第6話 ボスがいないダンジョン
俺たちは玉座の前に立った。
「……いない」
ミリアが呟いた。
その声は、妙に乾いていた。
玉座は確かにそこにある。
赤い絨毯の先、数段の階段を上った先に据えられた豪奢な椅子。
左右には歴代の王を描いたであろう絵画、壁際には磨き上げられた甲冑が規則正しく並んでいる。
すべてが“それらしく”整っているのに、肝心の存在だけが抜け落ちていた。
「ボスがいない」
誰に言うでもなく、俺はそう口にした。
その瞬間、視界の端に鑑定結果が割り込む。
【鑑定結果】
【本来ボス:削除済み】
【代替処理:進行中】
「削除って……」
ミリアが眉をひそめる。彼女の手に握られた剣が、わずかに揺れた。
「そのままの意味だろ」
俺は肩をすくめるが、内心は全く笑えない。
「データごと消されたってことだ」
「そんなこと、あり得るの?」
「普通はあり得ないな」
嫌な考えがよぎった。
「恐らくシナリオごと消されたんだよ。意図的に」
その言葉を口にした瞬間だった。
空気が、軋んだ。
まるで見えない手で空間を捻じ曲げられたように、視界がわずかに歪む。
耳鳴りのような低い音が、足元から這い上がってきた。
「来るぞ」
俺が短く告げる。
ミリアは即座に反応し、剣を構え直した。
彼女の動きに迷いはないが、その呼吸は浅くなっている。
床に影が落ちる。
だが、それはおかしかった。
光源と一致しない。いや――そもそも、影が先にある。
現実が、遅れてその形に追いついてくる。
「……なに、これ」
ミリアの声が震えた。
俺も言葉を失う。
影は徐々に濃くなり、輪郭を持ち始める。
それに合わせて、空間が軋みながら埋まっていく。
【新規存在:生成中】
視界の表示が、まるで焦っているかのように点滅した。
「今度は何?」
「……分からん」
本当に、分からなかった。
俺の中で目覚めた【予定された未来】を見る力でも、表示が追いついていない。
それどころか、何かを“後から補完している”ような、不安定さすら感じる。
そして――
“それ”が、生まれた。
空間の歪みが弾けるように収束し、影に肉が与えられる。
「……嘘でしょ」
ミリアが息を呑んだ。
人の形をしている。
だが、人ではない。
輪郭は確かに人型なのに、内部が空洞のように揺れている。
皮膚の内側に何もなく、ただ“空間そのもの”が詰め込まれているかのようだった。
時折、その体の内側が透け、背後の玉座が歪んで見える。
「ボスの代わり……か」
俺は低く呟く。
遅れて、視界に文字が浮かび上がる。
【代替ボス】
【性質:未定義】
【難易度:測定不能】
「……最悪だな」
難易度測定不能……
こんな表示を見たのは初めてだった。
つまり、基準そのものが存在しない。
「ねえ、これ……本当に戦える相手なの?」
ミリアが小声で問いかける。
その問いに、俺は即答できなかった。
目の前の存在は、こちらを認識しているのかどうかすら分からない。
ただ、ゆらゆらと揺れながら、形を保つことに集中しているようにも見える。
だが――
次の瞬間“それ”の顔にあたる部分が歪んだ。
いや、それが″歪んだように″見えた。
輪郭が引き延ばされ、空洞がねじれ、そこに“表情”が生まれる。
笑っている。
あり得ない形で、確かに笑っていた。
「……っ!」
ミリアが一歩下がる。
同時に、“それ”が動いた。
足音はない。
だが距離が、一瞬で詰まる。
「来るぞ!」
叫びながら、俺は武器を構えた。
現実が、ようやく追いつく。
戦闘が、始まる。




