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では、一番条件の悪い方を婿にします ~侯爵令嬢が選んだのは、伯爵家の眼鏡三男でした~  作者: さんけい


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10/21

第十話 手紙の向こう

 翌朝、リーベン侯爵家の工務を預かるモリスが、二通の手紙を前に腕を組んだ。


「十日前の雨で、水かさがかなり増えたようです」

「屋敷の周辺では、それほど降りませんでしたよね」

「西の山沿いだけ強く降りました。ベルン村からの定期便が遅れたのも、そのせいでしょう」


 アストリッドは地図を広げた。

 川は山地から西の領内へ入り、ベルン村の手前で大きく曲がっている。堤が傷んでいるのは、その曲がりの外側だった。


「二か月前に見た時は?」

「石積みの一部が緩んでいましたが、すぐ崩れる状態ではありませんでした。来年の夏までに直せばよいと判断しました」

「十日前の雨のあとには、見ていないのですね」

「はい」


 モリスの指が、地図の川下へ動いた。


「手紙に二つの村が加わったなら、低い畑へ水が回ったのかもしれません」

「行きましょう」


 アストリッドは地図を畳んだ。

 馬車に乗ったのは、アストリッドとエリア、ウィルフレッド。モリスは御者台の隣へ座り、ルイスは屋敷へ残った。

 王都へ続く道から外れると、馬車は何度も大きく揺れた。

 ウィルフレッドは窓枠をつかみ、膝の上の地図を守っている。アストリッドのほうは、揺れる場所を知っているらしく、先に足を踏ん張っていた。


「よく来るのですか」

「父と一緒に、何度か。西側は春と秋に回っていました」

「僕は、領地を見るというと、馬に乗って丘の上から眺めるものだと思っていました」

「それで分かるのは、領地が広いということくらいです」


 馬車の車輪が窪みへ入り、ウィルフレッドの肩が窓へぶつかった。


「道が悪いことも分かりました」

「そこは、今のでよく分かったでしょうね」


 ベルン村へ着く頃には雲が切れ、薄い日が差していた。

 村長と、川下の二村から来た男たちが、橋の手前で待っている。三人とも長靴に泥をつけ、手には杖と巻いた縄を持っていた。


「お越しいただき、ありがとうございます」


 ベルン村の村長が帽子を取った。


「手紙を読むのが遅くなりました。川を見せてください」

「こちらです」


 川沿いの道は、馬車が通れる幅ではなかった。全員で細い畦道を歩く。

 アストリッドは裾を少し持ち上げ、泥の深い場所を避けて進んだ。エリアも、そのすぐ後ろを歩いている。

 ウィルフレッドは二人の足元を見て、同じ場所へ靴を置こうとした。

 片足が、くるぶし近くまで沈んだ。


「そこは踏まないほうがよいです」


 村長が振り返って言った。


「はい。もう分かりました」


 教わるのが一歩遅かった。

 泥から靴を抜き、先へ進む。川へ近づくにつれて、水の音が大きくなった。

 傷んだ堤は、手紙に書かれていたより長かった。

 川の曲がる場所に積まれた石がいくつもずれ、その下の土が削られている。村人たちが打ち込んだ杭と、束ねた枝で、崩れた部分を押さえていた。


「十日前の雨で、ここまで水が来ました」


 村長が、ウィルフレッドの腰ほどの高さを杖で示した。


「石が二つ流されました。その先で水が外へ出まして」


 川下から来た男が、畑の方角を指した。


「うちの村の麦畑へ入りました。もう刈り入れのあとでしたから、作物は無事です。ただ、春なら種をまいたあとになります」

「もう一つの村は?」

「水が畑を通れば、その先です。今回は届きませんでしたが」


 アストリッドは、モリスと一緒に石積みの近くまで下りた。


「今ある見積もりで、どこまで直せますか」

「最初に緩んでいた部分だけです。雨で削られた場所を含めるなら、もう一度測る必要があります」

「雪が降るまでに、応急の補強は?」

「人を増やせば間に合います。石を運ぶ道の整備も必要です」

「収穫を終えたばかりの村から、大勢の人を出すのは難しいでしょう」

「領内の工事人を回します。村からは、川を知る者を数人出してもらえれば」


 話を聞きながら、ウィルフレッドは手紙を取り出した。


「この見積もりは、半年前のものですね」

「はい」


 村長が答えた。


「どうして、同じ金額を書いたのですか。今は直す場所が増えています」

「新しい金額は、わしらには分かりません。それに、多く書けば、余計に取ろうとしていると思われるかもしれませんから」

「それで、工事を頼まずに、見に来てほしいと書いたのですか」


 三人の男が顔を見合わせた。

 川下の男が、帽子の縁を指でつまんだ。


「前の侯爵様と奥様のことは、こちらにも届いております。屋敷が大変な時に、すぐ直せとは言いにくかったのです」


 アストリッドが、手にしていた鉛筆を握り直した。


「ですが、三つの村の名前を入れた」

「一つの村だけの話ではなくなりましたので」


 ウィルフレッドは、手紙の最後を見た。

 次の雪解けを迎える前に、一度見に来てほしい。

 大きな要求を書かなかったのは、被害が小さいからではない。相手の事情を知った上で、それでも来てほしいと書いたのだ。


「ここは、今から補強します」


 アストリッドが言った。


「詳しい測量は明日から。新しい見積もりを出し、雪が来る前に必要な工事を終わらせます。村から出してもらう人の賃金も、侯爵家で支払います」

「ありがとうございます」

「今後は、金額が分からなければ、分からないまま書いてください。見積もりは、こちらの仕事です」

「はい」


 村長は帽子をかぶり直した。


「お父上も、同じことをおっしゃいました」


 アストリッドの鉛筆が一度止まり、それから紙の上を動いた。


「では、私も同じようにします」


 モリスが縄を張り、工事の範囲を測り始める。村の男たちは、雨の前と後で水の流れがどう変わったかを順に説明した。

 ウィルフレッドはその話を聞きながら、地図へ印をつけた。

 帰りの馬車では、泥のついた靴を布で包み、足元へ置いた。オイゴット夫人が見れば、家へ上がる前に止める状態である。


「手紙を読んでいた時より、分からないことが増えました」


 ウィルフレッドが言った。


「また三冊目に書くのですか」

「いえ。今日は一冊目に書きます」

「教わったこと?」

「はい。手紙の金額が小さいからといって、困っていることまで小さいとは限らない」


 アストリッドは、自分の靴についた泥を見た。


「ずいぶん大きな字で書いたほうがよさそうですね」

「そうします」


 屋敷へ戻ると、サリーが玄関で二人の足元を見比べた。

 アストリッドの靴には、泥が少し。

 ウィルフレッドの靴には、泥がたくさん。


「次にお持ちになるものが決まりましたね」

「何?」

「長靴です」


 その夜、オイゴット夫人の荷物一覧に、ウィルフレッドが自分で一項目を書き加えた。


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