オンボロ屋敷の錬金術師
日が暮れたというのに、その屋敷にはろくに明かりはなかった。
広い敷地に複数の建物があるものの、窓は大半が割れ、あちこちに破損が目立ち、まるっきり人の気配がなかった。
いや、その屋敷に人間はいた。
「ねえ、本当に大丈夫?」
「大丈夫だって」
「たまり場になってんじゃないの? 野盗とか、魔獣とかの」
「その心配はねえって」
それは一つのランプの明かりを頼りに屋敷の中の暗がりを進む、四人ほどの若者だった。
この屋敷の住人ではない。近くの街から肝試しにでもやってきた連中だろう。
「でも俺、聞いたことがあるんだよ。この屋敷、ほんとに出るって」
「ああ、髪の長い若い女の霊ってやつ?」
「それだけじゃねえ。噂じゃあ屋敷のどっかじゃ人間とか、どんな生き物のものか分からない骨が散らばってるとか」
「ははっ。くだらねえ。ビビってんのか?」
互いに噂やら軽口やら揶揄を言い合っていたその時だった。
彼らの前方から爆発音がした。
「うわっ? 何だ?」
突然のことに驚きびくつく若者達。
続いて彼らの前の部屋と扉が開き、そこから何かが這い出てきた。
「……う、あああ……」
それは、言葉ではない不明瞭な呻きをあげる人型だった。
長く伸びた髪はぼさぼさで顔を隠し、白い衣服は破れや解れが目立ち、さらに灰や煤を全身に被ったように汚れていて、この世の存在には見えなかった。
「で、出たーっ!?」
噂の亡霊の出現に彼らは恐慌状態に陥り、我先にと屋敷から逃げ出していき、その場には幽霊本人がぽつんと残された。
+
(はあ。失礼しちゃうな。私、ちゃんと生きてるよ……)
その亡者、否、この屋敷のただ一人の住人、ブリジットは心の中でぼやいた後、ただ一つ明かりの灯った部屋へと戻った。
(……まただよ。どうしてこうなっちゃうんだろう……)
閉めた扉にもたれかかって、大きくため息をつく。
自分の家が不良達の遊び場にされるのは初めてではなく、悩みの種の一つではあった。
しかし最大の悩みはそれではない。
(ちゃんと書かれている通りにしたのに……)
ブリジットの目の前、実験室の中央の机にはいくつかの書物が積まれていたが、周囲には粉砕されたガラス片と陶片が散らばっていた。
その惨状は、ブリジットはこのところ取り組んでいる錬金術の実験の失敗によって引き起こされたものだった。
書物に書かれていた特殊な溶液を作成するはずが、二つの液体を混ぜ合わせた時に、どういうわけか爆発が起きてしまった。
(うまくいかないなあ。パパやお姉ちゃんのレベルには遠いよ……)
またひとつため息が出た。
(……掃除しよ)
ひとまず室内に散乱したごみを片付けることにした。
ガラス片などは危険なものが少なくないが、同じことはもう何度もやってきて慣れてしまっているので、手際はいい。
(これじゃ錬金術師なのか掃除屋なのかわかんないなー)
思わず苦笑いをしてしまった、その時だった。
窓の外、遠い東の空で何かが光った。やや赤みを帯びた白い光が、しばらくぼんやりと地平線を照らした後に消えた。
(何だろう?)
太陽や月ではないその光に、ブリジットは不自然さを感じた。
この方角はオーリスかアイダか。ヅスカはちょっと遠すぎるか。
花火ではないし、火災でもなさそうだ。
ああいう光を発するものと言えば、あとは竜王のブレスだろうか。
(まさか。竜王グリオスとその眷属はここ十年不在っていうじゃないの。バカバカしい)
考察に興じてみるものの、行き着いたのがあり得ない仮説だったため、ブリジットは自嘲気味に笑い、光のことを考えるのはそれっきりにした。
それから小一時間も掃除を続ければ、部屋は実験失敗前の状態に戻った。
(さて、今日はもういいかな……)
もう夜も更けた。これ以上何かするには疲れすぎ、眠すぎた。
隣の寝室に移ってベッドに倒れこもうとした、その時だった。
――グオォォォォ――
先ほどの実験失敗どころではない、けたたましい爆音が鳴り響き、激しい振動が大地と空気を、そして屋敷全体を大きく揺らした。
「ぎゃっ!? な、なに? なんなのっ!?」
ブリジットもバランスを崩してその場に倒れてしまった。
爆音や振動はそれで終わりではなかった。
ブリジットが怯えているうちにもう一度、爆裂音がした。それも先ほどよりかなり近くから響いてきたように感じた。
屋敷の中からも激しい物音が聞こえてくる。どこかの部屋で窓ガラスが割れたり家具が倒れたりしたのかもしれない。
(まるで屋敷の近くから……とうより、この屋敷の敷地の中で何か起きたような……)
ブリジットは窓から外をうかがうが、暗がりでよく見えず、ランプを持って部屋を出ようとした。
『お待ちください、お嬢様。危険です』
その時、独りっきりのはずの部屋に誰かの声が響いた。
「大丈夫よスワース。ちょっと確かめてくるだけだから」
『なりません。今の揺れで塀が崩れ、魔獣の群れでも入り込んでいたらどうするのです? この屋敷を一歩でも出るのならば、ちゃんと私をお連れください』
「わかったよ。もう、スワースは過保護なんだから」
ブリジットは机の上に置かれていた革表紙の書物を手に取り、腰に提げた。
+
外に出たブリジットだが、特に変わったところは、すぐには見つけられなかった。
(庭は何もないみたい。別棟のほうかな?)
