(44)魔女について バスタいわく
目前の景色が、うなりを上げて一変する。
「……ゥゥゥウウウヴヴヴズズズウウウゥゥゥ……!」
それは、まさに「変身」だった。オレの眼前には、その身にオークの魔性を秘めるツノ枝のゴブリンがつるされている。それと同じような魔性の力が、しおれ耳のゴブリンからも発動されたのだ。
しおれ耳ゴブリンを押さえていたシルバーンの手が、枝葉によって宣誓の挙手のように跳ね上がった。
「ガサァーン!」
ゴブリンから噴出した木が、シルバーンの手を持ち上げたのだ。オレの話を疑っていたシルバーンも、これで信用するだろう――なんてナマやさしい状況じゃない。シルバーンは絡みついた枝葉に手足の自由を奪われ、そのまま宙に掲げられた。
カイナとブライムの方も、またたく間にふたりを取り囲んで木々が繁茂していく。ただの木ではない。ツノ枝ゴブリンのときと同様に、人の姿を形づくる魔性の木だ。
魔性の木は乳房とくびれた腰を形づくり、女人の曲線美を見せつけていた。その動作はしなを作り、官能的なほどだ。だが顔が粗雑にはがれ、ところどころガイコツがはみ出している。そしてその頭に、腕に、背中に――身体中のあちこちにゲッケイジュの枝葉を生やしていた。
魅惑的な女人になりすます樹木の妖魔。あの姿は、まさしく――
「ドライアド……!」
退路を断たれたカイナとブライムは、武器を構えて背中を合わせた。カイナの繰りだした鋼のこぶしが、ドライアドの首をへし折る。
「ベギィーッ!」
ブライムの振るった大太刀が、ドライアドの腕を切り落とす。
「スカァーンッ!」
しかしふたりの様子は、善戦しているとは言えなかった。ドライアドはとめどなく数を増やし、徐々にふたりは押されていく。せめてオレも加勢できれば。
だがオレは魔性を抑えるはずのグレイプニルに、後ろ手をいましめられていた。これはオレに与えられた罰だ。大剣を目と鼻の先に突き立てながら、ただ眺めるばかりのオレに対する神罰なのだ。
「なんて無様なんだ、オレは……ッ」
マハを助けられなかったばかりか、たかがゴブリン一体に後れを取り、もはや足手まといじゃないか。
いや落ちつけ。反撃のチャンスを待つんだ。オレを拘束して踏みつけにするツインテールゴブリンへ、一矢むくいるチャンスを。
「にじにじ、にじじぃ……」
今は頭を冷やし、状況をうかがおう。
アトロゥを見ると、ヤツもまた絶体絶命だった。無数のドライアドによって身体をがんじがらめにされ、残された唯一の自由は短剣を握る片腕だけになっていた。その片腕を使ってアトロゥは、短剣の刀身を自分自身の首スジに押し当てて――って、まさか――
「よせ……!」
ためらいは感じられず、ヤツの頭が落ちた。
「……ぼとり」
なぶり殺しにされるよりも、自分への引導は自分で渡すということか。得体の知れないヤツだったが、その決死の覚悟はたたえるべきかもしれない。だがオレは最後まで、決してあきらめないぞ。肉の一片になるまであがいてみせる、それがオレの覚悟だッ――
「……ん……?」
落下したアトロゥの頭が、ドライアドに当たって跳ねた。
「ぽぉーんッ」
妙に勢いよく跳ねて転がっていく。そのまま転がって、転がって――生首がひとりでに動いているように見える。
「ひょっころりん……ひょっころころりん……」
ドライアドを避けながら転がって、転がって――そこでオレの視界はさえぎられた。ツインテールゴブリンが一歩前進し、オレの眼前に立ちどまった。
「……ずんッ」
大剣は置き去りにし、棒立ちでたたずんでいる。どうやら目前で繰り広げられるドライアドの舞踏に目を奪われ、我知らずといったところか。
つまりオレは、ツインテールゴブリンの「踏みつけ」から解放され、ヤツの「後ろ」を取ったというわけで。
この千載一遇のチャンスを逃すものか。後ろ手に縛られたオレは、声は出さずに頭をふんばって――ふんがぁッ――ああああぁあぁぁあああ――
「ッ……」
オレは立ち上がった。反撃の手段は限られている。慎重に射程を見極め、ヒザを抱えるように片足を持ち上げた。標的はもちろん眼前に立ちはだかるツインテールゴブリン。体重を乗せて足の裏を弾きだせば――
「……ぅんッ!」
