竜と会った日
その山は、御山と呼ばれていた。このヅスカの国で山と言えばその山だった。
御山には中腹に祭祀用の祠と、そこまで伸びる参道があるが、人が出入りを許される領域はそこまでで、それより上に行ったことのある人間なんて、まずいないはずだった。
この先は、御山の盟主にして、「王」と呼ばれて崇められる者の住処。
それ以外の者にとっては禁断の地だ。
そんな所に僕は大人達の目を盗んで入り込むと、頂上へ向かって突き進んでいった。
そこにいるはずの君に会うために。
ある日突然に自分の命以外の全てを失った僕の前に現れた君。
心にぽっかりと空いた大きな穴の全てを、僕は君で埋めてしまった。
君に会いたい。そんな思いを募らせて、僕は頂を目指していた。
しかし御山は僕を易々と受け入れてはくれなかった。
壁のようにそそり立つ岩壁と絶え間なく吹きつける荒々しい強い風が、僕の気力と体力を奪っていく。
――もう帰りなさい、ここは君の来るところではない。
ゴウゴウと吹く風がそう言っているような気がした。
この山が、もしくはその主が、僕を受け入れないという意思を現わしているようだった。
――嫌だ。絶対に帰らない。
激しく息をつきながら、意気地に抵抗する僕の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれた。
君の元に近づけないのが悔しくて泣いた。
くしゃくしゃになった顔で空にそびえる頂を睨みつける。
あそこへ行って君に会いたい。僕を拒む風が恨めしい。
溢れる想いは言葉にはならず、口からはひどいうめき声が漏れる。
そんなひどい有様になっても僕はなんとか這いつくばって、山を登ろうとする。
その時、風がやみ、重く排他的な風が掃われ、嘘のような静けさが訪れた。
「仕方がないな……」
どこからか声がした。
「意地悪なことをしてしまって、すまなかったね」
目を丸くしてあたりを見回しても、誰もいない。
その声を怖いと思わなかったのは、優しい声だったからだろう。
「お手上げだ。君を迎え入れよう」
ふわりと優しい風が吹いて僕の体を抱きかかえた。
やがて、御山の頂に降ろされた。
青空に一番近いそこで見たのは、豆粒みたいに小さくなった街、青く大きな弧を描く水平線、そして――。
この国の王にして守護者、白い巨竜、竜王の姿があった。
あれほど会いたがっていた君が目の前にいる。僕は君を見上げながら声一つもあげず、ただその姿に心を奪われていた。
「ようこそ、ラグナ」
僕の名前を君が呼んだ。僕なんてこの地にいる数千・数万の人間達の中の、ちっぽけな独りでしかないのに。
「知っているさ。君の事はずっと見ていたからね。僕も君のことを気にしていた」
喜びと驚きのあまり、僕は無意識に君の名前を呼ぼうとした。けど、この時の僕にはまだ、とてつもなく畏れ多い事。慌てて自分の口をふさぎ、心を落ち着かせた。
緊張は隠せず、僕は顔を強張らせていた。
そんな僕に君は少し顔をほころばせたようだった。
「そんなに畏まる必要はない。君の呼びたいように呼んでくれればいい。君がここに来たのは、竜騎士になる為ではないのだろう?」
完全に心を見透かされている。
自分の気持ちをごまかすなんて無理だ。なら自分の気持ちを正直に伝えるだけだった。
「あの、グリオス――」
口から絞り出した君の名前。そのあとは、たった一言のことなのに何度も言葉がつかえ、自分の胸の鼓動のせいで自分の声すらまともに聞けなかったけれど、なんとか自分の願いを口に出せたはずだ。
子供にとっては他愛なく、竜王には有り得ない願い。だけど君は聞き入れてくれた。
このことはふたりだけの秘密だ。
僕が周りに自慢げに話したとしても、きっと与太話だと笑われるか、不遜だの畏れ多いだのと叱られるに決まっている。
でも本当のことだ。ちっぽけな子供の僕が、竜王グリオスと友達になったのは。
……懐かしい思い出の話だ。
今はどうかって?
もちろん時が経った今でも僕達ふたりは一緒にいるさ。
僕が大人になっても。
たとえ君が変わり果てた姿になっても――。




