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群像について ユグドラシルいわく  作者: まいち
第3幕 第2場 禁断の果実
55/60

(55)悪夢について オシアンいわく

 ニアヴに手を取られながら、ぼくも精いっぱいに走った。伸び上がる木々と瓦解する砦をかいくぐり、こけつまろびつ逃げ惑った。傷だらけになりながら、走って、走って、走って――


「ハァ、ハァ、ハァ……ハァ、ハァ……」


 やがて静けさを取り戻した森で、ぼくたちは乱れる息を落ち着かせていた。

 震えながら細切れに吐かれるニアヴの息づかいは、疲労のせいばかりではないのだろう。街が襲われた日から彼女の心に平静は消え、つらい記憶ばかりが積み重なっているのだ。

 脳裏にとどこおる記憶を払うように、ニアヴの横顔がかぶりを振る。それからひとり言のように、彼女は言葉を発した。


「何もかも木々に飲まれてしまった……ほかのみんなは、どうなってしまったんだろう……」


 彼女に伝えなければならない。どんな悪夢にさいなまれようと、すべてを失ったわけではないことを。キミのそばにはぼくがいることを。ぼくにはキミがいることを――そんな言葉が舌先に乗りかけた、そのときだった。ほのかな甘い香りが、ぼくの鼻孔をくすぐった。


「……フワ……」


 ぼくは疲れ果て、ぐったりと樹下に座りこんでいた。何げなく自分の手元に目を落とすと、ちっぽけな木の実がそこにすっぽりと納まっていて――


「……ヤツの……あの木の果実……次代へとチカラを継ぎ……命をつなぐ……」


 甘美な芳香を放つ果実は、ぷっくりとした雫型だった。黄緑色の地がただれたように赤黒く色づき、静脈のような薄青いスジ模様が走っている。質感はなめらかで弾力があり、疲労に熱くにじむ手の中で肉塊が胎動しているかのようだった。


「……ねぇ、オシアン……」


 自分の幻想に蠱惑され、ぼくは一心に木の実を見つめ続けた。厭世するぼくへ呼びかける声は、ぼくの耳に遠く響いた。


「……ン……オシアン……ねぇ、オシアン!」


 ようやく気づいたぼくは顔を上げ、振り向いて声のもとを見た。


「……オシアァンッ!」


 それは悲鳴のようだった。だが発したはずのニアヴは、ヒザ立ちでうつむいていた。ぼくに視線を送ることもなく、影の差した顔は虚ろだった。

 ニアヴがかすかに揺れる。


「ぐら……」


 身をかばうそぶりもなく、頭からつっぷす。


「……ばたッ」


 大地の上で金髪が彼女を取り巻き、黄金の渦を作った。うつぶせの背中にも金色の糸が流れ「木彫り細工の柄」が、その幾本かをまとわせている。「木彫り細工の短剣」は、刀身を隠すほどに深く、彼女の肉へと沈んでいた。

 目前の光景は現実なのだろうか。大切な何かを見落としているような気がして、ぼくはしっかりと彼女を見つめた。

 草むらがニアヴのホオを押し、虚脱したクチビルがわずかに開かれていた。彼女の長いまつげは淑やかに伏せられ、それはすこやかな眠りのようだった。なんだ、そうか――


「……疲れ果てて、眠ってしまったんだね。ニアヴ」


 眠れる彼女の元へ、這って近づくモノがあった。それは無数の触手が生えた生首で、到底にこの世のモノではない、人外の存在だった。

 生首の両コメカミからは、小ぶりのイトスギが生えていた。その根元は放射状に隆起し、まばらに毛の抜け落ちた頭全体へわたり、デコボコと山脈を作っている。ヒタイの青スジと無数に交差し、血走ってこぼれ落ちそうな目玉に根っこを這わせていた。このイトスギの生えた顔は、さっきのアイツ――アトロゥだ。

 生首の付け根から生える無数の触手は、大小も長短も不均一な木の枝だった。だがむき出しの臓物が生きたままに垂れているようで、しぼんで、膨らんで、のたくって、イトスギ頭をもたげていた。


「ヴウゥ……ゥヴウウゥ……ヴウゥヴウウゥ……」


 やはりアトロゥは、この世の生き物ではなかったのだ。ヤツは彼女の安眠を浸食する淫魔であり、汚辱をもたらす悪夢だったのだ。

 生首は横たわるニアヴにのしかかり、イトスギ頭をかしげた。ヨダレが糸を引く大口を開け、彼女の背中に生える「柄」をくわえて引き抜いた。


「ずぬり……ッ」


 真っ赤な目玉がギロリと動き、どうやらぼくを見つめているようだった。


「……ゥウヴゥゥ……ゥゥヴウゥゥヴウウゥ……」


 ぼくに向かって生首がにじり寄る。だからなんだというのだ。そんなことよりも、おぞましい異形がニアヴから離れたことに、ぼくは安心した。

 改めて眺めるニアヴは、赤子のように清らかだった。その亜麻色の金髪は、陽の光に溶けて静かに夜を待つようで、きっと彼女の血統をたどれば、月の女神へと帰着するのだろう――ぼくはそんなことを考えながら、この白日夢から目覚めるときを待っていた。


「ゴッ……!」


 なんだろう。鈍い音が聞こえた。それからぼくの顔へ、何かが飛んできた。


「……ピッ」


 手のひらで顔を拭うと、少しだけ血が付いている。その無情な現実へ、自失したぼくを連れ戻したのは黒髪の少女――ティタニアだった。

 ティタニアの細腕には、石くれが抱えられていた。人の頭ほどもあろうかという大きさで、血のりがベットリと付いている。その石くれの下では、生首が脳天から血を流していた。

 さらに青スジを増やした生首が、横顔を向けてティタニアをにらむ。全身キズだらけの少女は、それでも勇敢なまなざしで生首を見つめ返した。

 短剣は地面に落ちていた。それをふたたび口にくわえ、生首がティタニアへと跳びかかっていく。今、ぼくがやるべきことは――


「……ニ、ニアヴッ」


 ぼくはニアヴへと駆け寄った。

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