一文字傷のラグナ
説教によって若干落ちた士気を上げなおそうと、ディーンは深呼吸をしようとした。だがその意気を、漂ってきた血の匂いが挫いた。
ディーンのすぐそばを、隊員二人が通り過ぎる。彼らは羊の死体を抱えていた。
「ひどいな……」
ディーンがちらりと見てそう呟くほど、死体は無残というより他なかった。
背から腹にかけて刀で深々と斬られたような傷があり、そこから臓物が飛びだしている。
朝方ここに来たときには、そんな死骸が牧場の敷地のあちこちに転がって、凄惨な光景が広がっていた。
惨たらしさに吐き気を抑えられず、胃の内容物をぶちまけた若い隊員もいたようだ。
牧場の隅にはそんな有様の死体がゆうに五十は集められていた。
しかしそこにあるのは家畜の死体だけではなく、隣には剣鹿の死体も数十頭分ほどある。
それらもヤナク隊が来る前から牧場の周りに転がっていたものだった。
しかもそれらはほとんどすべてが真っ黒に焼け焦げていた。
むしろ消し炭という表現のほうが近く、特徴的な角がなければ剣鹿だとはわからない有様だった。
「家畜は剣鹿の仕業だとして、じゃあこれは何者がやったんだ?」
「牧場主とその家族は隠れてやり過ごしたらしいので、別の誰かが……」
「それは誰だってんだよ。魔獣をローストにできる奴なんて」
「えっと、魔法使いとか」
「ヅスカにそんな強力な魔術師はいねえだろ」
ヤナク隊一同は首をかしげて困惑するが、しばらく考え込んだ後、彼らの脳裏に大いなる者の姿がちらついた。
「まさか、竜?」
「おいディーン! さっき説教したばかりだぞ! お前らも一緒になって何だ」
ディーンや他のメンバーの口から稚拙で願望に近い推論が洩れるが、ヤナクには窘められた。
その直後、ディーンの視界の片隅、林の木々の間で何かが動いた。
「んっ? 何かいる……?」
とっさに槍を構える構えるディーン。ほぼ同時に仲間達も身構える。
「今度は、飛び込まなかったな」
ヤナクが茶化した。いくらディーンでも相手が見えないのに無謀な事はしない。
が、下らない冗談を言っている暇はない。
だんだんと獣臭さが増してくる。剣鹿じゃない、もっと大物が来る、と感じた瞬間、その巨体が飛び出してきた。
「熊か!?」
黒茶色の毛皮に覆われ、人の倍以上はあろうかという背丈と、カギ爪のような長く鋭い爪を持つ巨爪熊が、討伐隊めがけて飛びかかってきた。
ディーン達は反射的に飛び退いた。
ここで予想外の事が起こる。
「うりゃぁ!」
やたら気合の入った叫びが聞こえたかと思うと、ゴスッと鈍い音がして、巨爪熊が前のめりにズシンと倒れ、そのまま動かなくなった。
何事かと巨爪熊を見ると、まるで墓標のようにも見える鉄の大きな板きれが、熊の背中に突き刺さっていた。
いや、それには柄のようなものがついている。どうやら馬鹿でかい剣らしい。
何が起きたのか計りかねていると、巨爪熊の来た方向から、一人の男が姿を現した。
「大丈夫みたいだな」
男はヤナク隊に馴れ馴れしく声をかけてきた。
目や耳にかかるくらいの長さのボサボサの黒髪、やや悪餓鬼っぽさのある顔からして二十代くらい、ディーンより少し年上に見えるその男。着こんだ皮鎧や胸当ては討伐隊と似たようなもので、さしたる特徴ではない。
目を引いたのは、顔を横切るような目の下の横一文字の傷をはじめとする多数の傷で、ただならぬ人生を送って来たことを匂わせている。
特徴のある男だが、討伐隊は誰もこの男の事を知らなかった。
男は倒れている巨熊に歩み寄ると、刺さったままの巨大剣を軽々と引き抜く。
「こいつを追ってたらこっちに逃げやがって。思わず剣をブン投げちまった」
「投げたぁ?」
持つだけでも大変そうなそれを、巨爪熊に投げて仕留めたと聞けば、さすがに討伐隊の面々も面食らった。
「あんたは何者だ?」
皆を代表してヤナクが男に近付いて聞いた。
「親がつけた名前ならラグナだ」
