第12話 火曜日
月曜の朝、廊下の窓から見える空が低かった。
昼前から雨が降り始めた。
廊下の窓ガラスに水滴が伝い、外の景色が少しぼやける。
書類を手に取る。日付を確認して、受理票を付けた。
次の係のトレイに置く。また1枚。
昼休みに同僚たちが食堂に向かった。
弁当を机の上に置いたまま、しばらく開けなかった。
廊下から誰かの笑い声が聞こえる。
遠ざかって、聞こえなくなった。
窓の外は灰色だった。
雨は夕方まで続いた。
書類が減り、また補充され、また減った。
明日、申請が出る。
どこにでもある月曜だ。
定時になってタイムカードを押す。
傘をさして商店街を抜けた。
部屋に着いてから、しばらく何もしなかった。早めに眠った。
◇
火曜の午前中に、五十嵐参事官からメッセージが来た。
『申請が受理されました。担当は一ノ瀬です。確認体制に入ります』
『分かりました』と返した。
あとは待つしかない。
◇
特別入坑申請の処理時間帯は昼前後だ。
庶務の席で書類を手に取る。
日付を確認して、受理票を付けた。
次の係のトレイに置く。
時計を見ようとして、手を止める。
正午を少し過ぎた頃、スマートフォンが振動した。
引き出しに入れたまま、次の書類を手に取った。
申請書の日付を確認する。問題はなかった。受理票を押して、トレイに置く。
廊下に足音がした。
少し間を置いて、庶務の引き戸が開いた。
「すみません」
顔を上げた。一ノ瀬だった。
紺色のジャケット。クリアファイルを1枚持っている。
「機材の返却届の様式なんですが、こちらで確認いただけますか」
「様式番号を確認させてください」
受け取ったファイルを開く。
様式第十四号、機材返却届。書式に問題はなかった。
「こちらで合っています。提出先は第2係のトレイになります」
「ありがとうございます」
ファイルを受け取って、一ノ瀬が引き戸を閉めた。
廊下の足音が遠ざかり、聞こえなくなった。
先輩職員がコーヒーを一口飲む音がした。
引き出しからスマートフォンを取り出した。画面を開く。
玲からのメッセージだった。着信は12時07分。
『確認しています』
それだけだった。
画面を閉じて、引き出しに戻す。
沼田のとき、情報は報告書を提出してから5分以内に流れた。
一ノ瀬が申請を処理するとき、5分もかからないはずだ。
処理して、送信する。それだけで証拠は成立する。
今回は逆だ。その5分間を、五十嵐参事官が押さえている。
時計を見ようとして、また手を止めた。
スマートフォンが鳴ったのは、それから2時間ほど後のことだった。
『記録されました。証拠として成立します』
『分かりました』
『今日の夕方に一ノ瀬を呼びます。同席は不要です』
沼田のときは同席した。
『はい』
電話を切った。
「今日は定時で上がれそうですね」と先輩職員が言った。
「そうですね」と俺は返した。
◇
夕方、書類の回送で廊下を歩いた。
特別入坑申請係の前を通ったとき、いつも開いている部屋の扉が閉まっていた。
廊下の向こうに人の気配はない。
足は止めない。
廊下の奥で、誰かが電話をしていた。
声はくぐもっていて、内容は分からない。
通り過ぎると、声も聞こえなくなった。
庶務に戻って、残りの書類を片付けた。
それから退勤した。
外の雨は上がっていた。
地面が濡れていて、街灯の光が水たまりに映る。
途中の自販機で缶コーヒーを1本買った。
歩きながら飲んだ。味はあまり覚えていない。
アパートに着いて、荷物を置いた。
着替えてから、しばらく何もしなかった。
電話が来たのは9時に近い頃だ。
◇
五十嵐参事官からだった。
『認めました。沼田と同じ組織との接触です』
『分かりました』
『その組織については、以前から内偵が入っています。ただ、庁内に協力者がいるという確証が取れなかった』
『今回で、繋がりましたか』
『はい。沼田のルートは先月で断ちました。今回で2本目が塞がります』
少し間があった。
「それと」と五十嵐が続けた。
『あなたとの協力関係を正式なものにしたい。庁本部の協力者として、文書を作ることができます』
『少し考えさせてください』
『急ぎません。ただ、正式になれば動ける範囲が変わります』
『はい』
電話が切れた。
しばらく、画面を持ったままにしていた。
それから、玲にメッセージを送った。
『一ノ瀬の件、決着しました。証拠として成立しています』
返信は早かった。
『確認しました。引き続きよろしくお願いします』
壁の時計を一度だけ見た。9時を少し過ぎていた。
スマートフォンの画面を閉じようとして、止まった。
通知欄に、五十嵐参事官からの着信と玲からの返信が並んでいる。
閉じた。
窓の外に雨の音はない。部屋の中が静かだった。
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