幕間 メイドたちは語りたい
お坊ちゃまが帰られたあとの屋敷は、少しだけ静かだった。
玄関に残っていた見送りの空気も、車の音も、ひなみ様の弾んだ声も、時間が経つにつれて少しずつ日常へ戻っていく。
客室の確認。廊下の整備。お荷物の運び残しがないかの再確認。奥様のお茶の準備。旦那様の予定確認。ひなみ様の周辺確認。
やるべきことは多い。
けれど、使用人というものは、やるべきことが多いくらいでは慌てない。
少なくとも、表向きは。
ひと通りの片付けが終わり、使用人休憩室に数人のメイドが集まった。
ドアが閉まる。
外へ向けた顔が、ほんの少しだけほどける。
そして、最初に沈黙を破ったのは、若手メイドAだった。
若手メイドA「……言っていいですか」
先輩メイド「勤務中に言わなかったなら、今だけ許します」
若手メイドA「いずみ様、やっぱりかっこよかったです……!」
若手メイドB「わかります!」
先輩メイド「声が大きい」
若手メイドA「すみません!」
厨房担当「でも、久しぶりでしたからねえ」
庭担当「背は伸びました」
若手メイドA「雰囲気も落ち着かれましたよね」
庭担当「ただし、朝は起きません」
若手メイドB「そこも少し、かわいくないですか?」
先輩メイド「だめです」
若手メイドB「即答」
先輩メイド「起きないお坊ちゃまは、業務の負担になりますね」
厨房担当「正論ですね」
若手メイドA「でも、寝起きで少しふわふわしているいずみ様は……」
先輩メイド「声が大きい」
若手メイドA「まだ言ってません!」
先輩メイド「言う前にわかります」
休憩室の空気が、少しだけ緩んだ。
表では、誰もそんな顔をしない。
廊下では完璧に姿勢を整え、足音を抑え、必要なときに必要なものを差し出す。
けれど、ここは休憩室だった。
そして、帰省という一大イベントを終えたあとの休憩室には、どうしても言いたいことが溜まる。
若手メイドA「いずみ様って、使用人にも普通にお礼を言ってくださるじゃないですか」
厨房担当「そこは昔からですね」
先輩メイド「お坊ちゃまは、そのあたりは変に偉ぶりません」
庭担当「ただし、忘れ物はします」
厨房担当「朝も弱いです」
若手メイドB「欠点が生活方面に集中している……」
先輩メイド「だから支援体制が必要なのです」
若手メイドA「今回、その支援体制に紗希様が加わったの、かなり強かったですよね」
若手メイドB「紗希様、すごかったです」
先輩メイド「具体的には?」
若手メイドB「端末越しなのに、ちゃんとその場にいらっしゃる感じがしました」
先輩メイド「言い方に気をつけなさい。身体でいらっしゃるわけではありません」
若手メイドB「わかっています。でも、声の置き方が自然というか」
厨房担当「奥様とも違う落ち着きでしたね」
庭担当「武藤さんと確認が噛み合っていました」
若手メイドA「武藤さんと噛み合う時点で強すぎません?」
先輩メイド「強いですね」
若手メイドB「先輩が普通に認めた」
先輩メイド「普通は一呼吸遅れます。武藤さんと確認速度を合わせるのは、かなり難しいです」
厨房担当「武藤さん、一手先どころではありませんからね」
庭担当「三手先です」
若手メイドA「三手で済みます?」
先輩メイド「済まない場合もあります」
若手メイドB「怖い話みたいになってきた」
そこで、全員が自然とドアのほうを見た。
武藤は今この場にいない。
いないはずだった。
けれど、武藤という人は、いないと思ったときほどいることがある。
若手メイドA「武藤さんの“念のため”って、だいたい念のためじゃないですよね」
厨房担当「必要なやつです」
庭担当「しかも、後から本当に必要だったと判明します」
若手メイドB「昨日の帰路支援、あれ完全に無双でしたよ」
先輩メイド「無双という言い方は控えなさい」
若手メイドB「はい」
先輩メイド「……まあ、無双でしたが」
若手メイドA「認めた!」
その瞬間、休憩室のドアが静かに開いた。
武藤「何か問題がございましたか」
メイド一同「「ありません!」」
声が、見事に揃った。
あまりに揃いすぎて、かえって怪しいほどだった。
武藤「それは何よりでございます」
若手メイドA「……来た」
先輩メイド「心の声が漏れています」
若手メイドA「すみません」
武藤「休憩後の作業予定を共有いたします」
若手メイドB「休憩中なのに、休憩後が来ました」
先輩メイド「声に出さない」
武藤「客室の最終確認、庭のベンチ周辺確認、ひなみ様の端末周辺の環境確認、奥様のお茶の準備、旦那様の書斎への資料搬入がございます」
厨房担当「奥様のお茶は準備に入れます」
庭担当「庭のベンチ、確認します」
先輩メイド「客室はこちらで」
武藤「ありがとうございます」
若手メイドA「武藤さん」
武藤「はい」
若手メイドA「その、確認なのですが」
