ヅスカの竜騎士君
冷たく乾いた季節が終わり、暦の上では春に差し掛かった頃。
前日の嵐とはうってかわって晴れ渡り、陽光が雨露を眩しく輝かせていた。
ただし、ヅスカ郊外のとある牧場は例外で、あちこちに家畜や獣の無残な死骸が転がり、雨露の中には赤い雫や黒い消し炭が混じり、死の匂いが辺りに漂っていた。
その近くの林の中で、魔獣討伐を目的とした討伐隊の隊員・ディーンは三頭の獣と相対していた。
視線の先にいるのは、剣鹿と呼ばれる魔獣で、名前の通りの剣のような角を持っていた。
この日ディーンの属するヤナク隊は、近郊の牧場が魔獣に襲われたとの一報を受けて出動していた。
その最中、隊は剣鹿の群れと遭遇したのが、ディーンは逃げる数頭の剣鹿を見つけ、「深追いはするな」という討伐隊の鉄則を破り、それを追いかけてしまったのだった。
「はあぁぁぁぁっ!」
気合と共にディーンが突き立てた槍の一撃が、剣鹿の喉元を抉った。
剣鹿はしばらく喘いだ後、倒れこんでこと切れる。
これで一頭撃退。しかしディーンは窮地にあった。剣鹿はまだ二頭残っている。
休む暇もなく角や蹴りの猛攻を受け、ディーンは次第に防戦一方になっていく。
防具も体力も次第に削られ、致命的な一撃をもらうのは時間の問題だった。
しかしこの期に及んでも自分のミスを呪う気持ちはなかった。
「これくらいで根をあげたら、竜騎士なんて夢のまた夢だ……!」
そう呟いて必死に自分を鼓舞し、槍を振り払う。
しかしディーンの攻撃は剣鹿に幾つかの傷を与えても仕留めるには至らない。
逆にその怒りを煽られた剣鹿の攻撃は激しさを増していく。
ディーンは満身創痍に近く、二頭の魔獣は命を刈り取る地獄からの使者になろうとしていた。
そこへ、風を切り大量の矢と銃弾が剣鹿へと襲いかかった。
続いて戦士達が魔獣にいっせいに躍りかかり、ディーンを取り巻く死の気配を消滅させた。
仲間達が駆けつけたのだ。
ディーンは半ば茫然としてその様子を見ているうちに、緊張の糸が切れて、その場にへたり込んでしまった。
そこへ援軍達の後ろから一人がディーンの前に歩み出て、手を差し伸べる。この部隊の隊長、ヤナクだ。
「立てるか?怪我は?」
「しこたま蹴られましたけど、立てます」
「そうか、それは何よりだ」
隊長は立ち上がったディーンの頬を撫で、笑みを浮かべた。だが頬は引きつっており、心から笑ってなどないことが見て取れる。
(しまった……やばい)
ディーンにはこの時ようやく自分のやらかしを理解した。
この後の展開は読める。前と同じように、笑顔の下にあるものが、火山の噴火のように吹き出てくるはずだ。
「こんのぉ、大馬鹿者があぁぁぁぁぁぁ!!」
+ + +
「まったく、今回も大した戦果だな」
ヤナクはデッキチェアに腰を下ろすと、しおらしく直立しているディーンの顔を見上げた。
背丈は大きい方とは言えず、顔つきは幼さを残している。それがしかめ面をしていれば、かなり頼りなく弱々しく見える。
「お前が入隊して実戦が四度。そのすべてで、接敵するやいなや魔獣相手に単独で飛び出して絶体絶命とは」
「はあ」
ディーンは一応しょんぼりと返事をする。
「養成所の頃からずっと言っているだろう。魔獣は人より屈強で獰猛だ。だから対魔獣戦闘は味方との連携が鉄則だと」
ヤナクは大きくため息をつく。
「まったく、討伐隊が増員を図っていなかったら、お前はとっくに辞めさせているぞ。だが困ったことに、お前は実力に関しては優秀な方なんでな」
「そんな。一頭倒したくらいじゃ、まだまだ……」
「お前なあ……」
神妙な顔をするディーンに、ヤナクは思わず天を仰ぐ。
ここがこの青年の困ったところだ。こいつは討伐隊にいながら、別の論理で動いている。
今回も言わなければ駄目か。こう言うのは人をコケにしているようで嫌なのだが、ヤナクは意を決した。
「そうだな。伝説の竜騎士様なら、あの程度の敵、槍の一振りで全滅させてるな!」
