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池尻くんの読書ノート2 青い蝶は飛び続ける  作者: 伊丹 宝


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16/30

レジが空いた一分間

 

翌朝。夏の日差しが公園の木々を照らし始める頃、池尻は昆陽とともに公園内の売店を訪れていた。売店は池へ続く園路の角に建つ、小さな木造の建物だった。朝市が開かれる日には多くの人で賑わい、休日には親子連れや散歩を楽しむ人々が立ち寄る場所である。だが、この日は黄色い規制線が入口を囲み、静まり返っていた。


「事件当夜、この売店は午後6時には閉店しとる」


昆陽が資料を見ながら言う。


「被害者の死亡推定時刻は、それより3時間以上あとや」


池尻は静かにうなずいた。


「営業は終わっていました」

「ああ、それやのに…」


昆陽は売店の奥を見つめる。


「午後9時13分、レジだけが一回開いとる。」


二人は店内へ入った。売店は昔ながらの造りだった。飲み物の冷蔵庫、菓子の棚、昆虫図鑑や植物図鑑が並ぶ小さな書棚、子ども向けの虫取り網や観察ケース。どれも整然と並び、荒らされた形跡はない。昆陽はレジへ近づいた。


「科捜研の確認では、壊された形跡もない。正規の操作で開けられとる」


池尻もレジを見つめる。年季の入った電子レジ。液晶は小さいが、開閉履歴を内部に記録する機能が備わっている。


「閉店作業のあとに開いたんですね」

「そうや、しかも…」


昆陽は資料を差し出した。


「開いとった時間は一分ちょうど」

「一分…」

「開けっぱなしにはなっとらん」


池尻は静かに考え込んだ。…一分。長すぎず、短すぎない時間。


「何かを探すには十分ですね」


売店の店長にも話を聞くことになった。六十代半ばの男性は、落ち着かない様子で店内を見回している。


「売上金は確認しましたが、一円も減ってません。両替用の小銭も、そのままでした」


昆陽が尋ねる。


「レジに貴重品は」

「ありません」

「鍵も」

「予備は事務所です」


店長は困ったように首を振る。


「盗むもんなんて、ほんまに何もないんですよ」


池尻はレジの中を静かに見つめた。紙幣、硬貨、レシート、伝票。どれも普通の売店と変わらない。しかし…。


「昆陽さん」

「ん?」

「犯人は、お金を見ていません」


昆陽が眉を上げる。


「何で分かる」

「もしお金が目的なら、一分しか開けない理由がありません。もっと急いで取って逃げるはずです。」

「なるほど」

「逆に一分で十分だったということは…」


池尻は静かに言った。


「探していた物の場所を、最初から知っていた可能性があります」

「つまり誰かが、レジの中に何か隠しとったわけか」

「そう考える方が自然です。売上金ではなく、別のものです」


池尻は書棚へ目を向けた。そこには昆虫図鑑が数冊並んでいる。


「本も…読む人は、栞を挟みます」


昆陽が苦笑した。


「また本か」

「はい、大事なページを忘れないために。でも人によっては本の間ではなく、身近な場所へ大切なものをしまうことがあります」


池尻はレジへ視線を戻す。


「毎日必ず開ける場所。誰にも不自然に思われない場所。それが、このレジだったのかもしれません」


科捜研の鑑識員が細かな鑑定を進めていた。指紋、繊維、微細な埃。そしてレジ本体の構造。一人の鑑識員が声を上げた。


「昆陽警部補、少しよろしいですか」


二人が近づく。


「レジを持ち上げてもいいですか」


店長の許可を得て、慎重に持ち上げる。長年動かされていなかったらしく、机との境には薄く埃が積もっていた。池尻はしゃがみ込み、その隙間を見つめる。


「……何かあります」


細いライトを差し込む。黒ずんだ紙の端が、わずかに見えた。


「ピンセット」


鑑識員が慎重につまみ出す。細長く巻かれた紙。かなり古く黄ばんでいる。


「レシートロールですね」


店長が驚く。


「そんな所へ落ちてたんですか」


昆陽は紙を受け取った。


「交換した時に転がったんやろか」


池尻は首を横に振る。


「違うと思います」

「え?」

「埃の積もり方を見ると、最近落ちたものではありません。かなり前から、ずっとここにあった。」


鑑識員が慎重に紙を広げる。感熱紙は時間の経過で色褪せている。だが、印字はかすかに残っていた。


「まだ読めそうです」


昆陽が身を乗り出す。


「事件の日のやつか、確認します」


印字された日時を照合する。一枚、また一枚。ゆっくりと紙が送られていく。そして鑑識員の手が止まった。


「ありました」


池尻も昆陽も息をのむ。そこには、事件当夜の日付と時刻が、はっきりと印字されていた。閉店後、午後九時十三分。レジが開いた、あの一分間の記録だった。静まり返った売店に、誰も言葉を発しない。紙に残された小さな文字が、事件当夜の沈黙を静かに語り始めようとしていた。


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