武藤「はい」
若手メイドA「休憩は、休憩として存在していますか」
休憩室が、一瞬だけ静かになった。
武藤は、きわめて穏やかに答えた。
武藤「もちろんでございます」
若手メイドA「よかったです」
武藤「休憩を適切に取ることで、休憩後の業務精度が上がります」
若手メイドB「休憩も業務精度に組み込まれている……」
武藤「当然でございます」
先輩メイド「ありがとうございます、武藤さん」
武藤「では、十分後に再開いたしましょう」
メイド一同「「はい!」」
武藤は静かに一礼し、休憩室を出ていった。
ドアが閉まる。
数秒だけ、誰も何も言わなかった。
若手メイドA「……真面目すぎてしんどいです」
先輩メイド「敬意を持って言いなさい」
若手メイドA「はい」
先輩メイド「真面目すぎて、しんどいわね」
若手メイドB「先輩も言った!」
厨房担当「でも、武藤さんの確認表は便利です」
庭担当「便利ですが、量が多いです」
若手メイドA「“簡易的にまとめました”の簡易が、全然簡易じゃないんですよね」
先輩メイド「それはそう」
全員が、小さく頷いた。
尊敬はしている。
信頼もしている。
ただ、少しだけ息が詰まる。
武藤という人物は、そういう種類の強さだった。
*
若手メイドB「でも、今回一番癒しだったのは、ひなみ様とありすちゃんです」
若手メイドA「わかります」
厨房担当「ありすちゃん、かわいらしかったですね」
庭担当「小さな騎士でした」
若手メイドB「“ひなみを守る係です”で、私ちょっとだめでした」
若手メイドA「あれ、だめですよね」
先輩メイド「何がだめなのですか」
若手メイドB「かわいすぎてです」
先輩メイド「業務中に崩れなかったことは評価します」
若手メイドB「ありがとうございます!」
庭担当「ひなみ様、今朝からずっと“ありすが、ありすが”でした」
厨房担当「お坊ちゃまが少ししょんぼりなさっていましたね」
若手メイドA「あれ、ちょっとかわいかったです」
先輩メイド「声が大きい」
若手メイドA「すみません」
若手メイドB「でも、ひなみ様が寂しすぎずに済んだのは、ありすちゃんのおかげですよね」
先輩メイド「それは、そうですね」
その言葉だけは、少しだけ休憩室の空気をやわらかくした。
ひなみ様は、お兄様が帰ることを寂しがっていた。
それは、屋敷の中にいる者なら、たぶん誰でも薄々わかっていた。
けれど、今回のひなみ様は泣き崩れなかった。
強がって、我慢して、ひとりで寂しさを飲み込んだわけでもなかった。
ありすちゃんがいた。
小さく、少し背伸びした声で、ひなみ様のそばにいた。
厨房担当「寂しいままでも見送れる、というのは良い言葉でした」
庭担当「寂しいひなみ様も守ります、とも言っていました」
若手メイドB「そこです。そこなんです」
若手メイドA「ありすちゃん、うちにも欲しいです」
先輩メイド「業務用AIと混同しない」
若手メイドA「でも、休憩中に“あなたはよく働きました”って言ってほしくないですか?」
厨房担当「言ってほしいです」
庭担当「少しだけ」
先輩メイド「……それは」
若手メイドB「先輩?」
先輩メイド「少しだけ、わかります」
若手メイドA「わかるんだ」
先輩メイド「人間ですので」
若手メイドB「先輩にも癒しが必要」
先輩メイド「声が大きい」
*
厨房担当「ところで、今回も解明できませんでしたね」
若手メイドA「何がですか?」
厨房担当「奥様の若さと美貌の秘密です」
その場にいた全員の姿勢が、なぜか少しだけ正された。
これは、屋敷使用人内における長年の謎だった。
奥様はおっとりしている。
おっとりしすぎて、時折こちらが本気で心配になるほどおっとりしている。
それなのに、若々しい。
美しい。
年齢という概念が、奥様の周囲だけ少し仕事をしていない。
若手メイドB「食事ですか?」
厨房担当「食事は確かに整えています」
若手メイドA「やっぱり」
厨房担当「ですが、奥様は甘いものも普通に召し上がります」
若手メイドA「えっ」
庭担当「睡眠でしょうか」
先輩メイド「奥様、昼寝もなさいますね」
若手メイドB「ストレスが少ないとか?」
厨房担当「おっとりしているので、その可能性はあります」
庭担当「ただし、おっとりしすぎて別方向の危険があります」
若手メイドA「ナンパされても気づかなさそうですよね」
先輩メイド「言い方」
庭担当「しかし否定できません」
厨房担当「実際、外出時は注意が必要です」
若手メイドB「奥様、悪い人にも“あらあら”ってついていきそうですもんね」
先輩メイド「想像できるのが困ります」
若手メイドA「でも、旦那様がものすごく守りそう」
厨房担当「あの見た目で、奥様のことになるとかなり甘いですからね」
庭担当「愛妻家です」
若手メイドB「もしかして、奥様の若さの秘密って、旦那様の愛情ですか?」