こん身で放った前蹴りは、ツインテールゴブリンの背中に命中。そのまま靴底が食いこみ、仇敵をふっ飛ばした。
「どゲシィッ!」
ツインテールゴブリンは爽快なほどにもんどりを打ち、逆立ちでドライアドの舞踏に加わった。
「ぐるんッ、ごろごろごろ……どん、ガン!」
ツインテールゴブリンはドライアドに抱きしめられ、ホッペタを挟まれて口に葉っぱを詰められている。
「フンッ……ゴブリンめ、ざまぁないな」
オレは口内の血に侮蔑を絡めて弾丸とし、ゴブリンに向かって発砲した。
「……ペッ」
オレは仲間たちに目を向けた。直視に堪えない惨状が、オレの目を奪う。オレの目前で展開されていたのは、血の杯が酌み交わされる酒池肉林の宴――サバトだった。
まずオレの目に映ったのは、宙でもてあそばれるシルバーンの姿だ。シルバーンにまとわりついていた枝葉は、ドライアドに姿を変えていた。シルバーンの頭を、腕を、脚を、もはやどこの部分だったのかも分からない肉片を、ドライアドたちは我も我もと奪いあっていた。
カイナも似たようなものだった。身体はかろうじてつながっていたが、あちこちがねじれて潰れ、頭もヒョウタン型に変形していた。不出来なマリオネットのようにされたカイナで、ドライアドは人形遊びに興じていた。
そしてブライムも、やはり悲惨な有り様だった。胸から下を失い、臓物を揺らしていた。
「ぶらん……ぶらーん……」
なぜ揺れていたかといえば、ドライアドに手を取られてダンスを踊っていたからだ。
ドライアドたちの肉がはがれた顔には、感情らしいものは見当たらなかった。だが鮮血を浴びた深紅の妖女たちは、その無表情に歓喜と、憤怒と、悲哀と、享楽をたたえているように見える。その姿態は地獄絵図を描きながらも、愛の賛歌を歌っているようにも見えた。こんなことを考えるなんて――
「どうかしてしまったのか、オレは……」
たくさんの仲間をうしなってしまった。もう何もかも手遅れで、オレの助けを必要としている者などここにはいないのだ。ここにいるのは、ひとりの「魔女」だけなのだ。
木の葉が火の粉のように舞い、ガイコツが陽炎のように揺れている。ドライアドの群れが舞踏に酔いしれ、しおれ耳のゴブリンを業火のように取り巻いていた。
「ヴゥゥォォオオオオ……ッ、ヴゥォォオオ……」
ゴブリンは両腕を木々に束縛され、裂けた布きれを肩から垂らして半裸をさらしていた。魔性の女を内包して炎が猛る光景は、まるで魔女の焚殺磔刑だった。だが魔女は拷問にむせぶこともなく、ほほ笑みにほころぶ薄目がちの瞳が、夢見るように光を揺らしていた。
そのブキミな光景に、オレは魅了されてしまったのかもしれない。次に取るべき行動に思いもいたらず、ただボンヤリと立ちつくしていた。するとしおれ耳のゴブリンが、さらなる変異を始める。
「……ゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウヴヴズオオオ!」
オレは頭を振り、自分に言い聞かせた。
「しっかりしろ、バスタ……ッ」
一刻も早く、ここを立ち去るんだ。生きてさえいれば、仲間の無念を晴らす機会だって、きっと訪れる。オレひとりでも逃げなければいけないんだ。
オレはきびすを返した。だからそれを見たのは、ほんの一瞬だけだった。しかし目の端に焼きつき、いつまでもオレの目に残像を残した。オレの目に映ったモノ――それは木だった。
その木は無数の枝々が絡みあって老婆を形づくり、森に巨体をそびやかしていた。だらしのない裸体に木々を突き立て、その頭頂は樹冠に埋もれてトンガリ帽子を被るようだった。
老婆の顔には、頭の半分ほどを占める大きな鼻があった。鼻スジは山なりのりょう線を描き、先がツララのように垂れてとがっている。大きすぎるカギ鼻の両側――目のあるべき部分には、ウロが深くうがたれていた。
老婆はうなだれ、深淵の闇がドライアドの輪舞を眺めている。間違いない。あの老婆は――この忌まわしきサバトを主宰する、あの人食いの老婆は――
「バーバヤガー……! この借りは、いずれ必ず返すぜ……!」
だが今のオレにできることは、後ろ手に縛られた背中を宿敵へ見せ、全力で走り去ることだけだった。




