第14話 署名の前で
呼び出しがあったのは、全員審査の3日後だった。
庁本部は支部より天井が高い。
廊下の照明が等間隔に並んでいて、床が硬い素材になっている。足音が少し響く。
エレベーターを降りてから参事官室まで、廊下をまっすぐ歩いた。
途中で誰かとすれ違った。
書類を脇に抱えた中年の男で、俺を見ないまま通り過ぎた。
ドアをノックした。
◇
「どうぞ」という声がして、中に入った。
室内はそれほど広くなかった。
壁の一面に書棚が並んでいて、机の後ろに五十嵐参事官が座っている。
窓の外には建物が見えるだけで、空はほとんど切れていない。
「来てもらいました。先日の申し出の件です」
椅子を引いて座ると、机の上が正面に来た。
書類が2種類置かれていた。
片方は清書された文書で、角が揃えてある。
もう片方は薄い束で、クリアファイルにも入れず端に積んだような状態だった。
「協力文書の案文です。問題があれば話してください」と言いながら、五十嵐が文書を手前に向けた。
受け取って最初の段を読んだ。
一点だけ、視野の焦点が合う感覚があった。
協力文書ではない。もう一方の書類の方だった。
◇
「少し確認させてください」
五十嵐が手を止めた。
「そちらの書類を見てもいいですか」
何も言わずにファイルを渡してきた。
表紙に『臨時保守業者 立入申請書 南棟4F作業分』とある。
申請書を開いた。
作業場所の欄に『第4整備室』と書かれていた。
搬入経路の記載になると、『第4機材管理室に隣接する南棟サービスエレベーター経由』という表記に変わっていた。
同じ部屋を指しているはずが、2通りの名称が使われている。
「確認させてください。第4整備室と第4機材管理室は同じ部屋ですか」
「3年前に改称しています。現在は第4機材管理室です」
「南棟のサービスエレベーターは何時まで運用していますか」
「18時で停止します」
作業時刻の欄を確認した。
『20時から22時』と書かれている。
搬入経路に指定されているエレベーターは、2時間以上前に止まっている。
次のページをめくって、申請書の左側に目を移した。
ステープルの周辺に、小さな穴が2セット並んでいた。
一度外して留め直した跡だった。
「この業者は通さない方がいいです」
五十嵐が顔を動かさないまま言った。
「理由を聞かせてください」
「作業場所の部屋名が旧称と新称で混在しています。搬入経路に指定している南棟のサービスエレベーターは18時に停止しますが、作業時刻は20時からです。書類を一度綴じ直した跡もあります」
五十嵐が書類を受け取った。
しばらく黙って確認してから、インターホンに手を伸ばした。
「南棟の今週の臨時業者立入許可を止めてください。南棟4Fの申請分です。確認が必要になりました」
廊下を誰かが小走りで移動する音がして、遠ざかった。
「差し止めを入れました」
「分かりました」
書類をデスクの端に置いて、五十嵐が協力文書の方に視線を戻した。
◇
「続けましょう」
文書を改めて読んだ。
内部調査への協力範囲。情報の取り扱いと共有経路。担当窓口の明記。
どの条文も具体的で、読み方によって意味が変わるような書き方はされていない。
「1点、条件を加えてほしいことがあります」
「聞かせてください」
「《白狼の牙》に関係する情報を、私の確認なしに本部内で共有しないこと」
五十嵐が顔を上げた。
「理由は」
「あちらとの協力関係で得た情報は、あちらとの信頼を前提にしています。庁本部との協力とは独立して扱いたい」
しばらく沈黙があった。
五十嵐は何かを考えているのか確認しているのか、表情からは分からない。
「了解しました。条件を盛り込んだ改訂版を次回までに用意します」
「分かりました」
「立入申請の件については引き続き調査します。今日はここまでにしましょう」
椅子を引いた。
◇
廊下に出ると、窓の外がすでに暗くなっていた。
エレベーターを待つ間、壁の掲示板に目を向けた。
今月の施設利用案内と、来週の研修スケジュールが貼られていた。
自分には関係のない内容だった。
スマートフォンを確認した。
玲からメッセージが入っていた。
「倉本の再審査について日程を送ります。来週火曜の午前で調整します」
「分かりました」と返した。
エレベーターのドアが開いた。
中に入って、下のボタンを押した。
扉が閉まった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