「こんなところで何をしてるんだ? この辺は街からも離れて、牧場や農場がいくつかあるだけだぞ」
「人の多いところはどうも落ち着けなくて。それで野宿してたら嵐にたたられ、牧場があったから軒先だけでも借りようとしたら……」
「魔獣の襲撃に出くわした、と?」
そのとおり、とラグナは頷く。
「それで魔獣狩りか。ってことは、あんたはハンターか?」
「いや、竜騎士だ」
ラグナから帰ってきた答えは意外すぎて、討伐隊員達の思考が一瞬止まる。
「はあっ!?」
そんな中でひときわ大きな呆れ声を出したディーンに討伐隊の面々とラグナの視線が集まった。
「それ、人をからかってます?」
「はあ?」
ディーンはラグナを睨みながら、ラグナの正面にズカズカと歩み出る。
「かなり強いみたいなのは確かだけど、自分が竜騎士だなんて、ふざけてます?」
言葉遣いこそ丁寧ではあるが、若干の怒気をはらんだディーンの剣幕にラグナはあっけにとられる。
「待て待て。こんなの冗談に決まってるだろ。本気にするなよ」
それはそうなのだが、ディーンには笑い飛ばすことができなかった。
そんなディーンに向けられる視線は生温く、「お前がそれを言うのかよ」と言いたげだった。
「いったいどうしたんだ、こいつ」
「年甲斐もなくまだ竜騎士になりたいなんて本気で思ってるようで。それで問題を起こすもんだから、さっきも説教されたばかりでさ。それでリューキシくんなんて呼ばれてな」
ラグナに肩を寄せて、隊の一人が小声で答えた。が、帰って来たのは予想外の反応だった。
「いいじゃないかよ! いくつになっても竜騎士に憧れちゃ悪いかよ!」
今度はラグナが語気を荒くした。
「ヅスカの男の永遠の憧れを馬鹿にするのは感心しないぜ!」
今度はディーンのほうがあっけにとられたが、ヤナク隊長によるラグナへの聞き取りは続く。
「そんなことを言うってことは、あんたはヅスカの人間なのか?」
「十何年か前まではヅスカに住んでいたが、引っ越す羽目になってな。今はちょっと気が向いて里帰り中と」
聞かれたのだからと自分のことを簡単に答えたあと、ラグナはため息をつき、苦笑いする。
「まあ、どうでもいいじゃないかそんな事。あんた達が一番気にしているのは、俺のことなんかじゃないと思うが?」
そうだったな、とヤナクはわき道にそれた話を元に戻した。
「それで昨晩魔獣に出くわしたとなるとだ。あんたが魔獣をやったのか?」
「俺が相手にできたのはごく一部だよ。全部撃退するなんて無茶な話だ」
「あんた以外に魔獣と戦った者がいるってことか? 何者なんだ?」
「そんなの内心ではわかってるだろ?」
ラグナは言葉で答え示す代わりに、空を指差した。
「ヅスカを魔獣から守る者なんて、決まっているだろう」
「有り得ないことだ! 御山はあの有様だし、竜はこの十数年――」
「そのことならよく知ってるよ。ヅスカの誰よりもね」
ラグナはヤナクの言葉をさえぎって微笑む。
「二度も三度も冗談はいらない。俺達は本当の事を聞いてるんだ」
「冗談なんかじゃないさ。魔獣を竜王が見逃すはずがない」
「昔の話をしているんじゃない。今の話をしているんだ。お前はここで竜を見たというのか?」
「さあ、その姿をこの目で見たわけじゃないが。でも信じていいと思うぜ。竜は必ず帰ってくるってな」
ラグナそう言うと、話はこれでおしまいだとばかりに討伐隊に背を向けて歩き始める。
「おい、ちょっと! まだ話は……」
「悪いがせっかくの帰郷で、済ませておきたい用事もあるんだ。続きは、また機会があったらな」
ヤナクの制止を聞かず、やたらと重そうな剣を持ちながらも軽い足取りで、ラグナはさっさと行ってしまう。
「おいおい、まだ話は終わっていないぜ!」
一同は駆けだして、ラグナを追い、その姿が隠れた木立ちの先に向かう。その先は街に続く道があるのだが――。
「――いない?」
見通しのいい街道だがラグナの姿は見当たらない。周辺にもその姿はなく、ラグナは忽然と姿を消してしまっていた。




