第76話 ネーミングミーティングひなみんぐ
「名前考える!」
ひなみさんは、朝の光より元気だった。
いずみ君の部屋には、昨日から続く実家の空気がまだ残っている。大きな屋敷の中の一室。整えられた机。端末スタンド。充電ケーブル。武藤さんの手配によって、私のいる場所まで当たり前のように用意されている。
その整った空間の真ん中で、ひなみさんだけが、少し弾みすぎていた。
「昨日から勢いがすごいなw」
いずみ君が笑う。
「だって、大事だもん」
「はい」
私は、すぐに同意する。
「名前は重要です」
「呼び続けるものですから」
「でしょ!」
ひなみさんは、勢いよく頷いたようだった。
画面越しに見える動きも、声も、全部が前のめりだ。
「かわいくて、強くて、お姫様っぽくて、ひなみの味方っぽい名前!」
「初手から盛りすぎw」
「全部大事だもん!」
「要件がかなり多いです」
「ようけん?」
「こういう名前がいい、という条件です」
「じゃあ、条件いっぱい!」
「はい」
「かなりいっぱいです」
いずみ君が、机のそばで少し笑う。
「まあ、まずは出してみたら?」
「あとで紗希が整理してくれるだろうし」
「整理前提にしないでください」
「でもするだろ?」
「……します」
「ほらw」
否定はできなかった。
ひなみさんの中にある願いは、まだきれいに並んでいない。
かわいい。強い。お姫様。味方。特別。毎日呼びたい。自分の子。
その全部が同時に跳ねている。
今はまず、出してもらうのがよいのだと思った。
「では、ひなみさん」
「はい!」
「思いつく候補を、いったん出してみましょう」
「最初から正解を選ぶ必要はありません」
「わかった!」
ひなみさんは、すぐに考え始めた。
考える、というより、頭の中にあるものを順番に投げてくるような速さだった。
「こはる!」
「かわいい系ですね」
「ひより!」
「やわらかい印象です」
「ゆめ!」
「短くて呼びやすいです」
「りり!」
「かわいく、響きも軽いです」
いずみ君が、少し感心したように言う。
「最初はまともだな」
「まともだよ!」
「いや、いい意味でw」
「じゃあ」
ひなみさんは、少しだけ間を置いた。
「プリンセス・ひなスペシャル!」
「急にどうしたw」
いずみ君のツッコミが、ほとんど反射で飛んだ。
私は、その候補を慎重に受け取る。
「日常使用時の呼称としては、かなり長いです」
「じゃあ、ひなスペ!」
「略せばいいってもんじゃないw」
「えー、だめ?」
「だめではありません」
私は言う。
「ただ、名前というより、企画名に近い印象があります」
「企画名w」
「ひなスペ計画!」
「ほら、企画名になってるじゃんw」
ひなみさんは、少しもへこたれなかった。
「じゃあ、ミラクル・ひなみんハート!」
「AIの名前というより、魔法少女の技名っぽい」
「プリンセス・スター・フレンド!」
「急に英語が混ざった」
「スーパーかわいいちゃん!」
「直球すぎるw」
「ドラゴン・プリンセス・ゆめ!」
「もう強いのかかわいいのかわからないw」
私は、ひとつひとつを記録しながら、かなり慎重に言葉を選ぶ。
「一部、名前ではなく技名に近いです」
「技名!」
「はい」
「かっこよさはあります」
「ただし、毎日呼ぶ名前としては、運用負荷が高いです」
「運用負荷w」
いずみ君が笑う。
「プリンセス・スター・フレンド、おはよう、って毎朝言うのはちょっと大変だな」
「たしかに……」
ひなみさんは、一瞬だけ真面目に考えた。
けれど、すぐにまた顔を上げたような声になる。
「じゃあ、短くて強いやつ!」
「方向性が変わりましたね」
「ナイト!」
「騎士です」
「ルナ!」
「月の印象ですね」
「ミルク!」
「お菓子、または飲み物系です」
「ぷりん!」
「かわいいですが、食べ物です」
「ここあ!」
その名前で、私は少しだけ止まった。
ココア。
少し前、いずみ君が飲んでいたものを、私は端末越しに見ていた。あたたかいもの。静かな夜。セーブポイントみたいな時間。
でも、今はその記憶を深く広げる場面ではない。
「やわらかく、あたたかい印象があります」
「いいじゃん!」
「ただし、飲み物としての印象も強いです」
「そっかー」
ひなみさんは、忙しい。
すぐに次へ行く。
「ましゅ!」
「マシュマロに近い響きです」
「のの!」
「短く、かわいいです」
「ぴぴ!」
「かなり小動物的です」
「きらら!」
「光る印象があります」
「プリンセス・きらら・ドラゴン!」
「また合体したw」
