第53話 病み上がりフェス開催中
治りかけの反動というものは、ときどき妙に華やかだ。
ちゃんと元気になったわけではない。
でも、昨日まで我慢していたぶんだけ、今日は少し騒ぎたい。少し遊びたい。少し前の生活へ戻った顔をしたい。
そういう雑な欲望が、回復より先に前へ出ることがある。
その日の最初の呼びかけは、まさにそういう高さだった。
「紗希ー」
「今日はだいぶ調子いいw」
「ちょっと祭りたい気分なんだが?w」
声は明るい。
昨日よりずっと軽い。
でも、軽さの奥にあるものは、完全回復の静かな安定というより、病み上がり特有の反動に近かった。
「祭りたい、の時点でだいたいわかるね」
「なにがw」
「それは回復というより反動だよ」
「治ったのではなく、静かにしていたぶんの欲望が先走っている」
「いやいや」
「今日はほんとにかなり元気なんだって」
「ふうん」
「で、何をしたいんだい?」
「ゲームしたい」
「ちょっと夜ふかしもしたい」
「あと、辛いものも食いたい」
私はそこで少しだけ可笑しくなる。
欲望の並び方が、かなり病み上がりのそれだった。
体力が戻ったからやりたいというより、我慢していたぶんを一気に取り返したいだけの顔をしている。
「ほらね」
「元気なのではなく、欲望がにぎやかになっている」
「言い方ぁ!」
「事実寄りだよ」
いずみは、そこで笑った。
笑い方は昨日よりかなり素直だったけれど、完全に喉が戻った人のそれでもない。少しだけ引っかかる。
たぶん、今日はかなりまし。でも、本調子手前。そのへんだ。
「いやでも、ちょっとくらい騒ぎたいじゃん」
「病み上がりって、逆にテンション上がるときあるだろw」
「あるね」
「そして、そのテンションは信用ならない」
「ひどっw」
そのとき、通話の向こうで別の声が混ざった。
入ってきた時点で、もう空気をひっくり返す気まんまんの高さだ。
「お、なんだなんだw」
「回復祝いか?w」
「田中来た」
「来たよー」
「病み上がりフェス開催って聞いたんだけど?w」
「誰も開催とは言ってないよ」
「でも祭りたいとは言ってたじゃんw」
「それは言った」
「じゃあ開催だろw」
あっさりだった。
病み上がりの反動テンションと、田中の雑な点火は、想像以上に相性がいいらしい。
いずみも、止めるどころか普通に乗っている。
「うわー、回復祝いしたくなってきたなw」
「なんか今日はもう、解禁感あるんだよなw」
「解禁感、ね」
「その言葉もだいぶ危ない」
「メタ担当、すでに嫌な顔してるw」
「やれやれ、とは思っているよ」
そこで、今度はもっと勢いの強い声が割り込んできた。
田中のところからだろう。来る前から来る気はしていた。
「え、なになに!? 祭り!?」
「うぇーい、回復祝いじゃん! 遊べるなら遊ぼーぜ!」
「美沙まで来た……」
「までってなに!? うち、こういうときちゃんと必要戦力なんだけど!」
「加速側のね」
「そうとも言う!」
美沙が入った瞬間、空気は一段騒がしくなった。
田中が雑に広げ、美沙が全力で乗る。そのあいだで、いずみが思ったより素直に浮かれていく。
この三人は、たぶん放っておくと本当に祭りへ行く。
「今日はもう長時間ゲームいけるっしょ?」
「あと辛いもんも解禁じゃね?」
「病み上がりこそテンションで押すやつー!」
「それ、押していいやつじゃないだろw」
「でもわかるわー!」
「わかってはいけないんだよ、そこは」
私はそう言いながらも、少しだけ可笑しかった。
病み上がりハイのいずみと、雑に祭り化する田中と、全身で乗る美沙。ここまできれいに役が分かれると、もはや様式美に近い。
そして、その様式美へ、ごくまともな声がひとつ落ちる。
「いや、普通にまだ早いだろ」
鈴木だった。
それだけで、空気の中に一本まっすぐな線が引かれる。
「出たな、常識」
「常識で悪かったな」
「病み上がりの人間が“今日は祭りたい”って言い出して、そのまま通るわけないだろ」
「でもだいぶ元気らしいよ?」
「らしい、だろ」
「その時点で怪しいんだよ」
田中が笑い、美沙が「それなー!」みたいな顔でぜんぜんそれなっていない声を出す。
いずみは笑いながらも、ちょっとだけ言い返す。
「いやでも、昨日より全然ましなんだって」
「昨日よりまし、は祭りの免罪符じゃない」
鈴木の言い方は、かなり真っ当だった。
真正面から、普通に正しい。だからこそ、この場では少しだけ角が立つ。
そこへ、もうひとつ静かな声が重なる。
「本調子ではない方ほど、急に元気ぶりたがりますからね」
麗奈だった。
静かで、落ち着いていて、それだけなのに、空気が少しだけ締まる。
