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では、一番条件の悪い方を婿にします ~侯爵令嬢が選んだのは、伯爵家の眼鏡三男でした~  作者: さんけい


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第十四話 婿が来る日

 結婚式の朝、オイゴット伯爵家の玄関には、十二個の箱と三つの鞄が並んでいた。


「多くないですか」


 礼装に着替えたウィルフレッドが尋ねる。


「本だけで七箱あるからな」


 長兄が箱の数を確かめた。


「減らしたのよ」


 母が答える。


「これで?」

「大学に置いてきたものもあるでしょう。あとで取りに行かなくては」

「もう本棚に入らないんじゃないか」


 次兄は、一番大きな箱を持ち上げた。


「その時は本棚を増やせばいいのよ」

「リーベン家の床が抜けますよ」

「お前は、人の本より自分の体重を心配しろ」


 長兄の言葉に、次兄の眉がつり上がる。


「兄上より軽いですよ」

「背丈が違う」

「体重の話でしょう」

「朝から喧嘩しないの」


 母が二人を止めた。

 別邸から来た姉は、末弟の襟元を直している。


「予備の眼鏡は?」

「内ポケットにあります」

「ハンカチは?」

「ここに」

「指輪は?」


 ウィルフレッドの手が止まった。

 家族全員の顔が、一斉にこちらを向く。


「あります」


 反対側の内ポケットから、小さな箱が出てきた。

 父が息を吐き、長兄は額を押さえた。


「今の間は何だ」

「どちらのポケットへ入れたか考えていました」

「頼むから、式が終わるまで、その服を脱ぐなよ」

「脱ぎません」

「箱も出すな」

「分かっています」


 父は息子の肩へ手を置いた。


「緊張しているか」

「少し」

「侯爵になることに?」

「それもあります。でも、今日はリディと結婚する日なので」


 ウィルフレッドの目が、眼鏡の奥で少し細くなった。

 父はその顔を見て、肩を軽く叩く。


「なら、そちらだけ考えていろ。侯爵の仕事は、明日から一つずつ覚えればいい」

「はい」

「困った時は帰ってきなさい」


 母が言った。


「帰すな。婿入りする日に帰る話をするな」

「相談に来ればいいという意味よ」

「それなら、そう言いなさい」

「相談でなくても帰ってきていいのよ。食事だけでも、お茶だけでも」

「母上」

「分かっているわ。ここは、もうあなたの家ではなくなるのでしょう」


 言いながら、母の目に涙がにじんだ。

 姉が差し出したハンカチで目元を押さえ、息子の礼装をもう一度見る。


「幸せになるのよ」

「はい」


 母はうなずいた。


「アストリッド様にも、幸せにしていただくのよ」

「そこは、僕が幸せにするのでは?」

「一人でできると思っているの?」

「思っていません」

「なら結構です」


 送り出されるのは息子だが、オイゴット夫人のすることは、ほとんど娘を嫁がせる母親と同じだった。


*


 リーベン侯爵家の礼拝堂には、領内の主だった者と、両家の親族が集まっていた。

 大きな式ではない。

 それでも、村や町から祝いの品が届き、厨房では夜明け前から料理人たちが働いている。ベルン村からは冬越し用の林檎が一箱送られ、上には村長からの手紙が添えられていた。

 西の堤の補強は、本格的な雪になる前に終わった。

 今日は川の話も、工事の話も休みである。

 控えの間で、アストリッドは母が使っていた黒玉の飾りを手にしていた。

 結婚式のドレスは、淡い象牙色。胸元と袖には、母の婚礼衣装から外したレースが縫いつけられている。


「こちらへつけますか」


 エリアが黒玉を受け取った。


「ええ」

「よくお似合いになります」


 鏡の中に、黒い飾りが加わった。

 喪は明けた。

 父と母がここへ戻ってくるわけではない。


「お嬢様」


 エリアが背後から肩へ触れた。


「もう、お時間です」

「分かっているわ」


 アストリッドは立ち上がった。

 扉の外では、ルイスが待っていた。


「礼拝堂まで、お供いたします」

「お願い」


 ルイスと並んで廊下を進む。

 礼拝堂の前で、扉が開いた。

 父の腕につかまって歩くはずだった道を、アストリッドは一人で進んだ。

 祭壇の前に立つウィルフレッドが、こちらを見る。

 目が大きくなり、口が少し開いた。

 アストリッドが隣へ立っても、まだ何も言わない。


「ウィル」

「はい」

「どうしたの?」

「きれいです」


 結婚式の日に、新郎が花嫁へ言うべきことは、おそらくもっとたくさんある。

 見た瞬間に全部忘れた男には、その一言しか残っていなかった。

 アストリッドの口元がゆるむ。


「ありがとう」


 それで、足りたらしい。

 二人は司祭の前で誓いを述べ、指輪を交換した。

 ウィルフレッドは指輪の入った箱を落とさなかった。膝もぶつけず、アストリッドの裾も踏まない。

 オイゴット家の席で、母と姉が同時に息を吐いた。

 婚姻の証書へ二人が署名し、王家から届いた書状が読み上げられる。

 リーベン家の継承を認め、ウィルフレッドを新たな侯爵とする。

 署名を終えたウィルフレッドは、一度だけ自分の名を見直した。

 昨日までと同じ名前でありながら、今日からは、リーベン侯爵家を背負う名前になっている。

 アストリッドの手が、隣で重なった。


「よろしくお願いします、侯爵様」

「急にそう呼ばれると、困ります」

「今、正式に決まったでしょう」

「リディまで、その呼び方にするのですか」

「人前では」

「二人の時は?」

「ウィルです」


 眉間に寄りかけた皺が消えた。


「それなら、大丈夫です」


 式のあとの食事会には、焼いた鶏と牛肉、豆の煮込み、チーズを入れたパン、木の実の焼き菓子が並んだ。

 ベルン村から届いた林檎は、蜂蜜と香辛料を入れて焼かれている。

 オイゴット家の長兄と次兄は、領地の管理人たちと酒を酌み交わし、姉はエリアから屋敷の話を聞いていた。

 父はルイスと向かい合い、息子に任せてよい仕事と、まだ任せてはいけない仕事を真剣に話している。

 母は、アストリッドの隣へ座った。


「これから、どうお呼びすればよいかしら」

「今までどおり、アストリッドで」

「呼び捨てにしても?」

「はい。私も、お義母様と呼んでよろしいですか」


 母の目が丸くなった。


「もちろんよ」


 返事をしたあと、口元が震えた。


「泣かないつもりだったのに」

「朝から泣いていたでしょう」


 父が向かいの席から言った。


「今のは違います」

「何が違うんだ」

「息子を送り出す涙と、娘ができた涙です」


 アストリッドは、卓の下でウィルフレッドの手を探した。

 指が触れると、すぐに握り返される。


「お義母様」

「何?」

「ウィルを、お預かりします」

「返さなくていいわよ」

「母上」


 新しい侯爵の声は、家族の笑い声に埋もれた。


 *


 翌朝、屋敷の玄関へ十二個の箱と三つの鞄が運び込まれた。

 最後に届いた本の箱には、オイゴット夫人の字で札が貼られている。


『第一便』


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