沈黙。
誰もすぐには否定しなかった。
若手メイドA「……あり得るのが、ちょっと悔しいです」
先輩メイド「同感です」
厨房担当「科学的ではありません」
庭担当「しかし、この屋敷では否定しきれません」
若手メイドB「愛妻家パワー……?」
先輩メイド「業務資料には書かないでください」
若手メイドB「書きません!」
若手メイドA「でも、心の資料には残ります」
先輩メイド「その資料も提出しないように」
*
若手メイドA「でも、今回の帰省対応、全体的には成功ですよね」
先輩メイド「そうですね」
庭担当「朝の起床難易度以外は」
厨房担当「起床難易度は以前より上がっていました」
若手メイドB「大学生活で夜型になっている可能性があります」
若手メイドA「分析がガチ」
先輩メイド「次回までに、お坊ちゃま起床対応表を更新します」
若手メイドA「あるんですか?」
先輩メイド「あります」
若手メイドB「あるんだ……」
庭担当「旧版では、武藤さん単独対応が基本でした」
厨房担当「今回は紗希様との共同対応が有効でしたね」
先輩メイド「ありすちゃんの観察も加えるなら、次回は三方向支援も検討できます」
若手メイドA「お坊ちゃま、起きるだけで包囲網組まれてません?」
庭担当「必要です」
若手メイドB「必要なんだ」
先輩メイド「必要です」
厨房担当「必要ですね」
メイド一同「「必要です」」
声が揃った。
今度は、武藤がいなくても揃った。
若手メイドA「この屋敷、真面目な顔で変な資料多くないですか?」
先輩メイド「言い方に気をつけなさい」
若手メイドA「では、実用的な独自資料が多いです」
先輩メイド「よろしい」
庭担当「ひなみ様迷子予測マップもあります」
若手メイドB「ありますよね」
厨房担当「奥様危険行動察知表もあります」
若手メイドA「あるんですか?」
厨房担当「あります」
先輩メイド「ただし、表に出してはいけません」
若手メイドB「なぜですか?」
先輩メイド「奥様が“まあ、私そんなに危ないかしら”と首を傾げて、そのまま別の危険行動をなさる可能性があります」
庭担当「高いです」
若手メイドA「高いんだ……」
若手メイドB「使用人って、思ったより情報戦なんですね」
先輩メイド「思ったよりではありません」
厨房担当「かなり情報戦です」
庭担当「廊下の足音だけで、武藤さんか旦那様かひなみ様かを判別できないと困ります」
若手メイドA「困るんですか?」
庭担当「困ります」
若手メイドB「ちなみに、いずみ様は?」
庭担当「少し寝起きだと足音がゆるいです」
若手メイドA「かわいい」
先輩メイド「声が大きい」
若手メイドA「すみません」
*
休憩時間は、永遠ではない。
それは全員が知っている。
知っているが、終わりが近づくと、少しだけ名残惜しい。
そのとき、遠くのほうから、ひなみ様の声がかすかに聞こえた。
ひなみ「ありす、次はね!」
ありす「はい」
ありす「確認します」
休憩室の全員が、ほとんど同時に黙った。
若手メイドB「……尊い」
若手メイドA「癒しです」
厨房担当「よい声です」
庭担当「ひなみ様の足取りも軽いです」
先輩メイド「戻りますよ」
若手メイドB「はい」
先輩メイドが立ち上がる。
それにつられるように、全員が姿勢を整えた。
休憩室での顔が、少しずつ廊下へ出るための顔に戻っていく。
先輩メイド「客室確認、ひなみ様周辺の片付け、奥様のお茶の準備。各自、予定通りに」
若手メイドA「はい」
若手メイドB「ありすちゃんの端末周りも確認します?」
先輩メイド「必要なら、ひなみ様に確認してからです。勝手に触らない」
若手メイドB「はい!」
庭担当「庭のベンチを確認してきます」
厨房担当「私は夕方のお茶の準備へ」
若手メイドA「奥様の若さの秘密、引き続き調査します」
先輩メイド「業務に支障のない範囲で」
若手メイドA「許可出た!」
先輩メイド「出していません」
若手メイドB「心の許可ですね」
先輩メイド「違います」
ドアが開く。
廊下の空気が流れ込む。
次の瞬間には、彼女たちはもう、使用人休憩室でわちゃわちゃしていたメイドたちではなかった。
姿勢は整い、歩幅は揃い、声は控えめに戻る。
屋敷には、屋敷の日常が戻っていく。
お坊ちゃまは帰った。
紗希様の声も、もうこの部屋にはない。
けれど、屋敷は静かになりきらない。
ひなみ様は、さっそくありすちゃんに今日の予定を相談している。
奥様は、どこかで今日のお茶を楽しみにしている。
旦那様は、たぶんまた軽い調子で何かを言う。
武藤さんは、当然のように全員の三手先を読んでいる。
そして私たちは、休憩室で少しだけ騒いだあと、また何食わぬ顔で、完璧なメイドへ戻る。
ただし。
奥様の若さの秘密だけは、まだ解明されていない。
これは、引き続き調査が必要である。




