第12話 お嬢様には、お戻りいただきます
店の戸を叩いたのは、兄だった。
「フィーナ」
鞄を片手に立つ兄の上着には、長旅の皺がある。
わたしは、持っていた布を落とした。
「どうして、リースへ」
「手紙に、仕事を見つけたとだけ書いてあった。様子を見に来た」
兄は、二十七歳だ。
父が隠居してから、ベルス男爵家を継いでいる。
神殿での暮らしを、わたしが手紙に書いた通りだと思っていたらしい。
二階の部屋を見せ、店の帳面を出した。
兄は、机の下から出てきた銀の尾を見て止まる。
「これは」
「お客様です。預かっています」
フチは、彼の靴を嗅いだ。
北の土の匂いがする、と言った。
わたしが訳すと、兄は椅子へ座った。
「本当に、魔獣の通訳をしているんだな」
母からの手紙を渡された。
急いで返事を書いたが、兄が先に着いた方が早いだろうと、持たせたという。
――帰りたくなったら、いつでも帰っておいで。
その次には、父が棚を直したことが書いてあった。
わたしが昔、板を割った棚だった。
読み終わるまで、兄は何も言わなかった。
わたしは、鼻を少し拭いてから、手紙を畳んだ。
「怒っているのかと思っていました」
「うまくいかなかったことへ、何を書けばいいか、母は迷っていた」
わたしも、同じことで迷っていた。
どちらも、相手の言葉を聞く前に、悪い返事を作って待っていたのだ。
その時、また戸が叩かれた。
神殿の使いだった。
今度は、封のある通知を置いていく。
神殿の名を用いた通訳の仕事を停止し、施設の管理下へ戻るように。
わたしは、何度か読み直した。
看板にも案内にも、神殿の名は書いていない。
「無視するだけで済む話かは、町で確認しよう」
兄が言った。
その日は、二人で商業窓口へ行った。
係の方は通知と、わたしの店の登録を見比べた。
神殿の聖女として仕事をしていなければ、この通知だけで営業を止める理由にはならないという。
必要なら町の担当者から、神殿へ説明する。
わたしは、最初から、自分一人で戦う場を想像していた。
窓口では、何枚かの紙を見て、必要な確認が進んだ。
夕方、エリオットさんが店へ来た。
兄の姿を見て、少し足を止める。
「兄です」
紹介すると、二人は挨拶を交わした。
伯爵家の次男だと聞き、兄の背筋が伸びる。
彼は、すぐに言った。
「今日は、隊の依頼ではありません。彼女の様子を聞きに来ました」
兄が、わたしを見た。
わたしは、窓の方を見た。
窓の下では、フチが面白そうに尾を動かしていた。
夕飯は、三人で食べた。
兄は、わたしを連れ戻す話をしなかった。
店の冬の暖房と、雨漏りがないかを確かめただけだった。
「ここでやるなら、身体を休める日も作れ」
「作っています」
エリオットさんのカップが、少し止まった。
二人で海岸へ行った日のことを、同時に思い出したのかもしれない。
兄は、翌朝、北へ帰った。
わたしは新しい手紙を託した。
落第した日のことだけでなく、オルと、店と、海の見える道のことを書いた。
鞄を持つ兄へ、門の所で手を振る。
帰る家を失わずに、ここにいることを選べた。
そのことが、店の鍵よりも、しっかり掌へ残った。