敷地内に幾つかある建物の方向に視線を移すが、ランプの光量では近づかなければよく見えるものではない。
しかしブリジットはすぐにはそこから動かず、まずは先ほどの書物を取り出し、その表装を紐解いた。
それは奇妙な本だった。一枚の紙も綴じられていないそれは、本と呼べるような代物ではない。
表紙の下に隠れていたのは、鏡のような一枚のパネルだけだった。
「スワース」
ブリジットが“本”に手を触れて呼びかけると、パネルが光り、顔のようにも見える模様が浮かびあがる。
『はい、お嬢様』
本は意思を持つかのように、パネルの“表情”を豊かに変えながら、独りでに言葉を語った。
それがスワースという名前の、ブリジットの従者であるとは、彼女ら以外には信じられまい。
「どう? 何か感じる?」
『ひとまず魔獣の類は周囲には確認できません』
「そう、よかった……」
ひとまず獣の餌にされる事態はないようで、ブリジットは胸を撫で下ろした。
ただし、魔獣じゃないならさっきのは何の仕業なのかという疑問は残る。
『おや、これは?』
「どうしたの?」
『魔力及び瘴気の流れに大きな乱れが見られる箇所があります。工房のそばです』
「工房ね。わかった」
『ご注意を。何がわかりません。私を閉じずにいてください』
ブリジットは敷地の隅にある建物へと歩み寄っていくが、やがてその周辺の惨状に気づいて、唖然とした。
「何、これ……?」
工房自体には大きな変化はなかったが、近くの塀は倒壊し、外の林では広範にわたって木々がなぎ倒されていた。
『倒れたというより押しつぶされたような。まるで巨大な何かが落下したかのようです』
スワースは状況からそう判断した。
「何かって、何?」
『しばしお待ちを』
スワースはそれからしばらく黙り込んだ。解析に時間がかかっているようだった。
(爆音と振動が巨大な落下物のせいだとして、そもそも落ちたものは何? どこにあるの? わっかんない……)
その間、ブリジットも自分自身の頭で推測をしてみるものの、仮説未満のあてずっぽうの答えさえ思い浮かばなかった。
(うーん。お姉ちゃんなら、すぐに何かわかるのかなあ?)
しばらくして、スワースがようやく一つ報告をしたが、それは予想外のものだった。
『林の中に生体反応が一つ。これは獣ではありません、人間です』
「人間? 泥棒!?」
こんな時間にこんなところにまともな人間がいるはずはないと、ブリジットは警戒した。
『お待ちを。どうやらそれは消耗しているようです。呼気の乱れからそう判断します』
「行き倒れ? なら助けないと……」
暗がりでよく見えなかったが、そこには確かに人影があった。
一本の木に寄りかかっているその影に向けてランプの灯りを当てると、一人の男の姿が浮かび上がった。
「ひっ!?」
ブリジットが思わず怯えた声を出してしまったのは、男の顔に横一文字の傷があり、それが得も言われぬ威圧感を醸し出していたからだった。
「……誰?」
ブリジットはその人影に恐る恐る声をかけた。
「ハァ、ハァ……」
答えの代わりに返ってきたのは、苦しみの吐息だけだった。
「大丈夫……?」
「ここはどこだ……?」
「私のお屋敷だけど……」
「そうじゃない。ここはどこの街のあたりだ……?」
「クルーム……」
「そう、か……」
男はブリジットの答えに安心したわけではなかったが、気を失ってがっくりと倒れた。
「ちょ……ちょっと……!」
ブリジットは思わず男に歩み寄り、その身体を支えようとした。しかし、である。
「あ、あっつうぅ!?」
男の肌に触れるや否や、そのあまりの熱さに悲鳴を上げた。
病気・体調不良というより、まるで焼きごてのような熱さだった。




