ディーン奮闘す
帰還したヤナク隊が目にしたのは、地獄だった。
街を襲っているのは巨石鳥だけではなかった。
巨石鳥によって城壁が破壊され、そこから魔獣の群れが濁流のように街の中へとなだれ込んでいたのだ。
その数は尋常ではなく、街中の道を埋め尽くすほどで、おそらく総数で数百に達するだろう。
ヅスカに生息する全ての魔獣が集まっているのではとすら思えた。
この危機に討伐隊の全部隊はもとより、見習いや引退済みの戦士、街に滞在中だった冒険者と、戦える者が総出で必死に戦っていた。
しかしその抵抗は、魔獣に対して余りに微小だった。
+ + +
「くそっ、何なんだよ、これは!?」
ディーンは自分を飲み込もうとする魔獣の波から必死に逃げていた。
彼は一人ではなく、背中に男の子を背負っていた。とても戦うどころではない。
男の子は避難中に人波に揉まれて母親とはぐれてしまい、動けなくなったところに魔獣の群れが押し寄せたのをディーンが見つけたのだった。
だが同時に、ディーンはヤナク隊と分断されてしまったのだが――。
「ねえ、竜王さまがきっと助けてくれるよね?」
不意に男の子が震える声で聞いてきた。
その問いを、ディーンは肯定も否定もできなかった。
火砲隊と巨石鳥の戦いの様子は何度も遠目に見えた。そのたびに火砲の攻撃が減り、立ち上る煙が増えていた。
巨獣撃退の主力部隊がいいようにやられている。ならば、自分達にどんな手が残されているというのか。
きっと竜王が助けてくれる。竜王に代わって討伐隊が倒す。どちらの台詞も白々しい大嘘にしかならない。
(これじゃあたとえ避難したところで、魔獣に蹂躙され続けるだけだ……)
陰鬱とした気分を、ディーンは抑える事が出来ない。
しかもさらに絶望的なことに、魔獣の洪水はディーンのすぐ背後にまで迫っていた。
これ以上は逃げられない。ならばとディーンはとっさに目の前の家屋に駆け込んで、すぐさま戸を閉め、閂を掛けた。
だが、身を隠してやり過ごすことはできないだろう。
魔獣達は不意に足を止めたかと思うと、二人の隠れる家を含めた一帯の建物の扉という扉、壁という壁に体当たりを開始した。
(こっちは一人の討伐隊員と一人の男の子だぞ!? こっちにかまけてるんじゃないよっ!)
魔獣の嗜虐性にディーンは戦慄するが、自分に触れる小さな手の感触が、ディーンの身体が硬直するのをギリギリで防いでいた。
男の子は泣く様子はなかったが、表情はこわばり、生気が失せている。まだその概念を理解しているのか怪しい死への恐怖が、泣き声を上げさせぬほどに子供を浸食しているのだ。
(このままでは獣に弄ばれて死ぬだけだ。なら、何としてもこの子だけは守る。じゃないと竜騎士なんて言えないよな)
この期に及んでもディーンは相変わらずのリューキシくんだったが、ディーンは意を決した。
まずディーンは男の子を抱きかかえたまま、家主夫婦の寝室の奥のクローゼットに行き着くと、その隅に男の子を降ろした。
「ここで隠れてて。きっと迎えが来るから」
男の子を安心させるために、その頬に両手を添えて、ディーンはできるだけ穏やかな声で、微笑みながら言ったつもりだった。
だが強張った顔と声では、安心させる逆に不安にさせてしまったらしく、男の子は怯えた目でディーンを見つめ返している。
しかし同時にディーンの様子にただならぬものを感じた男の子は、怯えを必死に自分の中に押しとどめて頷いた。
「いい子だ」
それを受けてディーンは男の子に背を向けて駆けだそうとするのだが、とっさに男の子にひきとめられてしまった。
「これ、お守り」
自分がこの勇敢な若い勇士にできる事があることに気付いた子供は、小さな像をさし出した。
それは避難の間中ずっと少年が握りしめていた、竜王をかたどった白い像だった。
ディーンは一瞬キョトンとしたが、男の子のなけなしの心づくしに頬を緩めた。
が、ディーンはそれを受け取らなかった。
「竜王様のお守りは、それは君の大切なものなんだから、君が持っているといい」
「でも……」
「大丈夫。お守りなら持ってる」
そう言ってディーンは、胸元からロケットを取り出し、その中身を男の子によく見せてあげた。
小さな黄金色の石と、青い光沢のある鱗。その美しさに見とれ、心の中にあった恐怖と不安が和いだのか、男の子は笑みを浮かべた。
「ね、だから僕の方は心配ない。君の方は、ここでじっとしているんだ。いいね?」
子供は元気に頷き、再び自分に背を向けたディーンを今度は止めなかったが、かわりに「がんばって」と声をかけた。
振り返らずに「ありがと」と応えたディーンは少しにやけてしまったが、その直後には戦士の顔に変わった。
ディーンは勢いよく駆け出してガラス窓をぶち破り、槍を構えて外に飛び出した。
左腕で頭部をガラスから守りながら、魔獣の群れを睨みつける。その視線の先にいたのは、群れの中でひときわ大きい巨爪熊だ。
(まずはこいつだ!)
