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池尻くんの読書ノート2 青い蝶は飛び続ける  作者: 伊丹 宝


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22/30

朝市の読者


朝市実行委員会から借り受けた古い名簿が、捜査本部の机いっぱいに並べられていた。黄ばんだ紙には、毎年の開催日とともに、出店者、実行委員、ボランティアの名前が几帳面に記されている。昆陽は腕を組み、ページをめくった。


「相沢さんと佐伯さんの名前は、毎年ちゃんとあるな」


池尻も静かに頷く。


「保護活動と朝市は一緒に行われることが多かったそうですから。自然なことですね」


その隣には、公園管理事務所から借りたボランティア登録簿。さらに、昆虫教室の協力者一覧、植樹祭のスタッフ名簿、池尻はそれらを年代順に並べ直していく。まるで一冊の本のページを整えるように。


「……やっぱりや、この人や」

昆陽が一枚の名簿を指差した。そこには、一人の人物の名前が毎年記されていた。朝市実行委員、公園清掃ボランティア、自然観察会補助、植樹活動、昆虫館協力員。立場は少しずつ変わっても、その名前だけは二十年以上途切れることなく現れている。


「こんな人、公園じゃ有名人やろ」


昆陽はすぐに聞き込みを始めた。公園管理事務所。年配の職員は、その名前を見るなり穏やかに笑った。


「ああ、この人ですか。昔からずっと公園を支えてくださっている方ですよ。イベントがあれば必ず来られますし、掃除も手伝ってくださいます。昆虫館とも仲が良くてね。子どもにも人気ですよ」


悪い噂は一つもない。近所の人も同じことを話した。


「真面目な人ですよ」

「困ってる人がおったら助けてくれる」

「朝市でも顔役みたいなもんです」


昆陽は警察署へ戻る車の中で苦笑した。


「聞けば聞くほど、ええ人や」

「疑う理由なんか見当たらへん」


助手席の池尻は窓の外を眺めながら、小さく答えた。


「だからこそ、誰も疑わなかったのかもしれません」


夜、二人は再び資料を広げた。人物像は見えてきた。しかし、相沢が三年間も観察を続けた理由は分からない。池尻は名簿を静かに見つめる。名前、役職、開催日、担当場所。ページをめくる音だけが部屋に響く。


「昆陽さん」

「うん?」

「少し、気になることがあります」


池尻は一枚の名簿を昆陽へ差し出した。


「名前の並び方です」

「並び方?」

「はい」


昆陽は首をかしげる。池尻は別の年度の名簿を並べる。さらに翌年。さらにその翌年。


「ほら」


静かな声だった。


「毎年、この人だけ位置が違います」


昆陽は目を細める。本当だ。ある年は最上段、翌年は中央。さらに翌年は最後尾。普通なら五十音順か担当順に並ぶはずなのに、その人物だけが毎年位置を変えている。


「偶然やないんか」

「最初はそう思いました。でも…」


池尻は名簿をゆっくり閉じる。


「本を読むときも、人物紹介の順番には意味があります。名簿も同じです。名前を読むと、その人の役割が見えてきます」


昆陽は腕を組んだ。


「役割…か」

「はい。この人は毎年、必要な場所へ配置されています。受付、設営、後片付け、巡回、駐車場」


昆陽が言葉を継ぐ。


「担当が変わってるんやなくて…公園全体を自由に動ける立場やった」


池尻は静かに頷いた。


「そう考えると自然です」



翌朝、稲野から一本の電話が入った。


『池尻くん、今いいか?』

「はい」

『営業先で朝市の古い実行委員さんと話してな。ちょっと気になること聞いたわ』

「何ですか」

『相沢さんな…事件の夜、公園で誰かと会う約束しとったらしい』


 池尻の表情がわずかに変わる。


「約束……ですか」

『詳しい相手は知らんらしい。でも”今日は大事な話がある”って言うてたみたいや』


電話を切ると、池尻はその内容を昆陽へ伝えた。昆陽はすぐに関係者への再聞き込みを指示する。ほどなくして、朝市実行委員の一人から新たな証言が得られた。


「相沢さんが、『長く追い続けたことに答えが出るかもしれない』って話していました」


その言葉に、捜査本部の空気が静かに張り詰める。池尻は机の上の名簿へ視線を落とした。


「相沢さんは…事件当夜、この人と会う約束をしていたんですね」

 

昆陽はゆっくりと息を吐く。


「……なら、この人が、最後に相沢さんと会った可能性が一番高い」


机の上には、一つの名前。まだ何者かは語らない。けれど、その名前だけが、長い年月を越えて、静かに二人を見つめ返しているようだった。


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