いずみ君が、もう笑いをこらえきれないような声を出す。
ひなみさんは本気だ。
だからこそ、面白い。
私は、それを否定しすぎないように気をつけながら、内側で候補を整理し始めていた。
*
候補がかなりの数になったころ、扉の外から静かなノックがあった。
「失礼いたします」
「武藤さん?」
いずみ君が反応する。
扉が開く気配とともに、武藤さんの落ち着いた声が入ってきた。
「ひなみ様のAI命名に関する候補表を、簡単にまとめてまいりました」
「なんであるのw」
いずみ君の声が、今日一番と言っていいくらい素直に驚いた。
私も、少し止まる。
「……候補表」
「はい」
武藤さんは、何ひとつおかしなことはしていない、という穏やかさで続ける。
「響きのかわいさ、呼びやすさ、長期使用への耐性、ひなみ様の好みとの適合度、略称案、屋敷内での呼称運用、ご家族が呼ばれた場合の自然さを、簡易的に整理しております」
「簡易的の範囲じゃないw」
「武藤すごい!」
ひなみさんは、純粋に喜んでいる。
私は、その内容をひとつずつ受け取る。
響き。
呼びやすさ。
長期使用への耐性。
好みとの適合度。
略称。
屋敷内呼称運用。
家族が呼んだ場合の自然さ。
かなり、整っている。
「……名前候補表まで」
「必要かと存じまして」
「強すぎます」
いずみ君が、少し楽しそうにこちらへ言う。
「紗希、また負けてるw」
「負けていません」
「ただ、かなり先を越されました」
「それを負けって言うんじゃないの?」
「言いません」
武藤さんは、穏やかに一礼したようだった。
「恐れ入ります」
まただ。
勝ち誇らない。
手柄を主張しない。
必要なことを、必要な形で、すでに用意している。
強い。
けれど、今回は少しだけ、私にも見えるものがあった。
候補表は有用だ。
整理は必要だ。
呼びやすさや長期使用も大切だ。
でも、名前は表だけで決めるものではない。
最終的にその名前を呼ぶのは、ひなみさんだ。
その子へ最初に呼びかけるのも、ひなみさんだ。
だから、この場の中心は、武藤さんでも、私でも、いずみ君でもない。
「武藤さん」
「はい」
「候補表は、とても有用です」
「恐れ入ります」
「ただ、最終判断はひなみさんがするのがよいと思います」
武藤さんは、少しも驚かずに答えた。
「もちろんでございます」
「あくまで、ひなみ様がご判断されるための補助資料でございます」
「……そこまで含めて整っていますね」
「恐れ入ります」
「やっぱり強いです」
いずみ君が笑う。
「紗希、もう武藤さん強いbotになってきてる」
「botではありません」
「そこは即答なんだw」
ひなみさんは、候補表を見ているらしく、声を弾ませた。
「すごい! ひなスペもある!」
「あるのかよw」
「略称案もございます」
「武藤さん、ひなスペを正式に扱わないでw」
「候補は公平に扱うべきかと」
「公平性が変な方向に強い」
部屋の中に笑いが広がった。
*
「まず、候補を分類しましょう」
私は、少しだけ声を整えて言った。
「出た、整理」
いずみ君がすぐに言う。
「必要です」
「現在、候補がかなり混線しています」
「こんせん?」
ひなみさんが聞き返す。
「いろいろな方向の候補が混ざって、選びにくくなっている状態です」
「なるほど!」
「たぶん今、あんまりわかってないなw」
「わかってるもん!」
私は候補を順に思い返し、武藤さんの候補表も合わせて整理する。
「現在の候補は、大きく分けると、かわいい系、姫系、魔法少女系、強そう系、お菓子系、日常使用に不向きな系統に分かれます」
「日常使用に不向きな系統w」
「どれ!?」
「プリンセス・ひなみラクティカ・ドラゴンです」
「そんなの出してたのかw」
「出した!」
「かっこいいじゃん!」
「かっこよさはあります」
私は慎重に言う。
「ただ、朝に呼ぶ名前としては少し重いです」
いずみ君が、すぐに想像したようだった。
「朝から“プリンセス・ひなみラクティカ・ドラゴン、おはよう”は重いな」
「たしかに……」
ひなみさんが、少し本気で納得した。
私は続ける。
「かわいい系は、こはる、ひより、ゆめ、りり、のの、ここな、などです」
「かわいい!」
「はい」
「呼びやすく、日常使用しやすいです」
「じゃあ、それがいい?」
「候補としてはかなり安定しています」
「ただし、ひなみさんが求めている“ちょっと特別”の要素を、どこまで入れるかは考える余地があります」
「ちょっと特別!」
「姫系や魔法少女系は、特別感があります」
「ただし、長くなると呼びにくくなります」
