表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
池尻くんの読書ノート2 青い蝶は飛び続ける  作者: 伊丹 宝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/30

展示されなかった蝶


翌日。昆虫館は引き続き臨時休館となり、館内には警察関係者と職員だけが出入りしていた。事件の捜査は少しずつ進んでいたが、被害者である主任研究員・相沢宏樹を殺害するだけの動機は、まだ見えてこない。


その一方で、池尻の関心は、現場に落ちていた昆虫図鑑から離れてはいなかった。開かれていたページ。そこに載っていたオオムラサキ。そして、館内からだけ消えている標本。その三つが、一本の細い糸で結ばれているように思えてならなかった。館長室では、昆陽が館長と数人の学芸員から話を聞いていた。


「昔はオオムラサキを展示していたそうですね」

 

昆陽が切り出す。館長は頷いた。


「はい。昆虫館が開館した頃から展示していました。人気もありましたよ。子どもたちも、大人も立ち止まって見ていました」

「いつまで展示しとったんです?」

「…正確な年は覚えていませんが、五、六年ほど前まではあったと思います」


 若い学芸員も頷く。


「私が配属された頃には、もうありませんでした」

「理由は聞いてへんのか?」

「『昔はあった』という話だけです」

「誰が撤去したかも?」

「分かりません」


 別の職員も首を横に振った。


「引き継ぎ資料にも残っていませんでした」


 昆陽は眉間にしわを寄せる。


「展示物を外した記録が残ってへん?」

「はい。普通なら展示替えの書類があるはずなんですが…」


その頃、池尻は資料閲覧室にいた。机の上には、館の歴史をまとめた資料や展示カタログ、開館以来のパンフレットが山のように積まれている。池尻は一冊ずつ、静かにページをめくっていった。二十年前のパンフレット。蝶の展示紹介。そこには確かにオオムラサキの写真が掲載されている。


「……ありました」


ページの端に小さく書かれた説明。『県内で採集された貴重な標本を展示しています』さらに十年前のパンフレット。同じ写真、同じ説明。オオムラサキは変わらず紹介されていた。しかし、五年前のパンフレットになると、そのページは別の昆虫へ差し替えられていた。説明も写真も、一切ない。まるで最初から存在しなかったかのようだった。


「池尻、どうや」


昆陽が資料室へ入ってくる。池尻は数冊のパンフレットを並べた。


「見てください」

 

年代順に並べられた冊子。


「ここまでは掲載されています」

「ほんまや」

「でも、この年から消えます」


 昆陽はページをめくる。


「展示替えしただけちゃうんか」

「最初は僕もそう思いました」


 池尻は穏やかに答える。一冊の展示カタログを開く。


「でも、展示番号が飛んでいます」

「飛んどる?」

「はい」


番号は、二十五、二十六、二十八。二十七だけが存在しない。


「普通なら欠番は作りません。展示がなくなれば、番号ごと整理することが多いです。でも、番号だけ残っている」


昆陽は静かに腕を組んだ。


「つまり、消えたんやないと」

「はい」


池尻は小さく頷く。


「記録だけが残っています」

   

昆陽は少し考え込んだ。


「展示は消えた。でも記録は消えてへん。…そういうことやな」

「はい」


 池尻は展示カタログを閉じた。


「本を読むときも同じなんです。削除された文章より、目次やページ番号の方が、消された跡を残すことがあります。だから誰かは標本を消せても、全部の記録までは消せなかったのかもしれません」


昆陽は苦笑した。


「ほんま、お前の頭ん中は本ばっかりやな」

「はい」


池尻は少し笑う。


「読むことしか取り柄がないので」


そのとき、館長が段ボール箱を抱えて入ってきた。


「思い出したので、探してみました。古い写真が倉庫にありました。展示室の記録写真です。処分する予定だったものですが…」


昆陽が受け取る。


「見せてもらうで」


封筒の中には、色あせた写真が何十枚も入っていた。開館式、特別展示、子ども向けイベント。どれも館の歴史を写したものだった。池尻は一枚ずつ丁寧に眺める。そして、一枚の写真で指が止まった。


「…昆陽さん」

「どうした」

「これです」


写真には、開館当時と思われる展示室が写っていた。ガラスケースが整然と並び、その中央には木製の標本箱。プレートにははっきりと『オオムラサキ』と書かれている。池尻は写真をさらに近づけた。


「標本箱まで写っています」

「ええ写真やな」


昆陽も頷く。池尻は静かに言う。


「少なくとも、この標本は確かに存在していました。展示された記録もある。写真にも残っている。それなのに…」


二人は現在の展示室へ目を向けた。そこには、オオムラサキだけがいない。昆陽は写真を見つめながら、小さく呟く。


「消えたんは蝶やない。…標本箱そのものや」


その言葉に、池尻はゆっくりと頷いた。事件は、一冊の図鑑から始まった。そして今、誰かによって姿を消した「標本箱」という、新たな謎へと静かにページをめくり始めていた。


この話を考えていると、昆虫館に行きたくなります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