(51)異界について オシアンいわく
ぼくは、ぼくと同様に大切な人を奪われた者たちと徒党を組んだ。そしてティタニアの案内で生い茂る木々の渓谷を進み、大森林の奥地へと侵入していった。
ティタニアがぼくたちの元へたどり着けたのは、まったくの偶然だったそうだ。
ティタニアの話すところでは、ケダモノの遠吠えを避け、発光するキノコをたよりに、木立のアーチに導かれ、花々のじゅうたんを渡り、沢のほとりを下って――逃げだしてからの道のりはひと晩とかからず、気がつけば明かりが見えたそうだ。
もちろんぼくたちには到底信じられることではなかったが、果たしてその通りだった。
こうこうとした満月が、うっそうとした木々のすき間からのぞいていた。そこにある「異形」を、月明かりが神秘的に浮かび上がらせている。
崩れかけた古い砦を、巨樹が突き上げて宙へと掲げていた。大小様々の枝々が、補強するように、あるいは砕くように、砦をがんじがらめにしている。森を侵し、木に犯された砦は、この世ではない異界の摂理に飲みこまれたようだった。
砦へ向かう道すがらには、やはり見張りらしきゴブリンたちがいた。だがむき出しの太鼓腹に酒ビンを抱え、大イビキをかいている。
ぼくは改めてゴブリンを観察した。小柄な体躯、土色の肌、奇妙に膨れた腹、しなびたようにスジ張った四肢。とがった耳、反り返った鼻、コケたホオ、ひさしをつくるほどに上部が厚くでっぱった目元、深緑のザンバラ髪。それは人に似て、人にあらざる様相だった。
背中にゾワリとした戦りつが走る。この潜行への決意を、ぼくは改めて確認した。やがてぼくたちは砦の根元へと到着し、その巨樹を見上げた。
人は怖れによって、ただの木でさえ化け物へと変える。そのことを知る者は「それ」を形容することを避けた。その場にいる誰もが押し黙り、自分自身の精神の鏡像でないことを天に祈った。
それは、ただの木だった。だが幹の節くれがのたくるようで、様々な意匠をこらした壁画彫刻のようにも見えた。そしてそれは、阿鼻叫喚の地獄絵図を形づくっていた。
老いを問わず、若きを問わず、男によらず、女によらず――無数の裸体が絡みあい、もつれ合い、ひしめき合い――凌辱し、拷問し、姦淫し、食人し――悪徳の限りが尽くされ、そこに正気は存在しなかった。
ぼくたちは目を見開いて頭から幼子を喰らう男を形づくる幹に手をかけ、それから串刺しで黒焼きにされた老婆を形づくる幹に足をかけた。
それから自分の臓物で首をくくる女を形づくる幹に手をかけ、生首で自涜にふける老爺を形づくる幹に足をかけ、群がる老婆にかみちぎられる妊婦に手をかけ、ちぎれた腕で殴りあいをする腕のちぎれた男に足をかけ、生皮をはがされて張りつけにされた赤子を形づくる幹を目指した。
この世の終末を這うようだった。自分の正気を疑いながら、それでもぼくたちは登り続けた。
やがてぼくたちは、砦へと侵入を果たした。崩れかけの回廊は森閑として廃墟のようだったが、そこを抜けた先には幾人かの女たちがいた。
女たちはあられもない姿で、ティタニアのような薄絹の肌着一枚きりだった。子を宿して腹を大きくした者たちもいて、賊の根城に似つかわしいとは思えなかった。たがぼくには、そこにいる「たったひとり」を除き、どうでもいいことだった。
ぼくは叫んだ。
「ニアヴ!」
ひときわ目立つ亜麻色の長い金髪が、ぼくの声に女たちの中で揺れた。
ぼくは駆けだした。ニアヴの青白いホオが、にわかに赤みを取り戻す。けれど喜びと安堵の表情は、つかの間に消え去った。目の前にたどり着いたぼくへ、彼女は重い口を開いた。
「オシアン……わたし……」
その悲痛な表情と先の続かない言葉が、彼女が受けたはずかしめを物語っていた。
ニアヴの消え入る言葉を、ぼくは彼女とともに抱きとめた。ぼくの中にある、ありったけの愛情を声音に込め、そっと語りかけた。
「……ニアヴ。いつかの物語の続きを聞かせておくれ。ティル・ナ・ノーグで再会する、ぼくたちの物語の続きを。キミが許してくれるのなら、どんなに遠い旅路だって、どんな困難も乗り越えて必ず会いにいくよ。そして離ればなれになんてなるものか。キミのそばにいること、キミとともにあることが、ぼくの何よりも尊いんだ」
彼女の返答はなく、ただぼくの胸に顔を預けた。そのまぶたはギュッと閉じられ、一条の涙を流していた。
苦しみの嘆声と、喜びの歓声が、あちらこちらで交錯する再会の場。そのかたわらで、とらわれていた女のひとりが、おずおずと口を開いた。
「あの……あなた方は、アトロゥを亡き者としてくださるのでしょうか?」
誰にともなく訴える女の声は、うわずって悲痛な響きだった。
「……アトロゥは悪魔の木の化身です。みずからの木とその分け身により、欲望のままに奪い、衝動のままに壊す。あの者が世にあるかぎり、安息の日などありはしない。やがて大地のすべてを蹂躙するでしょう……!」
言いながら女は、自分自身の身ごもった腹にツメを立てていた。声と身体を震わせ、ティタニアを見ながら言葉を続けた。
「……いやしき奴隷の身に御手を差し伸べられた、ティタニア様の慈母の御心。その返礼が、このような悪逆極まる蛮行とは……断じて許されるものでは……天が、お許しになろうはずがありません!」
今話している彼女は、ティタニアの侍女だったらしい。ティタニアは、さる名家の令嬢で――と、涙をぬぐったニアヴが耳打ちしてくれた。
愛玩、見せ物、労働、兵士などなど、ゴブリンは奴隷として幅広く利用されていた。アトロゥもまた被支配階級の奴隷ゴブリンであり、そしてティタニアはそれを大規模に活用していた上流階級のご令嬢――というわけらしい。
そんなティタニアは、元侍女の言葉をうつむいて聞いていた。そして頭を上げると、あどけない顔をしかめて冷徹に言い放った。
「あの者にも、弱みはあります」
ティタニアはアトロゥから特別気に入られていたそうだ。来たるべき日のために彼女は、酒に酔ったアトロゥからいろいろと聞きだしていて――と、ふたたびニアヴからの耳うち。
ティタニアは激情を押し殺すように、厳粛に言葉を続けた。
「アトロゥは、その活動に陽光を必要とします。夜の間は、みずからで生みだした木の中で死んだように眠り、周りを配下の賊徒に守らせるのです。明日になればすべてが露見し、どうなるものかもしれません。今宵を逃せば、遠く時機は訪れないでしょう」