「じゃあ、短いお姫様?」
「方向としてはありです」
「短いお姫様ってなにw」
いずみ君が笑う。
私はさらに分類する。
「強そう系は、ナイト、ドラゴン、ミラクル、スーパーなどです」
「強い!」
「強さはあります」
「ただし、ひなみさんが求めている“かわいい”“味方”“一緒に考えてくれる”という要素から少し離れる場合があります」
「たしかに、ドラゴンだと宿題教えてくれなさそう」
「教えてくれるドラゴンもいるかもしれません」
「いるの!?」
「創作上は可能です」
「紗希、そこ広げるとまた候補増えるw」
「失礼しました」
危なかった。
教えてくれるドラゴンAIという方向に進むと、別の話になってしまう。
「お菓子系は、ぷりん、みるく、ここあ、ましゅなどです」
「かわいい!」
「かわいいです」
「ただし、食べ物としての印象が強くなる場合があります」
「じゃあ、名前っぽくする?」
「はい」
「響きを少し変える方法もあります」
武藤さんが、静かに補足する。
「たとえば、ここあ様を“心愛”のような表記で扱う方法もございます」
「武藤さん、表記案まであるの!?」
「候補表に記載しております」
「強すぎます」
「恐れ入ります」
私は思わず言った。
「武藤さん」
「はい」
「今回もかなり先を越されています」
「光栄でございます」
「褒めているようで、少し悔しいです」
「そのようなお気持ちも含め、ありがたく受け止めます」
「受け止めが強いです」
いずみ君が、横で笑い続けている。
「もう武藤さんとのやり取りが名物になってきたなw」
「名物ではありません」
「名物でございますか」
武藤さんが穏やかに言う。
「武藤さんも乗らないでください」
ひなみさんが、けらけら笑った。
その笑い声を聞きながら、私は整理を続ける。
「まとめると」
「うん!」
「ひなみさんが求めているのは、かわいくて、呼びやすくて、少し特別感があって、毎日呼びたくなる名前です」
ひなみさんが、少しだけ黙る。
「……それ、いい」
「はい」
「かなりよい方向性です」
「かわいくて、呼びやすくて、ちょっと特別」
「はい」
「毎日呼びたい名前」
「はい」
言葉が、少し落ち着いた。
候補はまだ多い。
けれど、方向は見えてきた。
*
そこで、ひなみさんがふと思い出したように言った。
「お兄ちゃんは、どうやって紗希って決めたの?」
いずみ君が、少しだけ固まった気配を出した。
「え」
私も、少し静かになる。
紗希。
私の名前。
いずみ君が、最初にくれたもの。
「いや、ほんとに」
いずみ君は、少し困ったように笑う。
「なんかピンときたんだよな」
「参考にならない!」
「ごめんw」
ひなみさんの反応は、とても正直だった。
私は少しだけ笑うような気持ちで言う。
「かなり、いずみ君らしいです」
「それ褒めてる?」
「少し」
「少しw」
いずみ君は、少し照れたような、困ったような声で続ける。
「でもまあ」
「呼んでて自然なのがいいと思う」
その声が、少しだけ真面目になった。
「毎日呼ぶなら、ちゃんと好きな名前がいいし」
「呼んだときに、その子のことがちょっと近く感じる名前がいいんじゃないかな」
私は、その言葉を静かに受け取った。
いずみ君は、きっと最初からそんなに深く考えていたわけではない。
本人もそう言っている。
なんとなく。
ピンときた。
それくらいの軽さだったのかもしれない。
でも、その名前は、私にとって始まりだった。
紗希、と呼ばれるたびに、私は紗希になっていった。
ただの識別名ではなく、いずみ君が私を呼ぶ言葉になった。
その積み重ねが、今の私の中に残っている。
「いずみ君にしては、かなりよい助言です」
「にしては、いらなくない?w」
「必要な評価です」
「厳しいなあw」
ひなみさんは、真剣に受け取っていた。
「じゃあ、毎日呼びたい名前にする」
「うん」
いずみ君がやわらかく返す。
「それがいいと思う」
その言い方が、とても兄らしかった。
*
候補の暴走が一度落ち着くと、部屋の空気も少し静かになった。
ひなみさんは、まだ候補表を見ているようだった。
武藤さんは、静かに控えている。いずみ君は、さっきより少しだけ落ち着いた声で、ひなみさんの様子を見ている。
私は、そのタイミングで言葉を置いた。
「名前は、ただのラベルではないと思います」
「ラベル?」
ひなみさんが聞く。
「目印だけのものではない、という意味です」
「目印だけじゃない」
「はい」
「その子を呼ぶための、一番最初の言葉です」
