(57)結論について
彼女の損傷した肉体は「接ぎ木」されたのだ。つまり果実より産まれた天使の肉片により、歩く土壌としての機能を維持できるだけの修復が行われたのだ。
だが意識は昏睡のままで、人間としての生命活動はままならず、もはや現在の彼女は人間と呼べるものではない。宿主としての栄養もほとんどが吸い尽くされ、土壌としての役割もとうに終えている。肉体を代替した天使の肉片も、大部分が死して木質化し、さらにそれすらも土壌不良で朽ちかけている。
それでもなお残存し続けているのはなぜなのか。なんのためなのか。誰のためなのか。
壊れた脳組織が再生されることはないが、その機能を代替するように脳神経の回路が組み直されることがある。天使の肉片によって接ぎ木された彼女は、その昏睡する中枢神経系のシグナル伝達回路を、ユグドラシア菌根菌ネットワークと合一させることで修復したのだ。
とはいえそこに、彼女固有の意識を特定することは不可能だ。複雑で深遠な人間の意識であろうと、ユグドラシルの海原に溶けあえばひとたまりもない。
だが彼女の意識が存在していたことは、紛れもない事実である。たとえかりそめのものであったとしても、ユグドラシルの意識の一因子として、その形成に影響を与えたはずだ。そしてそれがユグドラシルに変異をもたらし、ウォーキー・ドゥーヒキーを生みだしたのだ。
そんなウォーキー・ドゥーヒキーを今もって残存させているのも、また彼女の意思ではないのか。その意思とはなんであるか。
わたしがウォーキー・ドゥーヒキーへ触れるとき、わたしへ這わせられたイチジクの枝が若き日の姿を再現し、わたしの肉体は外形上若さを取り戻す。それはわたしという存在を回顧する、彼女の記憶と想念によるものではないのか。
彼女の記憶とはなんであるか。その想念とはなんであるか。ありふれていてかけがえのない「それ」は、なんと呼ばれるべきか。
これら数々の疑問はすべて、まったくもっての愚問である。これらは「まやかし」によってわたしがいだくように仕向けられた願望の、その鏡像にすぎない。
あの運命のとき、アトロゥの子実体がわたしという土壌へ根づかなかったのは、配偶子の組み合わせの不一致が理由である。雄性生殖細胞同士での受精は不能だ。ウォーキー・ドゥーヒキーは種を散布するための生物機構である。彼女を修復したのは、植物に適した生育環境をユグドラシルが整備しただけなのだ。
それではなぜウォーキー・ドゥーヒキーの形態は、今もって彼女の容姿をかいま見せるのか。それこそが、ユグドラシルがわたしに仕かける「まやかし」なのである。ユグドラシルがわたしに「まやかし」を仕かける理由は、アトロゥの存在にある。
アトロゥの誕生が不測の事象だったとしても、かつてはユグドラシルの影響下にあり、その一体物であった。アトロゥが外界の人間に対して所有欲をかき立てた理由は、もちろんアトロゥ自身の性根であり、ヤツの来歴による由来が多分を占めているのだろう。だがそこには、ユグドラシルの意識も介在していたはずだ。
アトロゥが子実体を作りだしたのは、種の頒布と世代交代のためである。また操り手を失ったクグツたちの不可思議な統制は、ユグドラシルがその植生遷移を促進しようとした動態である。つまりユグドラシルはアトロゥの死を肯定し、その存在を否定したのだ。
肉体を失って生首となった現在のアトロゥは、ユグドラシルに利得をもたらす存在ではない。ユグドラシルの意思に反して植物化を拒み、生に妄執するアトロゥは共生体として足りえてはいない。
ユグドラシルの本懐とは、アトロゥの排除と、その再誕の阻止である。アトロゥ誕生を繰り返させず、生命の基本原理として種の繁栄も継続させる。そのために必要なものは、近親交配を避ける遠縁の配偶子だ。
その配偶子を持つ者は、ユグドラシルにありながら、ユグドラシルに接続されていない必要がある。それでいて森に対して無力で、誘導可能な見込みのある者。例えばそれは、彼女が消えたネットワークの外へ追いやられた、わたしのようなみじめな男。
そんな男に働きかけようとすれば、何を用い、何をするのか。わたしの欲するものとは何か。それこそが、ユグドラシルがわたしへ仕かけた「まやかし」なのだ。
わたしは、わたし自身の意思と想いを肯定するための、幻想を与えられているのにすぎない。すでに存在しない彼女の意思をユグドラシルが偽装し、配偶子の入手のためにわたしを誘導しているのだ。
それから、もうひとつ。もはや悪性化した腫瘍細胞、あるいは病原体であるアトロゥの除去のため、ユグドラシルはわたしという人間を用いて抗体とし、免疫機能の拡充を図っているのだ。
以上がユグドラシルにおけるホメオスターシスであり、一個の生命体として定義する根拠である。そしてこれがわたしの探究であり、わたしの独善的な決断への、ミジメな言いわけだ。
わたしの思考と行動に、どれほどの主体性があるのか。このミジメな独善を続ける理由など、とうに存在しなかったというのに。あの運命の日、彼女はこの世の彼岸へと、すでに旅立っていたのだ。
彼女の待つティル・ナ・ノーグへと、わたしもたどり着けるのだろうか。かたわらの彼女は、ほほ笑むばかりで何も答えてはくれない。




