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池尻くんの読書ノート2 青い蝶は飛び続ける  作者: 伊丹 宝


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黒い手帳

 

朝から捜査本部は慌ただしかった。ホワイトボードには、これまで判明した手掛かりが整理されている。オオムラサキ、消えた標本箱、H-7、青い蝶、売店、朝市。そして赤い文字で囲まれた数字。


『0001』


昆陽は腕を組み、しばらくその数字を見つめていた。


「結局、これだけ意味が見えてこんな。レシートに残された『0001』…金も減っとらん。品名もない。何のために打ち込んだ数字なんや」


池尻は静かにホワイトボードへ近づいた。


「……分からないんじゃありません」


昆陽が振り向く。


「まだ、読めていないだけです」

「読む?」

「はい。相沢さんは、意味のない記録を残す人ではありません。この数字にも、きっと意味があります」


池尻は『0001』を見つめたまま、小さく続ける。


「数字ではなく、『最初』を示しているような気がします」

「最初?」

「事件の始まりなのか…あるいは、相沢さんが最初に残した記録なのか」


昆陽は静かに頷いた。


「その答えが、黒い手帳にあるかもしれへんな」


二人は再び公園北側――H-7のクヌギへ向かった。相沢が最後まで観察を続けていた場所。木漏れ日の下で、鑑識員たちが落ち葉を一枚ずつ丁寧に取り除いていく。木の根元、池の縁、以前見つかった観察用トラップの周辺。池尻も静かに歩きながら辺りを見回した。昆陽が尋ねる。


「何を見とる?」

「相沢さんの目線です」

「目線?」

「はい。相沢さんは昆虫だけじゃなく、この場所そのものを観察していました。だから、手帳を隠すなら、自分が一番見つけやすい場所を選んだはずです」


二人は木の周囲を何度も歩いた。しかし、黒い手帳は見つからない。


午後、今度は公園の売店へ向かった。事件当夜、一度だけレジが開き、『0001』という不可解なレシートが打ち込まれた場所。売店の棚を動かし、床板を外し、古い備品箱まで調べる。だが、やはり黒い手帳は見当たらない。売店の店主が申し訳なさそうに言った。


「古い物なら、朝市の倉庫へ運んだ物もあります」


昆陽はすぐに倉庫の確認を依頼した。朝市共同倉庫には様々な物品が置いてあった。長机、折り畳み椅子、提灯、看板、季節ごとの飾り付け。公園の歴史が、そのまま積み重なっているようだった。鑑識員が一箱ずつ開封していく。池尻は棚をゆっくり見渡した。ふと、一つの木箱の前で足を止める。


「昆陽さん」

「どうした」

「この箱だけ、動かした跡があります」


埃の積もり方が周囲と違う。昆陽も頷き、慎重に蓋を開けた。中には古い朝市の資料。名札、パンフレット、使われなくなった案内板、その下には紙袋が一つ。しかし中身は空だった。昆陽は小さく息を吐く。


「……先に持って行かれたか」


その時だった。池尻が棚の奥を見つめたまま言う。


「昆陽さん、紙があります」


棚の隙間から、破れた紙片が半分だけ覗いていた。鑑識員が慎重に取り出す。一枚だけ、端が乱暴にちぎられた紙。紙質を確認した鑑識員が報告する。


「相沢研究員の採集ノートではありません。黒い革表紙の手帳と一致する可能性が高いです」


昆陽は拳を握った。


「手帳は持ち去られたんや」


池尻は静かに首を振る。


「いいえ、全部ではありません」


紙の断面を見つめながら続ける。


「この破り方は急いで破ったものではありません。目的のページだけを選んで抜き取っています。誰かが必要なページだけ持ち去っています」


昆陽はゆっくり息を吐いた。


「犯人は……何が書いてあるか知っとった」

「はい。だから迷わなかったんだと思います」


その夜、科捜研で紙片の解析が始まった。特殊光を当て、鉛筆の圧痕を画像処理で浮かび上がらせる。画面に少しずつ文字が現れていく。昆陽は無言で見守っていた。池尻も画面から目を離さない。やがて解析が終わる。表示された文字は、たった三文字だった。


『青い蝶』


それだけ。文章はない、説明もない。ただ、その言葉だけが残されていた。昆陽が静かに呟く。


「また……青い蝶か」


池尻は画面を見つめたまま、小さく首を振る。


「これは合言葉じゃありません。相沢さんが、一番残したかった言葉です。黒い手帳にも、レシートの『0001』にも、きっと、同じ答えが書かれていた」


静まり返った解析室に、機械の駆動音だけが響く。誰かが持ち去った最後のページ。誰かが残そうとした三文字『青い蝶』…その言葉は、事件の終幕へ向かう最後の鍵として、静かに池尻たちの前へ姿を現した。


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