第十三話 あの男のどこが
王宮の夜会から数日、ウィルフレッドの評判はなかなかよかった。
国王への挨拶を間違えなかった。
晩餐会では、以前に読んだ報告書から相手の名前を思い出した。
最初の一曲を、婚約者の裾を踏まずに踊りきった。
どれも華々しい功績ではない。だが、結婚相手として見るなら、華々しい失敗をしないことは大切だった。
ことに、アストリッドが何度か笑っていたことは、周囲の夫人たちによく見られていた。
「思っていたより、お似合いですわね」
「オイゴット家の三男は、もっと頼りない方かと」
「でも、きちんとアストリッド様を立てていらしたでしょう」
「領地の堤も、もう工事を始めたそうですわよ」
噂は王宮から馬車へ乗り、翌日にはいくつもの屋敷と会員制倶楽部へ到着した。
人の評判は、本人よりずっと社交的である。
パーシバルがその話を聞いたのは、商業倶楽部の談話室だった。
南部の果実取引について、共同出資者と話をしたあとである。
「リーベン家の婚約者は、なかなか評判がいいな」
同じ卓にいた男が、新聞を畳んだ。
「オイゴット家の三男だったか。王宮でも、ずいぶん感じがよかったそうだ」
「王宮で一晩過ごしただけでしょう」
パーシバルは、コーヒーへ砂糖を入れた。
「人は、目新しいものを褒めたがるものです。彼には領地経営の経験もなければ、王宮での実務経験もない」
「西の堤の件を見つけたのは、その彼だと聞いたが」
「手紙を読んだだけです」
「手紙を読まなければ、見つからないだろう」
「誰にでもできることです」
男は新聞を置いた。
「誰にでもできるなら、今頃もう少し多くの人間が評判になっていると思うがね」
パーシバルの口元から笑みが消えた。
「アストリッド嬢は、まだ両親を亡くしたばかりです。そばにいて慰める男を、必要以上によく見ているのでしょう」
「お前も候補だったのでは?」
「ええ」
「慰めなかったのか」
コーヒーカップの取っ手を持つ指に、少し力が入った。
「私は、将来に向けた話をしました。新しい事業や、領地の発展についてです」
「堤の話は?」
「それは管理人に任せればよいことです」
「オイゴット家の三男は、管理人に聞いたそうだ」
男は新聞をもう一度開いた。
「そこが違ったのではないか」
パーシバルは返事をせず、鞄から南部の果実取引に関する書類を出した。
今年は、予想以上の豊作だった。
収穫量が増えたため、新たな保管庫と輸送用の箱が必要になった。共同出資者からは、五日以内に追加の資金を入れてほしいと書かれている。
書類の最後には、売り上げの見込みが大きな数字で記されていた。
「また出すのか」
新聞の向こうから、男が尋ねた。
「ここで止めれば、これまでの投資が無駄になります」
「現地は見たのか」
「報告書があります」
パーシバルはペンを取り、追加出資を承認する旨を書いた。
書類の端に、保管庫の現在の空きや、果実を運ぶ荷馬車の数は書かれていない。
その二つを尋ねる欄も、作られなかった。
*
トラヴィスは、王都の料理店で女性と食事をしていた。
アストリッドとの面談を終えた夜にも会った、親しい知人である。
「王宮の夜会で、アストリッド様を見たわ」
女性は魚料理へナイフを入れた。
「婚約者と踊っていらしたけれど、お似合いだった」
「どこが?」
トラヴィスの眉が寄った。
「オイゴット家の三男だろう。大学に残れず、子爵家の養子にもなれなかった男だ」
「よくご存じなのね」
「私ではなく、あの男が候補に残った理由が分からないだけだ」
「話を聞いてくれるからではないかしら」
女性は魚を一口食べ、ナイフとフォークを皿へ戻した。
「昨年、弟が大学で世話になったことを覚えていてくれたわ。ほんの短い話だったのに」
「名前を覚えていただけだろう」
「あなたは、私の弟の名前を覚えている?」
「今、関係のない話だ」
「そういうところでは?」
トラヴィスはワインを飲んだ。
女性は小さく肩をすくめ、それから給仕に合図をした。食後の茶を頼み、自分の前の皿を下げてもらう。
「今日は、お話ししておきたいことがあるの」
「何だ」
「結婚が決まったわ」
トラヴィスのグラスが、卓へ少し強く戻った。
「誰と?」
「以前から縁談のあった方よ。春には式を挙げる予定なの」
「聞いていない」
「今、話したでしょう」
「そうではない。なぜ、もっと早く私に相談しなかった」
女性の眉が上がった。
「なぜ、あなたに相談するの?」
「私たちの関係があるだろう」
「友人として何度か食事をした関係ね」
「結婚したからといって、それを変える必要はない」
「変えます。夫になる方へ、余計な心配をさせたくありませんもの」
「互いに大人なのだから、それぞれの私生活を尊重すればいい」
「それ、アストリッド様にもおっしゃったそうね」
「誰から聞いた?」
「あなたのお兄様と親しい方から」
女性は、口元へわずかな笑みを浮かべた。
「断られた理由が、よく分かったわ」
「どういう意味だ」
「自分の自由は守ってほしい。でも、相手が自分の考えで離れていくのは気に入らないのでしょう?」
「話をすり替えるな」
「同じ話よ」
運ばれてきた茶から、湯気が上がる。
「今後、二人だけで食事をするのは今日で終わりにします。式には、家族で招待状を送るわ」
「私は行かない」
「それは残念ね」
残念と言った女性の口元には、まだ笑みが残っていた。
トラヴィスは膝の上のナプキンを握りしめた。
人前でハンカチを噛むほど子供ではない。
ただ、食事を終えた時、上等な麻のナプキンには深い皺がいくつも増えていた。




