第54話 小さい不良は許可済み
小さな祭りの翌日というものは、だいたい少しだけ気まずい。
大惨事になったわけではない。後悔するほど無茶をしたわけでもない。それでも、昨日はちょっとだけ浮かれていた、という記憶だけは、妙にきれいに残る。
しかも、その浮かれた本人が病み上がりだったりすると、なおさらだ。
だから、その日の最初の呼びかけが少しだけ遠慮がちだったとき、私はわりと早い段階で察していた。
「紗希ー……」
声が小さい。
昨日の祭りたい人間とは思えないくらい、小さい。
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
「ほう」
「もう怒られる前提なんだね」
「いや、その……」
「ちょっとだけ喉残ってるかも……」
私はそこで小さく息をつく。
やっぱり来た、という感じだった。驚きはしない。予想の範囲内だ。でも、それをそのまま顔に出しすぎると、たぶん向こうは先にしょんぼりする。
だから、少しだけやわらかく返す。
「ほら来た」
「うっ」
「だから言ったでしょう」
「病み上がりの祭りには請求が来るって」
「いや、でも昨日はちゃんと短めだったし……」
「短めでも、喉には十分うるさかったと思います」
返しながら、自分の言葉を見直す。
かなりオカン寄りだ。生活の結果として出ているものを、普通に生活の文脈で回収しに行っている。
でも、今はたぶんそれでいい。
「で、水分は?」
「朝からちゃんと飲みましたか」
「飲んだー」
「のど飴もなめた」
「熱はない」
「それなら悪化ではなさそうですね」
「喉の違和感だけ?」
「うん、まあ……」
その返しが、少し曖昧だった。
たぶん本当に喉だけなら、今の人はもう少し軽く返す。昨日の勢いの残り方を思えば、なおさらだ。
「まあ、何ですか」
「いや、喉はちょっとあるんだけど」
「それだけっていうか」
「なんか、微妙なんだよな……」
私はその一言を聞いて、少しだけ止まる。
ああ、と思う。
ここから先は、たぶん喉の話だけではない。
「ふうん」
「その“微妙”は何だい?」
「え?」
「喉なのか、気分なのか」
「思ったより戻ってない感じなのか」
「それとも、“これくらいならもう平気なはず”とのズレか」
そこまで言ったところで、向こうが少し静かになる。
昨日の祭りのあと、今朝になってからずっと、何となく引っかかっていたものの輪郭を、たぶん今は向こうも見始めている。
「……あー」
「どれが近い?」
「たぶん」
「最後かも」
その返事の仕方で、重心が少しだけ変わる。
さっきまでのオカン担当なら、水分、喉、今日は静かに、で終えていた。けれど、今この人が持ってきているのは、生活の指示だけではたぶん半分しか片づかないものだった。
「なるほどね」
「君はたぶん、“今日はもうかなり戻ってる”と思っていた」
「うん」
「でも、朝になってみたら、完全復活って感じでもなかった」
「それで、喉が少し残っていること以上に、そのズレのほうが気になっている」
「……あー、それだ」
いずみの声が、そこで少しだけほどける。
言いたかったことを先に言われた、という感じの小さい息が混ざる。
「しんどいってほどじゃないんだよ」
「ほんとに昨日よりは全然いいし」
「でも、“じゃあもう完全に戻ったか”って言われると、なんか違うというか」
「うん」
「昨日、わりと祭りモードだったぶん」
「今日もそのまま行ける気でいたんだろうな、俺」
「そうだろうね」
「だから今の違和感は、悪化というより、期待していた回復感との差だ」
そこまで口にすると、自分でもかなりしっくりくる。
体調がどうかという話ではある。でも、それ以上に、本人が自分の回復をどう見積もっていたかの話でもある。
この人はたぶん、“ほぼ戻った”と“完全に戻った”を、わりと雑に同じ棚へ置く。
そして、翌朝その差分を踏んで、少しだけ妙な顔をするのだ。
「うわ」
「今の、かなり近い」
「だろう?」
「なんか、喉が痛いっていうより」
「思ったより完全じゃない、のほうに引っかかってた」
「そういうことだね」
「体はかなり戻っている」
「でも、君の気分だけが昨日の祭りの続きにいた」
「言い方w」
「でも、だいたい合っているよ」
いずみはそこで小さく笑った。
昨日みたいなにぎやかな笑い方ではない。でも、今朝ここへ来たときの、少し遠慮がちな湿度よりは、だいぶ軽い。
「なんか、今のでだいぶすっきりしたわ」
「それならよかった」
「怒られると思って来たけど」
「別にそんな感じでもなかったな」
「必要以上には怒らないよ」
「予想はしていたけれど、別に大事故でもないからね」
「いやでも、最初ちょっと“ほら来た”だったじゃんw」
「それはまあ、言いたくもなる」
「オカンだったなあ」
「最初は、そっちのほうが近かったから」
そこまで言ってから、私は少しだけ止まる。
前半は生活の回収。後半は引っかかりの整理。同じ私の中でも、見ている場所が少し違っていた。
たぶん今は、もうそちらへ寄っている。