狙いを定めると文字通りの肉弾となって飛びかかり、槍を巨爪熊の首筋に深々と突き刺した。
巨爪熊は苦痛に悶えながら、反撃にとディーンの顔面に向けて右手を伸ばしてきた。その大きな手の先からは刀のような鋭い爪が伸びている。まさしく熊手。これで頭を撫でられただけで、ディーンの頭は裂かれ、血や脳漿を撒き散らすだろう。
しかし巨爪熊の首から大量の血が噴き出すのが先だった。巨爪熊は力を失い、後ろに倒れ込んで事切れた。
突然のことに周囲の魔獣達は身体を硬直させていたが、我に返って数匹がディーンへと躍りかかる。
だがディーンはすかさず槍を熊の死骸から引き抜き、思い切り振り払う。右から襲いかかって来た魔狼の横っ面を槍が強烈に叩き、その身体を弾き飛ばした。
その隙を突くように更に剣鹿が突進してくる。
(のみ込まれてたまるか!)
ならばと、ディーンは剣鹿の動きを見切ると、その背を足場にして、目の前の塀へと一気に駆けあがった。
魔獣より高い視点を得て、ディーンは周囲を見渡した。魔獣達の視線は全て自分に向けられていた。
「よし、そうだ。こっちを見るんだ。俺だけを見ろ。俺だけに噛みついてこい」
言葉が通じるはずはないが、挑発だけは伝わったらしい。無謀な人間に魔獣達が一丸となって襲いかかって来た。
(狙い通りだ。あとは暴れるだけ暴れて、踏ん張れるだけ踏ん張って、時間を稼ぐ!)
何度も自分に押し寄せる魔獣の波を必死に掻き分け、手近な塀や柵、壁を盾にして防ぎながら、隙ができれば槍を獣に突き立てていく。
そして自分を無視する獣がいれば、そこらで勝手に拝借した斧や鉈を投げつける。
そうやって戦っている間に、魔獣はその数を一匹ずつ減らしていった。
しかし敵の数が多すぎる。すべての攻撃を捌ききれるわけもなく、武具に傷が増え、身体の動きは鈍っていく。
そしてついに、集中力の低下から大きな隙を作ってしまい、剣鹿の一撃をまともにくらってしまった。
「がはっ……!?」
ディーンの口から苦痛の声が漏れた。
胸当てが限界を迎え、下の革鎧ごとざっくりと切り裂かれてしまった。
自分の胸にも傷がついたが、不幸中の幸いか、傷は深いものではなかったようだ。
胸当てと革鎧の隙間から顔を覗かせたお守りにディーンは感謝すると、槍を構えなおす。
しかしその直後、頭上で巨石鳥が鳴くと同時に、子供の隠れる家屋に岩塊が降りかかった。
クローゼットこそ逸れたようだが、屋根と壁が破壊され、激しく粉塵が舞う。
「ああっ……!?」
その様子を見たディーンは、自分の身体から熱が失せていくのを感じた。
――人間なんてこの程度、竜がいなければ抵抗できない虫けら。
――今のお前達にはあるのは、自分の死期をほんの少し延ばす程度の抵抗しかできない力だけなのだ。
まるでそう言われているような、人間の奮闘を嘲笑する、巨石鳥の一撃だった。
それでもディーンは戦意を保ち続けようとした。
(こうなったら、刺し違えてでも――)
むしろやぶれかぶれに近かったかもしれない。
一丸となって襲いかかってくる魔獣を前に、ディーンは悲壮な覚悟をして槍を構える。
だが、そんなディーンを制する者がいた。
「無茶すんな。ここは任せとけ」
「――えっ?」
いつの間にかディーンの傍らには、大剣を手にした男がいた。
男はディーンの前に歩み出ると、大剣の先を足で蹴ってその勢いで振り上げ、そのまま乱暴に振り払った。
その切っ先に捕えられて、ディーンに襲い掛かっていた五体の魔獣が一瞬のうちに肉塊に変わった。
魔獣の攻撃はそれだけでは終わらず、間を置かず第二波が来る。
しかし男は慌てず、左手だけを剣の柄から離すと、掌を魔獣に向けた。
「フターファイア」
呪文のようなものを唱えると、男の手から火炎が迸り、魔獣を焼いていった。
ヅスカにも魔法使いはいるし小規模ながら部隊もあるが、ここまで強力な魔法にはお目にかかれるものではなく、ディーンは唖然とした。
魔獣が怯んでほんの僅かに余裕ができると、男はディーンに顔を向けた。
「結構頑張ったな、ディーンだっけ? リューキシくんなんて呼ばれるだけの事はある」
この男の顔には見覚えがあった。昼間見た、顔に横一文字の傷のある男。
名前は確か――。
「ラグナ……?」
自信なく自分の名前を言った若者に、ラグナは笑みを返した。




