第七話 何でだ?
同じ日の午後、王都にある二軒の屋敷で、よく似た声が上がった。
「何でだ?」
最初は、トマレイン侯爵家だった。
パーシバルは父の書斎で、リーベン侯爵家から届いた返書を三度読んだ。
丁寧な手紙である。
――先日は足を運んでもらい感謝している。話を聞けたことは有意義だった。よく考えた結果、別の方へお願いすることにした。
断りの手紙として、どこにも不足はない。
不足があるとすれば、なぜ自分が選ばれなかったのか書いていない点だった。
「先方は、何と?」
机を挟んで座っている父が尋ねた。
「別の候補に決めたそうです」
「そうか」
「驚かないのですか」
「三人の候補がいると聞いていた。二人は断られる」
「ですが、私です」
「お前だな」
父は落ち着いてうなずいた。自分の息子であることくらい、よく知っている。
「家格、年齢、経験。どれを見ても、私が最もふさわしいでしょう。リーベン家が今後必要とする人脈もあります」
「その話は先方にも?」
「もちろんしました。今ある取引に頼らず、新しい事業へ目を向けるべきだと。羊毛をただ売るのではなく、製品にして付加価値を高める方法もあります。北部の街道が整えば、王都への輸送も――」
「パーシバル」
父が片手を上げた。
「私は、お前の新規事業について尋ねていない」
「分かっています。ですが、それだけリーベン家のことを考えて話したのです」
「相手は何を話した?」
「何を、とは?」
「アストリッド嬢だ。今後、家をどうしたいと言っていた」
パーシバルは返書から顔を上げた。
「現状を把握したいと」
「ほかには?」
「領地の堤を修繕する必要があるそうです」
「それについては話したのか」
「いいえ。ですが、個別の事業より先に、全体の問題を整理する必要がありますから」
「修繕は終わっていないのだろう」
「そのようです」
「ならば、本人はそれを先に終わらせたいのではないか?」
「だからこそ、優先順位をつける人間が必要なのです」
話が一周した。
父は椅子の背へもたれ、机の端に置かれた商会からの報告書へ目を向ける。
「お前は、先方の希望を聞きに行ったのか。それとも、自分の話をしに行ったのか」
「どちらもです」
「そうか」
父親の返事は短かった。
パーシバルは手紙を畳み直した。折り目が少しずれ、もう一度開いて整える。
「おそらく、アストリッド嬢は今、変化を望んでいないのでしょう。ご両親を亡くしたばかりですから、慎重になりすぎている」
「その可能性はあるな」
「目の前の仕事を片づけることしか考えられず、五年後、十年後を見る余裕がない。残念ですが、今の彼女には私の提案が早すぎたのかもしれません」
断られた理由が一つ見つかった。
自分が間違っていたのではなく、相手がまだ理解できる状態ではなかった。大変便利な理由である。
「別の縁談を探します」
「そうしなさい。ただし、しばらくはリーベン家へ連絡を取るな。先方は喪中だ」
「分かっています」
「それから、お前が進めている南部の果実の取引だが、もう一度見直せ」
「なぜです?」
「先方の商会から、追加の出資を求められている」
「新しい取引には、ある程度の先行投資が必要です」
「報告書を読んでから言いなさい」
「私が確認します」
「最初から、そのつもりでここへ呼んだ」
父は報告書を息子の前へ置いた。
パーシバルは返書を上着の内側へしまい、新しい事業の説明を始めた。
相手の話を聞け、と言われた直後だった。
*
もう一軒は、エンゲダー公爵家である。
「何でだ!」
こちらは、屋敷の廊下まで聞こえた。
トラヴィスは父の前で、断りの手紙を握っていた。
「何で私が断られるのです。侯爵家でしょう? 公爵家の私が婿入りすると言っているのですよ」
「座りなさい」
エンゲダー公爵は、耳を押さえながら命じた。
同席している長男は窓辺の椅子に座り、弟を見ている。母である公爵夫人は刺繍の手を止めていた。
「アストリッド嬢は、相手を決めたのですか?」
母が尋ねる。
「そう書いてあります。別の候補へお願いすることにしたと」
「では、仕方がないでしょう」
「母上まで」
「あなたとは合わないと思ったのでしょうね」
「一度会っただけで、何が分かるのです」
それなりに分かったから断られた可能性は、トラヴィスの中にはないらしい。
「お前は、先方で何を話した」
父が聞いた。