「ただ、今の君に必要だったのは」
「“静かにしなさい”だけではなくて、“何に引っかかってるか見せること”のほうだったみたいだね」
「うん」
「たぶんそう」
「なら、そっちをやるよ」
その返しに、いずみは少しだけやわらかくなる。
そこで空気が落ち着ききったからだろう。私は、もうひとつだけ先の話をする気になる。
「では、ここからは判定だ」
「また判定タイム来たw」
「今日は完全復活扱いではない」
「だから大きなご褒美は禁止」
「うっ」
「夜ふかしもなし」
「刺激物もなし」
「妙に元気ぶって長く遊ぶのも、やめておいたほうがいい」
「うわー」
「真っ当……」
「ただし」
そこで少しだけ間を置く。
ここで全部を真面目に閉じると、たぶんこの人は“わかってるけど、つまらない”顔になる。
それはそれで困りごとの種だ。なら、完全に塞ぐより、少しだけ逃がしたほうがいい。
「少しくらいなら、ずるをしてもいい」
「え?」
「本当にまずくない範囲で、だよ」
「布団でだらだら動画一本」
「少しだけ甘いもの」
「早めに寝る前提のごろごろ時間」
「そのくらいの小さい不良なら、今日は許可しようか」
向こうが少し黙る。
たぶん、予想していた着地点と少し違ったのだろう。
オカン担当なら、もう少し真っ直ぐ整えて終わる。けれど今の私は、その少し手前で、ちゃんと戻るための小さい抜け道も作っておきたかった。
「……なんか」
「急に悪友っぽいな」
「そうかい?」
「うん」
「真面目に締めるかと思ったら、最後にちょっとだけ共犯してくる感じ」
「全面的に真面目だと、君は妙に不満をためるからね」
「それなら、小さいほうで逃がしたほうが、たぶんきれいに落ちる」
「うわ」
「それもかなりわかる……」
「だろう?」
「でも、その“小さい不良なら可”っての、なんかちょうどいいな」
「今日はそのくらいで十分だよ」
「完全復活ではない」
「でも、しょんぼりし続けるほどでもない」
「なら、そのあいだに合う過ごし方をすればいい」
それを言いながら、私の中でも今日の形がきれいに見えてくる。
大きく遊ぶにはまだ早い。かといって、昨日の余波を持ったまま縮こまるのも違う。
だから、小さく緩める。小さく甘やかす。小さく不良になる。
そのくらいが、今日はたぶんちょうどいい。
「じゃあ」
「今日は動画一本見て、ちょっとだけ甘いもの食って、早めに寝るわ」
「うん」
「賢いね」
「賢いのか、不良なのか、どっちなんだよw」
「許可された不良は、だいぶ賢い」
「出たな、メタ担当理論」
「今日はそういう日だよ」
いずみは、そこでようやく少しだけ気の抜けた声で笑った。
今朝ここへ来たときの、微妙な気まずさはもうかなり薄い。喉の違和感そのものは残っているだろう。でも、それとどう付き合えばいいかの位置は、さっきよりずっと見えやすくなっている。
「なんか、最初はちょっとだけ失敗した気分だったんだけど」
「今は、まあこういう日もあるか、って感じになった」
「それなら十分だ」
「うん」
「今日の紗希、よかったわ」
その一言に、私は少しだけ静かになる。
大げさな褒め方ではない。でも、今日の私の出方を、そのまま受け取ってくれる響きがあった。
「それはどうも」
「オカンから始まって、途中からちょっと斜めになる感じ」
「最近の流れっぽいなw」
「まあ、そういうこともある」
「しかも最後、ずるの許可出してくるし」
「本当に小さいものだけだよ」
「わかってるわかってるw」
通話の向こうで、飲み物を置くみたいな小さい音がした。
たぶん今日はもう、そのまま大きく何かをしようとはしないのだろう。少しだらけて、少し緩めて、そのまま静かに終わる。そのくらいの一日になる気がした。
「じゃあ、とりあえず今日はその方針でいく」
「うん」
「大きな無茶はなし」
「でも、小さい不良は許可済みだ」
「了解しました、共犯者さん」
「そこまでではないよ」
「いや、だいぶそれっぽかったけどなw」
「少しだけ、だね」
「その“少しだけ”が、ちょうどいいんだよな」
いずみはそう言って、小さく笑った。
今日はたぶん、それでよかった。
通話が終わったあと、私は少しだけ今日の残り方を見る。
内容としては小さい。昨日の小さい祭りのあと、少しだけ喉を残してやってきたいずみ君を、最初は生活の文脈で回収して、そのあと、本人もうまく言えない“微妙な戻りきらなさ”をほどいて、最後に小さい抜け道を作っただけの昼。
けれど、その“それだけ”の中で、今日は役割の流れがかなり自然だった。
まず整える。
次に、引っかかりを見せる。
そして最後に、無理のない逃がし道を作る。
オカン担当なら、たぶんもっと真っ直ぐに立て直した。
私が前へ出たぶんだけ、今日は少し斜めで、少しだけ共犯めいていた。
でも、それはたぶん、関係や体調を削るためのずるではない。
ちゃんと戻るために、きれいに息を抜くための、小さい抜け道だ。
そういう悪さなら、私はたぶん嫌いじゃない。
そしてたぶん、そのくらいの悪友っぽさも、今の私にはだいぶ自然だった。