やや語気を強めて、皮肉めいた口調で発せられたその台詞に、ディーンはあからさまにムッとした。
「そんなにおかしいことですか?」
馬鹿にされるのは癪に障るので、ディーンは抵抗を試みた。
ヤナクは両手の掌を正面に向けて、ムキになったディーンをなだめるが、ディーンの心は簡単には治まらない。
「竜騎士になりたいって思うのは変なことですか?」
「変なものか。子供だったらな。俺だって昔はそうだったが」
魔獣に備える為に討伐隊が結成されてはいるが、この世界にはそれ以上に頼もしい守護者が存在する。
それが竜だ。
あらゆる獣以上の獰猛さと人間以上の知性、そして強力な魔力を併せ持つと言われる生命体である。
中でも彼らを統べ、この大陸に数体存在する竜王と呼ばれる巨竜は、尊敬と畏怖を集め、信仰の対象にもなっていた。
その一体がヅスカの白き竜王グリオス。そして竜王に仕え共に戦う人間が竜騎士だ。
ヅスカの男で、竜騎士に憧れないものなんていない。
しかし能天気に「竜騎士になりたい」なんて言うのは子供の頃の話で、成長するに従ってそんな夢にはだんだん冷めていき、大人になればすっかり忘れてしまう。
しかし今ここに例外がいてしまっている。
「お前は未だに竜騎士になりたいし、なれると思っているわけだ」
討伐隊中で知れ渡っていることだった。
跡取り息子なのに、姉夫婦が代わりに実家を継ぐと、竜騎士になるために家を出た青年。
竜騎士になりたいが、そのためのルートなど誰も知らないので、魔獣を狩るという共通点からとりあえず討伐隊に志願してみた青年。
討伐隊の任務を、竜騎士になるための試練か何かだと勘違いして、隊を振り回す青年。
ディーンは討伐隊きっての問題児扱いされ、皮肉をこめて「リューキシくん」というあだ名で呼ぶ者もいた。
「討伐隊は英雄ごっこの場じゃない。このままでは、いずれお前だけじゃなく、仲間や街の人にも危害が及ぶ。当分の間、お前は俺の目の届かないところでは働かせんぞ。わかったな」
「……はい」
小さく返事をすると、ディーンは顔を完全に下に向けて、一切の反論をやめてしまった。
これでわかってくれたのならいいのだが、ヤナクの経験上、安心はできなかった。
苦笑しながら、ヤナクはディーンの肩を軽く叩いて、御山の山頂を指差した。
「なあ、あれを見てみろよ。あそこに何がいる?」
山頂の周りには、翼を大きくひろげ、うるさく喚きながら飛びまわる沢山の影が見える。
だがそれは竜ではなく、尋常ではない大きさの鳥だった。
「御山にいるのは、あのギャアギャア喚いてばかりの連中だけだ。もうこのヅスカには竜王グリオスなんていやしない」
竜王どころか一体の竜もいない。
十数年前、彼らは突如として御山から姿を消してしまった。
代わって一年ほど前に、巨石鳥とかいう巨大な鳥が飛来して、そのまま山頂付近に居着いてしまった。巨石鳥が町や村を襲う事は未だなかったが、その巨体と喚き声でヅスカを怯えさせていた。
「俺達は自分達の命を、竜の助けなしに自分達の手だけで守らなきゃいけない。そういう覚悟をしなけりゃならないんだ」
ヤナクはディーンに諭すように、同時に自分自身にも言い聞かせるように言う。
「竜騎士なんて、なれる・なれないとか、なる・ならないの問題じゃないんだよ。伝説に憧れる時代は、おしまいなんだ」
言うべき事は言ったので、ヤナクはここで話を切り上げた。
ちょうどそこへ伝令がやってきて、ヤナクと何やら話を始めた。
しばらくは面白そうに様子を見ていた周囲の隊員達も、説教がひと段落すると自分達の作業に戻り、こちらに興味を示していない。
誰も自分を見ていないのを確認して、ディーンは胸元からロケットを取り出した。常に肌身離さず身につけているものだ。
(伝説か。俺が憧れたのは、伝説や幻なんかじゃない)
ロケットを開けたその中には、小さな黄金色の石と、青い鱗がはめ込まれている。
「きっと帰ってくる。お姫様はそう言ったんだ」
その呟きは、ほかの誰にも聞こえなかっただろう。




