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群像について ユグドラシルいわく  作者: まいち
第3幕 第2場 禁断の果実
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(54)狂乱について オシアンいわく

 猛烈な勢いで、悪魔が腕を突き上げた。その身体がきしんで、うなり声のような音が鳴る。


「……ゥゥヴウゥォオオオオオオゥ!」


 それは木だった。だが悪魔の姿を形づくり、憤怒の形相と筋骨隆々の身体から無数のツノを生やしていた。その腕に生える指の本数は、五本なんて数では済まない。数十本が絡みあい、ぼくを締めながら掲げていた。

 悪魔の腕の先に、ぼくはいた。地面が隆起を始め、次の瞬間には枝葉にまみれていた。もがくことすらままならなず、頼みの綱だった短剣も、いつの間にか落としてしまったようで手の中になく――


「ぼくは……しくじったのか……」


 ようやく現状を把握する。もはやぼくにできることは、枝々のすき間から様子をうかがうことだけ。そんなぼくの視界に映ったのは、ワラワラと集まってくるクグツたちと、その「操り手」の姿だった。

 まるで巨樹がアクビをかくようだった。もつれた木のスジが解きほぐされ、クグツまわしのねぐらがおぼろな曙光に照らされた。

 巨樹の胎内は、簡素な木の小部屋だった。青くかすむ暗闇へ据えられるソレは、やはり木だった。だが玉座を形づくり、裸体をさらした「男」がひとり、ふてぶてしく鎮座している。手すりに両腕を預け、深々と背中をもたれ、恥じらいのない大股開きの両脚は、大地とつながって根になっていた。

 玉座から立ち上がり、男は歩みを始めた。脚を取り巻く根はスルリと解きほぐれ、ふたたび足裏が地面へ触れると同時に、また根が生えて地面に潜りこんだ。それが何度か繰り返され、やがて男はねぐらのふちに手をかけた。

 あらわになった男の姿は、いわゆるゴブリンのそれだった。だがその両コメカミには、燃え立つたいまつのようなイトスギの枝葉が生えている。この世のモノとは思えないこの生き物が、賊の頭目アトロゥなのか。

 アトロゥの大きな半月型の目玉が動く。


「ぎょろり……ッ」


 ヤツの赤い瞳が、ぼくを見上げた。その顔が冷笑にゆがむと、ぼくを握っている悪魔の握力が増す。


「ギギイィィ……ィ……ギギッ……」


 全身に食いこんでいく枝々に、ぼくはたまらずうめき声を漏らした。


「ぐぅッ……ぅ……がはッ……」


 まな板のコイを、いかにさばいてやるか――ぼくを眺めるアトロゥの顔は、そんな算段にゆがんでいた。だがぼくの視界は苦痛に狭まり、ヤツのふてぶてしい顔もぼやけていく――


「うぐッ……?」


 ぼやけた視界の中で、アトロゥに向かって「黄金の波」がしぶきを上げた。黄金はほどけ、金色の糸になって――いや違う、あれはニアヴだ。ニアヴの美しい金髪だ。こんなところまで来てはダメだ――


「ニァ……ぐッ……」


 ニアヴ、早く逃げてくれ――と言おうとしたが、まともに声も出せない。

 アトロゥの胸元で、ニアヴは両手を握りあわせていた。まるで祈りをささげているような、場違いなポーズだ。ニアヴの表情はぼくからは見えないが、彼女の後ろ姿は小さく震え、その恐怖が手に取るように伝わってくる。

 アトロゥがうつむいた。含み笑いは消え、冷たい無表情で見下ろす。怒りとも、あざけりとも、無関心とも取れる視線がニアヴに注がれる。

 ニアヴはたじろいだのか、ぎこちない動きで後ずさりした。


「……ジリ、ジ……ジ、ジリッ」


 そこに現れた光景へ、ぼくは痛みも忘れて目を見開く。彼女の握りこぶしがほどかれ、祈りの正体が判明した。

 アトロゥの胸元に、ぼくの短剣が突き立っている。刀身を隠すほどに深く沈み、ヤツの身体の中心に――アトロゥの心臓に、ぼくの短剣が突き刺さって――


「うわッ」


 身体の自由が利くようになった。少し揺すると、簡単に枝が折れる。


「ポキッ……ポキポキッ……」


 ぼくを握っていた悪魔の手が枯れていく。マズい、このままだと――


「お、落ちる……ッ」


 枯れ枝にしがみつきながら、ぼくは下を見た。ギクシャクとした無意味な動作で、クグツたちが身体をぶつけ合いながらひしめいている。

 それは戦いの終わりだった。ぼくにとっては手ごたえのない、紛れもない勝利の瞬間だった。そのはずだった。

 アトロゥが揺れた。


「ぐらり……」


 倒れるのかと思いきや、踏みとどまる。


「よた……よた……よたたッ」


 するとアトロゥの首が青スジを立て、はち切れんばかりに膨らんだ。一気にホオが張って顔は風船みたいになり、アトロゥがえずいた。


「……うぼおぇえッ!」


 その声とともに口から「枝」がはみ出し、それはセキが切られた合図だった。


「ズヴオオオオオオオオオオォヴヴヴヴズウウオオオオオオッ!」


 アトロゥの口から、無数の枝々がヘビのように溢れ、龍のように立ち昇った。一方、ぼくがしがみついていた枯れ枝は盛大に折れる。


「ポキキッ……ポキポキポキ……ベギィ!」


 ぼくは落下した。我ながらに情けない叫び声を上げ、そして着地。


「うわぁー……痛たぁッ!」


 ぼくが落ちたのは、クグツたちが右往左往の押しあいへしあいを繰り広げている、その真上。クグツたちの上で、天地もわからないほどに転げ回され、いつしかぼくは掲げられていた。


