第十一話 昼食の時間
西の堤を見に行った翌日、オイゴット伯爵家から大きな箱が届いた。
中には、泥道でも使える長靴が一足。
予備の眼鏡が二つ。
厚手の室内着と、新しい寝間着。
その隙間には、本が六冊詰められていた。
「まだ引っ越していませんよね」
箱を開けたサリーが、念のため確認した。
「僕も、そのつもりです」
ウィルフレッドは母からの手紙を広げた。
荷物の説明が一枚。
眼鏡の扱いに関する注意が一枚。
息子の扱いに関する注意も一枚あった。
「何と書いてあるのですか」
「大したことではありません」
「読んでも?」
アストリッドが手を出すと、ウィルフレッドは三枚目だけを箱へ戻した。
「それは僕宛てです」
「最初の二枚も、あなた宛てでしょう」
「三枚目は、特に僕宛てです」
アストリッドは箱の中を見た。
「では、伯爵夫人へ直接尋ねます」
「読んでください」
三枚目が出てきた。
読む前から負けている。
手紙には、ウィルフレッドが仕事中に眼鏡を外したら、目ではなく鼻の付け根が疲れていること。
本を読み始めると周囲の声を聞き落とすこと。
食事の時に紙を持たせておくと、料理が冷めるまで読んでいることが、細かな字で書かれていた。
「母上は、余計なことを」
「大事なことばかりではありませんか」
「自分で分かっています」
サリーが、机の上に置かれた昨日の茶器を見た。
「昨日のお茶は、冷たくなっていました」
「あれは手紙を読んでいたからです」
「伯爵夫人のおっしゃるとおりですね」
ウィルフレッドは母の手紙を畳み、室内着の下へしまった。
都合の悪い書類を見えない場所へ移しても、書いてあることまでは消えない。
その日も、ウィルフレッドはアストリッドの横で領内から届いた手紙を読んだ。
西の堤には、翌朝からモリスと測量係が入っている。石材の手配も始まり、村へは工事の日程を知らせる手紙が送られた。
次に届いたのは、北部の羊毛検査所からの報告だった。
「前回より、毛の量が減っています」
「羊が減ったのですか」
「いえ。今年は雨が多く、刈る時期が遅れた牧場が三か所あるそうです。次の便で増えると書いてあります」
「この三人が、その牧場主ですね」
ウィルフレッドは名簿を開かずに名前を挙げた。
「よく覚えていますね」
「物語の登場人物より少ないので」
「領内の人を、登場人物のように覚えているのですか」
「今のところは。名前だけより、何をしている人か分かったほうが覚えやすいです」
ウィルフレッドは、報告書の余白へ三人の牧場主の名を書き添えた。
昼を知らせる時計が鳴った。
サリーが書斎へ入り、机の前で立ち止まる。
「昼食の用意ができました」
「あと少し待って」
アストリッドは、手元の書類から顔を上げた。
「この支払いだけ確認します」
「はい」
サリーは返事をしたものの、部屋を出ていかなかった。
「どうしたの?」
「どのくらい待てばよろしいでしょう」
「それが終わるまでよ」
「昨日は、そうおっしゃって一時間でした」
「昨日は途中で別の書類が来たでしょう」
「一昨日は二時間でした」
アストリッドがエリアを見る。
書棚の前で衣類の注文書を整理していたエリアは、きっぱりとうなずいた。
「その前は、昼食と夕食が一緒になりました」
「それは、葬儀のあとのことが多かったからです」
「本日は違いますね」
長く仕えている者の注意は、正しいだけに聞き流されることがある。
ウィルフレッドは、母の手紙をもう一度読んでおくべきだった。
「アストリッド嬢」
「何でしょう」
「昼食へ行きませんか」
「あなたは先に行ってください」
「一人で食べてもよいのですか」
「もちろんです」
「では、僕もあと少し、これを読みます」
ウィルフレッドは羊毛検査所からの報告へ戻った。
サリーが、今度は彼を見る。
「ウィルフレッド様も、お食事へ行ってください」
「これを読み終えたら」
「伯爵夫人のお手紙には、何と?」
「食事の時に紙を持たせるなと」
「お預かりします」
報告書へ、サリーの手が伸びた。
「待って。ここだけ」
「冷めます」
アストリッドが自分の書類を置いた。
「ウィルフレッド様。食事へ行きましょう」
「ですが、アストリッド嬢も、これを終えてからでは?」
「私が行かなければ、あなたも行かないのでしょう?」
「そうすれば、僕一人だけ注意されることにはなりません」
「それが目的ですか」
「今、思いつきました」
アストリッドは立ち上がった。
「ずるい方ですね」
「よく言われます」
「どなたに?」
「今、初めて言われました」
食堂には、豆と根菜の温かいスープ、薄く切った鶏肉とチーズを挟んだパンが用意されていた。焼いた林檎には蜂蜜がかけられている。
サリーは二人が席につくのを確かめ、書斎から持ってきた書類を食堂の外に置いた。
「そこまでしなくても」
アストリッドが言った。
「伯爵夫人のご指示です」
「母上は、この屋敷でも僕を子供扱いするつもりなのかな」
「予備の眼鏡を二つ送る方ですから」
「一つで十分なのに」
「先日の面談で、テーブルへ膝をぶつけたでしょう。二つあってもよいと思います」
ウィルフレッドはスープを一口飲んだ。
「それは、眼鏡とは関係ありません」
「眼鏡を落としていたら、予備が必要でした」
「落としていません」
「次は落とすかもしれません」
「アストリッド嬢まで、母上の側につくのですか」
長い呼び方が、食卓の上を何度も行き来する。
アストリッドはパンを半分に切った。
「あなたのご家族は、ウィルと呼ぶのですね」
「はい。兄も姉もそう呼びます」
「では、私もそう呼んでよいですか」
ウィルフレッドのスプーンが、スープ皿へ戻った。
「もちろんです」
「ウィル」
「はい」
呼ばれただけで返事をした。
アストリッドは、焼いた林檎へナイフを入れた。
「私のことは、父と母がリディと呼んでいました」
蜂蜜が、切り口へゆっくり流れ込む。
「そう呼んでもらうのは、まだ少し妙な気がします。けれど、いつまでもアストリッド嬢では、結婚してからも他人のようでしょう」
「では、いつから?」
「今からでいいです」
「リディ」
「はい」
今度はアストリッドが返事をした。
食堂の扉のそばで、サリーがエリアの袖を引いた。エリアは振り返り、声を出さずにうなずく。
「ウィル」
「何?」
「スープを飲まないと冷めますよ」
「リディも」
二人はようやく食事へ戻った。
しばらくしてサリーが下げた皿には、パン屑が二つ残っているだけだった。