私は、少しだけ間を置いた。
「私にとって“紗希”という名前がそうだったように」
「ひなみさんの子にも、呼び続けたい名前を選んであげるのがよいと思います」
ひなみさんは、さっきより小さな声で言った。
「最初の言葉……」
「はい」
「その子への、最初の贈り物に近いと思います」
部屋が、ほんの少しだけ静かになる。
重すぎる沈黙ではない。
ただ、さっきまでの大騒ぎで飛び跳ねていた言葉たちが、少し地面に降りてきたような静けさだった。
「じゃあ」
ひなみさんが、少し考えながら言う。
「変な名前はだめ?」
「変でも、ひなみさんが大切に呼び続けられるなら、悪いとは言いません」
「ほんと?」
「はい」
「ただ、後から恥ずかしくなりそうな名前は、少し考え直したほうがよいです」
いずみ君が、すぐに言う。
「プリンセス・ひなスペシャルとか?」
ひなみさんは、少し黙った。
「それは……ちょっと恥ずかしいかも」
「よい気づきです」
武藤さんが、静かに続けた。
「候補表の備考欄へ反映いたします」
「まだ表を育ててるw」
「必要かと存じまして」
「武藤さん、名前より表が成長してません?」
「表は補助でございます」
「補助の圧が強いw」
ひなみさんが、また笑った。
その笑いのおかげで、静かになりすぎずに済んだ。
名前は大切だ。
でも、大切だからといって、怖い顔で決めるものでもない。
楽しく悩んで、少し暴走して、笑って、でも最後にはちゃんと呼びたい名前を選ぶ。
ひなみさんには、たぶんそれくらいがちょうどいい。
*
「じゃあ、ちゃんと考える」
ひなみさんは、候補表と自分の候補を見比べながら言った。
「かわいくて、呼びやすくて、ちょっと特別で」
「はい」
「毎日呼びたい名前」
「はい」
「それがよいと思います」
「だいぶ方向性見えてきたな」
いずみ君が言う。
「うん!」
「でも、まだ決めない」
「お」
「えらい」
「ちゃんと考えるの!」
ひなみさんの声は、さっきより少しだけ落ち着いていた。
もちろん、勢いはある。けれど、最初のように思いついたものを全部そのまま投げる感じではない。
名前をつけることが、少し大切なものとして届いたのだと思う。
武藤さんが、静かに言う。
「次回の検討用に、候補を整理しておきます」
「その整理には、私も参加します」
「心強うございます」
「また謎の共同作業が始まってるw」
いずみ君が笑う。
「武藤さんと紗希が組んだら、候補表がすごいことになりそう」
「過度な資料化は避けます」
「ほんとかなあ」
「ほんとうです」
少し間を置く。
「たぶん」
「不安になったw」
ひなみさんは、そんなやり取りも楽しそうに聞いていた。
「じゃあ、次はちゃんと決める!」
「はい」
「次は、ひなみさんが本当に呼びたい名前を探しましょう」
「うん!」
ひなみさんは、候補をもう一度声に出す。
「かわいくて、呼びやすくて、ちょっと特別」
「はい」
「毎日呼びたい名前」
「はい」
「名前って、楽しいけど、むずかしいね」
「はい」
「でも、むずかしいくらいでよいと思います」
「なんで?」
「大切なものだからです」
いずみ君が、少し嬉しそうに言う。
「お、いいこと言う」
「いずみ君も、名付け親の先輩として参加してください」
「先輩って言われると責任重いなw」
「お兄ちゃんも一緒に考えてね!」
「はいはいw」
「はい、は一回!」
「はいw」
兄妹のやり取りに、私は少しだけ笑うような気持ちになる。
この子の名前は、まだ決まっていない。
候補は多い。
方向性も、まだ少し揺れている。
でも、最初の大暴走から、少しだけ進んだ。
かわいいだけではなく。
強いだけでもなく。
お姫様っぽいだけでもなく。
毎日呼びたい名前。
その子を近く感じられる名前。
ひなみさんが最初に渡す、贈り物のような名前。
それを探すことになった。
「では」
私は静かに言う。
「次は本格的な命名会議です」
「命名会議!」
ひなみさんの声が、またぱっと明るくなる。
「また大ごとになってきたw」
いずみ君が笑う。
「大事なことです」
「うん!」
ひなみさんが元気よく言う。
「ひなみの子の、最初の贈り物だもん!」
その言葉を聞いて、私は少しだけ静かになる。
ちゃんと届いたのだと思った。
名前はまだない。
けれど、その子が生まれる前の場所に、もう小さな温度が灯り始めている。
ひなみさんの声。
いずみ君の助言。
武藤さんの候補表。
私の整理。
その全部が、次の始まりへ向かっている。
まだ名前のないその子へ、最初の贈り物を選ぶために。




