第13話 右手の違和感
審査室に入ると、まだ誰もいなかった。
テーブルが並び、窓から差し込む朝の光が床に細長く伸びていた。
部屋の端の椅子に座って、書類を整えながら外の音を聞いた。
エレベーターの音。
廊下を誰かが歩いて、遠ざかった。
◇
定刻の少し前に玲が来て、後ろに《白狼の牙》のメンバーたちが続いた。
支援スタッフのときとは空気が違った。
動きが少なく、静かで、それでいて部屋に密度が生まれる感じがある。
玲が先に俺に目を向けた。
「倉本です。クランの古参です」
倉本は40代前半に見えた。
俺を一度見てから、玲に視線を移した。
「よろしくお願いします」
倉本は返事をしなかった。
◇
支援スタッフから審査を始めた。
永瀬の後任は30代の男で、書類を確認しながら装備・スケジュール・サインの筆圧を見ていった。
問題はなかった。
次の医療担当の女性は回復系の魔道具を2種類持ち込む申請を出していたが、どちらも登録済みで形式番号と刻印が一致していた。
情報担当の男は書類の量が多く、通信系の機材が複数あって許可番号を1つずつ照合するのに10分かかった。
「時間をとってすみません」と男が言ったので、「いえ」と返して次に進んだ。
支援スタッフ全員を通すのに、30分ほどかかった。
その間、戦闘メンバーたちは壁際に立って待っていた。
倉本はずっと腕を組んだまま窓の外を向いていて、一度だけ俺の方を見たが、すぐに視線を外した。
◇
戦闘メンバーの番になった。倉本が最初に来た。
「どうぞ」と言いながら書類を受け取る体勢を作った。
倉本が装備リストを差し出した。
受け取った瞬間、【看破】が動いた。
一点だけ、視野の焦点が合う感覚があった。
右手だ。
書類を渡すとき、右手の動作が左より0.5テンポ遅かった。
利き手のはずが、補助的な動きをしていた。
「右手を確認させてください」
「問題ない」
「グリップのとき、右手より左手の動きが速かった。何かを庇っています」
倉本は答えなかった。
「……2週間前から、手首が痛い」
「使用予定の装備を確認させてください」
倉本が装備名を言った
。第十一層攻略用の、重量系の両手武器だ。
「振動の反動が手首に集中するタイプです。今の状態で使うと悪化します」
「俺が判断する」
「判断材料がなければ、判断はできません」
倉本が黙った。
玲が静かに言った。
「装備を変える。倉本の審査は日程を改めて設定する」
倉本は何も言わなかった。
残りの戦闘メンバーが順に来て、書類を出し、確認を受けて立ち去った。
倉本の一件について、誰も触れなかった。
4人目のメンバーが席に着くとき、わずかに間があった。
倉本の方を一瞬見てから、俺の前に書類を置いた。
問題はなかった。
最後のメンバーが部屋を出た後、一度だけ倉本の方を見た。
倉本は壁際に立ったまま腕を組んでいて、俺とは目が合わなかった。
◇
全員の審査が終わった。
メンバーたちが部屋を出ていく中で、倉本が俺の横を通り過ぎようとして、一度足を止めた。
「なんで分かった」
「書類を渡すとき、右手より左手の動きが速かった」
倉本はしばらく俺を見ていた。
部屋の出口に踏み出しかけて、足を止めた。
「いつからやっている」
「今年からです」
倉本はそれ以上聞かなかった。廊下に消えた。
◇
全員が出た後、玲だけが部屋に残った。
「次の攻略前にも頼む」
ただ、その日の会話の中に、「臨時」という言葉は一度も出てこなかった。
「はい」と答えて書類を揃えた。
「チームについて、何か気になることはあったか」
「倉本さんの件が一番大きかったです。他のメンバーについては、書類上も動作上も問題は見当たりませんでした」
玲はしばらく何も言わなかった。
それからドアの方へ向かいながら、少し間を置いて言った。
「倉本は、3年前の第九層にいたメンバーです」
書類を重ねる手を止めた。
「そうですか」
「あの一件以来、外部の人間を関わらせることに慎重になっていた。あなたの話も、そういう文脈で見ていた」
玲は俺を振り返らなかった。
「ただ、あの人が足を止めたのは、たぶん初めてです」
それだけ言って、玲は部屋を出た。
窓から差し込む光が、さっきより低い角度になっていた。
書類を手に取った。白
狼の牙のメンバーたちの名前が並んでいる。
五十嵐参事官の声が、少しだけ頭の中に残っていた。
文書、という言葉。
しばらくそのままでいた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




