第十七話 書いていなかったこと
「さらに資金が必要です」
パーシバルは、差し出された書類をすぐには受け取らなかった。
「先日、出したばかりだろう」
「その資金は、増収分の買い取り代金と箱材の手配、保管庫の借り入れに使いました」
「ならば、果実を売れば戻る」
「王都へ運べた分は売れました」
南部から戻った担当者の上着には、長旅の皺が残っていた。隣に座る会計係は、もう一枚の書類をパーシバルの前へ置く。
最初の書類には、豊作となった果実を王都で売った場合の予想利益が書かれている。
二枚目には、実際に売れた量と、傷んだ量が書かれていた。
「王都まで運べたのは、買い取った果実の四割です。二割は南部の町で値を下げて売りました。残り四割のうち、加工へ回せたものが一割。三割は廃棄になります」
「三割も捨てたのか?」
「荷馬車が足りず、借りた保管庫の修理も間に合いませんでした」
「そのために金を出したのではないか」
「金は届きました。ですが、五日で箱を作る職人と、荷馬車と、御者までは増えません」
担当者の返事は、疲れていた。
パーシバルが承認した計画では、豊作による増収分まで買い取り、王都へ送れば大きな利益が出るはずだった。
追加資金の半分近くは、果樹園へ支払う手付金になった。残りで箱材を買い、空いている建物を借り、屋根の修理を頼んだ。
箱材は届いた。
建物も借りた。
職人が箱を作り、屋根を直している間にも、果実は熟した。
荷馬車を探している間にも、さらに熟した。
書類の中では、果実は行儀よく箱へ入り、必要な日まで待ってくれる。実物は、そういう教育を受けていなかった。
「今回必要なのは、果樹園との契約で残っている買い取り代金と、傷んだ果実を処分する費用です」
会計係が説明した。
「それを払えば、利益はどれだけ残る?」
「残りません」
「では、最初に出した資金は?」
「現在の売り上げでは、三分の一ほどしか回収できません」
パーシバルの指が、二枚目の書類の端を押さえた。
「現地から出された提案書には、そんなことは書かれていなかった」
「はい」
担当者はあっさり認めた。
「収穫見込みと王都での売値は書かれていました。現在使える保管庫の広さ、確保済みの荷馬車、箱を作れる職人の人数は書かれていません」
「ならば、現地の責任ではないか」
「不十分な提案書だけで、家の金を出したのは誰だ」
応接室の扉が開いた。
パーシバルの父が入り、向かいの椅子へ座る。担当者と会計係は立ちかけたが、手で制された。
「お父様。いらしていたのですか」
「三度目の資金を止めに来た」
「しかし、買い取り代金を払わなければ、こちらの信用に関わります」
「契約した代金は払う。果樹園の者は、約束どおり果実を育てて渡した。こちらの失敗を押しつけるつもりはない」
「では、資金を」
「商会の予備金から出す。新しい保管庫も、追加の輸送も、これ以上は認めん。残った果実は、今ある設備で売るか加工する」
父は会計係へ顔を向けた。
「損失額は、パーシバル名義の出資分として確定しろ。今後三年、こいつへ渡す予定だった利益配当から補塡する」
「三年もですか」
「家の金を使ったのだ。家が損をかぶり、お前だけが次の事業へ移れると思ったか?」
予想利益は、パーシバルの手柄になるはずだった。
損失も同じ持ち主でなければ、話が合わない。
「現地の担当者にも責任はあります。必要な情報を書かなかった」
「調べる。提案書を作った者にも、数字の根拠を出させる。だが、相手にも責任があることと、お前に責任がないことは同じではない」
父の指が、最初の書類を叩いた。
「現在の保管庫には、いくつ箱が入る」
「書類にはありません」
「何台の荷馬車を確保していた」
「それも」
「収穫が予定より早まった場合、何日で代わりを用意できる」
パーシバルは答えられなかった。
「お前は、何を見て金を出した」
「予想される売り上げと、必要な資金です」
「売り上げになる前の果実を、どこへ置き、何で運ぶかは?」
「現地で手配するものだと」
「手配できるかを確かめず、できるものだと思ったのだな」
少し前、商業倶楽部で自分が言った言葉を、パーシバルは思い出した。
手紙を読んだだけだ。誰にでもできる。
ウィルフレッドは、手紙に書かれた金額だけでなく、以前と変わったところを拾った。パーシバルは大きな利益を見て、その利益を支えるものが書かれていないことに気づかなかった。
誰にでもできると思っていたことを、自分はしていなかったらしい。