「公爵家との縁が、リーベン家にとってどれほど役立つかを説明しました」
「それだけか」
「侯爵となったあとの生活についても」
「どのような?」
「私は王都での付き合いがありますから、領地の細かな仕事は管理人へ任せるべきだと」
「婿入り先の仕事を?」
「当主が何もかも自分でする必要はないでしょう」
公爵はこめかみへ指を当てた。
「ほかには」
「夫婦は、互いの私生活を尊重するべきだと申し上げました」
母の刺繍針が止まる。長男がゆっくり弟へ顔を向けた。
「……トラヴィス」
「何です、兄上」
「お前は、結婚後も女性関係へ口を出すなと、婿入り先の令嬢に言ったのか」
「そのような下品な言い方はしていません」
「上品に言えば、気づかれないと思ったのか?」
「だから、男女ともに友人との付き合いは必要だという話です。互いに大人なのですから」
「今、親しくしている女性は?」
父に尋ねられ、トラヴィスは答えを止めた。
「友人はおります」
「女性だな」
「社交の場では、珍しいことではありません」
「その付き合いを続ける許可まで、先に取ろうとしたのね」
母が、刺繍枠を卓上へ置いた。
「許可ではありません。結婚後に余計な争いを避けるため、考えを伝えただけです」
「避けたではないか」
長男が言った。
「結婚そのものを」
「兄上」
「それで、お前はリーベン侯爵家のために何をするつもりだった?」
「侯爵として必要な役目を果たします」
「具体的には?」
「それは、実際に家へ入ってから決めます」
「厩舎を空けておくよう頼んだそうだな」
父の言葉に、トラヴィスの顔がわずかに動いた。
「馬を連れていく必要がありますから」
「自分の馬を置く場所は、家へ入る前から決めたのだな」
「何がいけないのです」
長男が額を押さえ、母は息子から刺繍へ目を戻した。
「先方が誰を選んだかは分かるのか」
「まだ公表されていません。ただ、トマレイン侯爵家のパーシバルも断られたそうです」
「ならば、残るのはオイゴット伯爵家の三男か」
「まさか」
トラヴィスは即座に言った。
「大学で文学を学んでいるだけの男でしょう。領地経営の経験もない。家格も一番下です。私やパーシバルを退けて、そんな男を選ぶはずがありません」
「しかし、候補は三人だったのだろう」
「何か事情があるのです。扱いやすい男を形だけの侯爵にして、実権を握るつもりなのかもしれない」
「それなら、お前は扱いにくいと思われたのだな」
「父上」
「家格が高いだけで、自分が選ぶ側だと勘違いしている男は扱いにくい」
公爵は机の上の手紙を取った。
「この話は終わりだ。先方へ余計なことを言うな」
「ですが、公爵家が侯爵家に断られたのですよ」
「断られたのはお前だ。公爵家ではない」
「同じことです」
「同じにするな」
父の声が低くなった。
「エンゲダーの名があれば何をしても許されると思うなら、今のうちに改めなさい。公爵家は、お前一人の後始末をするためにあるのではない」
「私は何もしていません」
「今回はな」
長男が小さく付け加えた。
トラヴィスは兄をにらみ、手紙を卓上へ置いた。
「いずれ、アストリッド嬢も自分の選択を後悔します。侯爵家の仕事を何も知らない学生に、家を任せられるはずがない」
「それを、お前が心配する必要はない」
「私は事実を言っているだけです」
トラヴィスは立ち上がった。
「今夜は外で食事をしてきます」
「どなたと?」
母が尋ねる。
「友人です」
「女性ね」
「互いに大人ですから」
便利な言葉を残し、トラヴィスは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
公爵夫人は刺繍枠を持ち上げたが、すぐには針を動かさなかった。
「あなた」
「何だ」
「あの子、本当にどなたかのお婿になれるのかしら」
「今のままでは難しいだろうな」
「もう少し強く言ったほうがよいのでは?」
「先ほど言った」
「聞いていませんでしたよ」
「そうだな」
公爵は息子が置いていった手紙を畳んだ。
同じ頃、パーシバルは相手の見る目が足りなかったと考え、トラヴィスは相手が自分を扱えないのだと考えていた。
二人とも、自分が何を間違えたのかは分からなかった。
リーベン侯爵家から丁寧な断りの手紙は届いたが、反省する機会まで同封することは、さすがにできなかったようである。




