできた。


その顔には、死人のような蒼白さが張りついている。


「セナ様! 東街道に巨大な軍影! 黒旗を確認!」


セナの表情が凍った。


ロアがゆっくりと振り返る。


「数は」


「少なくとも三千! 帝国元帥レオ・ヴィクト・クロムの先遣隊です!」


書類仕事に取りかかろうとしていたラウルが、絶望した顔で天を仰いだ。


「門を取った直後に、三千……?」


「おや」


ニコが献金箱を抱え直す。


「これは、毛布の追加料金を考えるべきかもしれませんね」


「無料です!」


「……世知辛いですね」


グリム門は落ちた。


だが、激動の夜はまだ終わらない。


帝国は崩れた。

その崩壊の破片が、今まさにレヴェンへ降り注ごうとしている。


それでも、ロアは笑った。


楽しくて、楽しくてたまらないというように。


黒鎌を肩に担ぎ直し、迫り来る黒旗の闇を睨み据える。


「いいな」


王は、最も凶悪な牙を剥いた。


「門を取ったばかりだ。今度は、守ってみるか」


その瞬間、黒鎌シオンの刃に、青白い文字が浮かんだ。


『警告。グリム門防衛成功率、三・二パーセント』


ロアは笑う。


「上等だ」


夜風が、真紅の旗を叩いた。


「三パーもある」

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