「今月から、お前一人で出資を決める権限は止める」
父が告げた。
「今後一年は、商会の責任者と私、両方の承認を得ろ」
「一年も?」
「短いと思うなら、三年にするか」
「一年で結構です」
「それから、明日、南部へ発て」
「私が?」
「自分の金を失っただけなら、部屋で反省していても構わん。今回は、果樹園にも商会にも損をさせた。現地へ行き、誰が何を知っていて、何が足りなかったのか、自分で聞いてこい」
失敗した息子を閉じ込める父親もいる。別の仕事を与え、二度と金へ触らせない家もある。
パーシバルの父は、息子を失敗した場所へ送り返した。
大切な跡取りなので守りたい。大切な跡取りだから、馬鹿なままにはしておけない。
親というものも、なかなか忙しい。
*
南部の保管庫へ入る前から、甘酸っぱい匂いがした。
熟した果実の香りとは違う。潰れて汁が出て、発酵しかけた匂いである。
倉庫の脇には、傷んだ果実を入れた籠が積まれていた。まだ使える部分を選り分け、煮詰めて売るため、町の女たちが忙しく働いている。
予想利益を書いた紙には、この匂いはなかった。
「なぜ、すぐに王都へ送らなかった?」
パーシバルが尋ねると、倉庫を預かる男は籠を指した。
「何で運びます?」
「荷馬車だ」
「この時期は、麦と葡萄で埋まっています」
「追加で雇えばよかっただろう」
「三週間前なら、まだ押さえられました」
「収穫が始まってからでは遅いのか」
「果実は待ってくれませんから」
「保管庫は?」
「空いていた建物を借りました。屋根に穴がありました」
「先に直しておかなかったのか」
「豊作になると分かった時には、職人が他の農園へ入っていました。金を出して順番を早めてもらいましたが、それでも八日かかりました」
壁際には、使われなかった新しい木箱が積まれている。
「これは?」
「追加資金で作った箱です」
「なぜ使っていない」
「出来上がった頃には、入れる果実が傷んでいました」
新しい箱は、きれいだった。
王都の応接室で見た提案書と同じくらい、きれいだった。
その日の午後、パーシバルは倉庫の前へ机を出してもらった。
倉庫の責任者、荷馬車を手配する者、果樹園の持ち主、箱を作った職人を順に呼ぶ。最初は、誰も彼と目を合わせたがらなかった。
「今回、誰が悪かったかを聞きに来たのではない」
そう言ってから、パーシバルは紙の上へ置いたペンを持ち直した。
「いや。それも後で必要になる。先に、何が、いつ足りなくなったのかを教えてほしい」
今日使える荷馬車は三台。
一台に積める箱は二十四箱。
傷んでいない果実の選別は、明日の昼に終わる。
加工用の大鍋が一つ足りない。修道院から借りられるのは、夕方から夜明けまで。
聞けば、答えは出た。
ただし、聞く質問を間違えると、欲しかった答えだけが返ってくる。パーシバルはそれを知るために、ずいぶん高い授業料を払った。
*
パーシバルが王都へ戻ったのは、五週間後だった。
持ち帰った報告書には、買い取った果実の総量、王都へ運んだ量、南部で売った量、加工した量、廃棄した量が分けて書かれていた。
最終的な損失は、最初の見込みより少し減った。
利益にはならなかった。
父は最後まで読み、報告書を机へ置いた。
「責任はどこにあった」
「提案書を作った者は、輸送と保管の見込みを確かめず、売り上げだけを出しました。現地の責任者も、間に合わない可能性をすぐ知らせなかった」
「それだけか」
「私が、書かれていないことを確認せず、出資を決めました」
父は一度うなずいた。
「権限停止は一年のままだ。その間は、この形式で報告書を作れ」
「はい」
「三年分の配当から補塡することも変えん」
「……はい」
よく学んだから、損失が消えるわけではない。
失敗から何かを得た者に、失った金まで返してやる必要はなかった。
翌月、商会へ新しい提案書が届いた。北部の羊毛をまとめて買い付け、王都へ運ぶ計画だった。
予想利益は大きい。
パーシバルは最初の頁を読み、商会の責任者を呼んだ。
「羊毛を置く倉庫は、もう確保してあるのか?」
「候補はございます」
「候補ではなく、今使えるのはどこだ。荷馬車は何台必要で、誰が確認した?」
責任者が提案書をめくり、首を傾げた。
「こちらには書かれておりません」
「では、現地へ聞いてくれ。返事が来るまで、出資は決めない」
提案書の余白には、新しい項目が三つ並んだ。
『保管場所』
『輸送手段』
『現地で確認した者』




