(32)名前について パックいわく
それは木だった。断崖のへりに引っかかって、崖下からよじ登れる倒木だ。節くれが火を吹くヘビを形づくっているのは、オレがそんなイメージをしてしまったからで深い意味はない。長いモノを考えたら、そうなったのだ。
とにかく自分で作りだした木を、オレはよじ登っていった。崖の上まで到達して辺りを眺めると、立ち並ぶ木々の中にひときわ異彩を放つ一条の木があった。
その木は幹がのたくるようで、節くれがひしゃげた顔を形づくっていた。激昂に顔をゆがませ、無断で樹下に居座る「無礼者」へ、ガンをくれてやっていた。
怒れる大木は根が地表へ露出していて、その根に「赤いずきんの男」は座っていた。崖から離れて腰を下ろし、ニヤケ顔でオレの様子を見ていやがる。
話に聞いた通り、ヤツの両コメカミにはツノが折れたような跡があった。それからギョロリとした半月型の目で、シカメッツラの悪人相で――ヤツの顔にオレは見覚えを感じた。それと同時に、それがオレ自身の顔であることにも気がついた。嫌悪、憤まん、悲嘆、そして諦観。暗雲が渦を巻き、心にわだかまる。
……――……
そんなもの、踏んで砕いてしまえ。オレは裸足で大地を打ち、奮起の一歩を踏みだした。
「ズンッ!」
顔つきは、怒れる大木を参考に――こういうときだけは、オレのこの陰気なツラも少しは役に立つ。
オレが踏みだすと同時に、赤いずきんの男はあせった様子で立ち上がった。そしてヤツはユグレナ語で話しだした。
「待て、待て! 待てったらッ! 話がしたいんだよぉ!」
美術品のようなボガートの身体でガニ股を作りながら、ヤツは両の手のひらを突きだした。やりすぎでバカみたいな「待て」のポーズ。
「いきなりで信じられんだろうが、おまえはオレの息子なんだよ! おまえのことを聞いて、待っていたんだぜ! せっかく会えたんだし、話をしようじゃないか! いや本当によかった、よかった! 楽しみで仕方なかったんだ!」
コイツ、ふざけてんのか。しらじらしい言葉を並べやがって。イラ立ちが身体の中に積もっていく。思いっきりタメて、ヤツにぶちまけてやる。赤いずきんの男へ、オレは怒声で返した。
「よく言うぜ! ストレンジャーとつるんで、同族狩りがよ!」
「ち、違う! 襲われたんだよッ! それで仕方なく、あぁ……申しわけなかったが、身体を拝借させてもらったのさ……カワイソーなこと、しちまったなぁ……」
赤いずきんの男は、頭を抱えたり、自身を抱きしめたり――心痛表現だろうが、あまりにも大げさな身ぶり手ぶり。ワザとやっているのだろうか。不快というか、ブキミというか、ホントにどうかしているのか。とにかくコイツは、やはりボガートの身体を「拝借」したってことか。
「……はぁーあ……あー、そんなつまらんことより、親子のかたらいをしようじゃないか」
セリフのようなため息の後、赤いずきんの男はそっけない口調で言い放った。するとまた態度を変え、今度も芝居けたっぷりに続けた。
「……おまえの母さんは、とびきりのベッピンさんだったけなぁ……あぁ、今でもまぶたへ浮かぶ! 種族なんて関係ない、オレは美しいモノに目がないんだ。オレと母さんは、そりゃあ深く、深ぁーく愛しあっていたんだぜ? 昼となく、夜となく、おたがいを求めあってなぁ……へッへッへ。その愛の結晶が、おまえなのさ……」
赤いずきんの男は媚びるように話し、へつらうように尋ねてきた。
「……なぁ、お父ちゃんに教えておくれ。おまえの名前は、なんてぇんだ?」
ヘドが出るとは、このことか。オレは憤怒の表情を崩さないまま、その問いを無視して言葉を返した。
「……名前はなんだ」
「あ? あぁ、オレはアトロゥだよ。おまえは――」
「母さんの名前だよ。覚えてるだろ……愛してたんなら」
「あぁ? あぁッ、もちろんさ! あれはたしか……あー、えーとぉ……」
アトロゥね。やっぱりコイツがアトロゥか。そのアトロゥが、ずきんを整え始めた。赤い山折れずきんの奥にニヤケ顔をしまいながら、ニヤケ声で言葉を続けた。
「……そうだ、そうだ、ハーミアだ! あ、いや……ヘレナだったか……ヒポリタ? フィリダ……? あー、そうッ! そうだ、ニックボトムだッ! なぁ、そうだろッ? ヘッ、違うかッ! ヒャハハッ!」
目前ではしゃいでいるコイツが、疑いようもなく敵であることをオレは確信した。
……である……なら……
こんなヤツに動じてたまるかと、オレは嵐の前のような神妙さで言葉を発した。
「……オシアンが言ってたぜ。アトロゥはさらった女をはらませちゃ、産まれた子供の首を落としていたってな……」
ずきんの奥で見開かれたアトロゥの目が、らんらんと輝きながらオレの様子をうかがっている。オレの脚がすでに変容していることを、コイツは気づいているのだろうか。
オレの脚は、筋肉のスジが十倍に増えたかのようになっていた。無数の根っこが脚を取り巻き、大地に潜りこんでいた。
アトロゥの足元では、地面がわずかに盛り上がって土くれが動いた。
「モゾ……モゾモゾ……」
何事も起きちゃいないさと、オレは平然と話を続けた。
「……そんなどうかしてるヤツ、この世にいるもんなのかなと思ってたけど……」
ずきんの奥の目が、さらに大きく見開かれた。赤い瞳がギラリと輝き、息をのんだように身体の動きが止まった。
……その木に触れては……ん……あなたに……覚悟が……
あの声が脳裏へ鳴り響く。思考へ寄りそうようで、感情に輪郭が与えられていく。クッキリとした憤怒が、カラをたたいて産まれたがっている。
オレが口を閉じると、アトロゥも何も語らない。訪れた静寂は、ひと呼吸にも足りないほんの一瞬だけ。
……その木に触れてはなりません……あなたに森の君である覚悟がないのなら……
大地が割れ、怒りが噴きだした。怒りは幾多の木を形づくり、アトロゥめがけて枝葉を伸ばしていった。
「ドッヴアアアァァァアアンッ!……ゥウヴヴズウウウゥゥ……」
立ちはだかる敵を、ぶちのめしてやれッ。