「……いッ……うわ……あッ……あぁあ!」


 クグツたちはぼくの下へと集合し、競いあうように手を伸ばしている。かつて子供たちの手であった無数の枝々が、ぼくを天高くへと昇らせていく。


「ヴヴズウゥゥゥウヴヴヴウウゥゥズズウウゥゥ……」


 やがてぼくは、アトロゥの「樹冠」に到達した。そこはまるで、空中庭園だった。

 グルリと見渡せば、世にあまねく植物を網羅するかのような絶景。樹冠を作る枝々は一様ではなく、多様な種が混生し、明けの薄明に黒々と繁茂している。そこでぼくの心を奪ったのは、目前のひと枝だった。

 それは枝だった。だが三人の女を形づくり、ひとりは少女、ひとりは老婆、もうひとりはふたりの間の年頃だった。カンナクズのような樹皮は羽衣のように裸体を透かせ、その姿はまるで運命をつかさどる女神たちのようだった。

 しなを作って絡みあう三人の姿は、助けあうようにも、奪いあうようにも見える。彼女たちの視線の先では、幼い女神の右手が天に差し伸べられ、その人さし指と親指は、ちっぽけな「木の実」をつまむように実らせていた。樹冠にポツンとひとつきりで、けれど匂い立つように怪しく照り、異彩を放っている。

 そんな一連の光景を、ぼくはあお向けで引っかかるように、逆さになって眺めていた。ぼくの締まらない体勢は、もだえ続けるクグツの上で、さらに崩される。


「ゥヴヴウウゥゥ……ゥゥヴヴズウゥゥゥ……」


 頼りは目前のひと枝しかない。クグツたちにもてあそばれながら、ぼくはしゃにむに手を伸ばした。何度か空振りした後、指先に木の実が触れる。もう必死だ。ずり落ちながらようやくつかむと、あっけない手ごたえで木の実がもげる。


「ぷちん」


 支えを失ったぼくは、転げながらクグツの森へ落下した。


「うわ……ああああぁあぁぁ……」


 生い茂るクグツの木々に、ぶつかって、跳ねて、引っかかって、落っこちて――


「うッ……うぁッ……ぐふッ……あー……」


 地面に打ちつけられる。


「……痛でぇ!……くッ、くぅうぅぅぅ……痛っつぅ……」


 それでも五体満足なことは、なんとか確認ができた。だが休む間もなく、上から枯れ枝が降ってくる。


「……ガラッ……ガラン……」


 アトロゥの口から伸びた枝々がしおれていく。降り始めた枯れ枝の雨は、さらにどんどんどしゃ降りに変わっていく。


「……ガラガラ……ドンガラ……ガッシャンッ……ドンガラガラ……」


 早く非難しなければと思いながらも――


「痛て……ッ」


 身体を起こすだけで精いっぱいだ。座ったまま動けないぼくに、ニアヴが呼びかけてくる。


「……オシアンッ、こっち! 早く逃げないとッ、オシアン立って!」


 ぼくのえり首をつかみ、強引に立ち上がらせ――


「痛た! 痛いよ、ニアヴ……」


 そんなこと言ってる場合でないことは百も承知だが、全身打撲でまともに歩くこともできない。

 ぼくの手をひったくるように握り、ニアヴが駆けだす。彼女に手を引かれながら、ぼくの横目に垣間見えたのは、牢獄にとらわれた「囚人」だった。

 吐きだされた枝々が、アトロゥ自身を監禁していた。木の鎖に縛られた囚人は、その身体も木になりかけている。その手をもたげ、アトロゥは胸元に突き立つ短剣に指をかけた。


「……ギシ……ギ……ッ」


 それは生への妄執であり、運命からの脱獄を見るようだっだ。そしてぼくとニアヴは「大爆発」に巻きこまれた。

 爆心地はアトロゥ。ヤツの脚が巨大なカブのように丸く膨れた。根が四方へ躍りだして地面が爆裂。爆音を鳴らしながら突き上がる幹が、一帯を天地返しに爆砕した。枝々は爆ぜるように八方へ伸び、爆煙のように葉を広げていく。


「ヴオオオオオオォォォォォォォ……――……ォォン」


 おびただしい数の根が、幹が、枝が、葉が、またたく間に森のすき間を埋め、狂乱のすべてを覆い隠した。

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