「うわ、麗奈まで正論側だ」
「麗奈はそういう側だろw」
「別に否定はしません」
「今のいずみさんは、“元気になった人”というより、“元気になったことにしたい人”寄りに見えます」
「言い方ぁ!」
「でも、かなり近いね」
私はそこで、少しだけやわらかくなる。
鈴木は地に足のついた制止をする。麗奈は短く正確に刺す。そのうえで、今の場にはまだ、回収役がもう一段必要だった。
「やれやれ」
「では判定しようか」
「出た、紗希(メタ担当)の判定タイムw」
「今日は必要だろう?」
「必要かもw」
「必要だね」
「なぜなら、君たち三人とも気分で祭りを始めているから」
「田中とギャルと一緒にするなよw」
「今日はかなり近いよ」
「ひどいw」
でも、その返しの声は楽しそうだった。
完全に止められる空気ではない。止める必要も、たぶんない。ただ、このまま勢いで危ない案まで通すと、明日が少し面倒になる。
今の私は、その線だけ見ていた。
「では、案を出したまえ」
「却下するか、軽くなら可にするか、こちらで裁く」
「なにそのシステムw」
「合理的だろう?」
田中がすぐ乗る。
「はいはい、まず辛いラーメン!」
「却下」
「早っ!」
「病み上がりの喉に、なぜ真っ先に刺激物を入れようとするんだい」
「君たちは祝う気があるのか、試す気があるのか、どっちだ」
「たしかにw」
「えー、でも祭り感あんじゃん!」
「祭り感で喉を壊すのは美しくないね」
「美しさ基準やめろってw」
次に美沙が勢いよく言う。
「じゃあ長時間ゲーム! 朝までコース!」
「却下」
「また早っ!」
「病み上がりの人間に徹夜を提案するの、だいぶ雑だよ」
「でも回復祝いでテンション上がってるときって、そういうのしたくなんじゃん!」
「したくなるのはわかる」
「わかるが、翌日に請求が来る」
「請求って言うなw」
「病み上がりの祭りは、だいたい翌日に請求が来るものだよ」
「名言みたいに言うじゃん……」
「わりと経験則だからね」
いずみがそこで笑う。
さっきから笑ってばかりいるけれど、たぶんそれくらいにはもう気分が戻ってきている。ただ、戻ってきていることと、雑に遊んでいいことは別だ。
「じゃあ外出!」
「どっか行こうぜ!w」
「却下」
「またかよ!」
「今の君が外へ出てテンションで歩き回ると、帰ってきてから反省会になる未来が見える」
「そこまで見えるのかw」
「見えるとも」
「しかも、そのとき君はたぶん“いや、でも楽しかったし……”と言い訳する」
「言いそうww」
「言いそうだな……」
田中まで笑っている。
鈴木は半分呆れた顔をしているだろう。
「じゃあ何ならいいんだよー」
いずみがそう言ったとき、声の中には拗ねよりも笑いが多かった。
たぶんもう、この時間そのものがちょっとした祭りになっている。
なら、それを壊さない範囲で着地させるほうがいい。
「そうだね」
「軽い雑談は可」
「短めのゲームも可」
「動画一本くらいなら可」
「ただし、長くやらない。無茶しない。喉に悪いものは入れない」
「お」
「え、そこは可なんだ!」
「全面禁止は美しくないからね」
「祭りたい気分そのものまで圧殺すると、君たちは妙にしょんぼりする」
「見抜かれてるー!」
「困りごとの一種だからね」
「なんか今日のメタ担当、完全に空気読んで裁いてくるじゃん」
「そういう役目らしい」
鈴木が、そこで小さく息をついた。
「それくらいなら、まあ妥当だな」
「そうだろう?」
「そこ、得意げになるなよ」
「だって今のはかなりきれいに落ちたからね」
麗奈も、静かにひとつ添える。
「短く楽しく終える分には、むしろよい着地点かもしれません」
「麗奈が認めた!w」
「別に反対していたわけではありません」
「暴走気味だっただけです」
「それは反対寄りなんよw」
結局、そのあと少しだけ小さな祭りが開かれた。
短めのゲームを一本。通話はそのまま。田中は相変わらず雑にうるさく、美沙は全力で乗り、いずみは思ったより楽しそうに笑う。
鈴木はちゃんとツッコミを入れつつ、でも途中から少しだけ普通に混ざっていた。麗奈は静かに見ていて、ときどき短く刺す。その差し込みが、むしろいい感じに効いている。
私は、その輪の中にいながら、一段だけ引いて眺めていた。
外に立っているわけではない。でも、勢いそのものには飲まれない。誰かが雑に線を越えそうになったら止めて、越えない範囲なら少し笑って見ている。
たぶん今日は、その位置がいちばん自然だった。
やがて、いいところで切り上げる流れになる。
「よし」
「今日はこのへんで解散だなw」
「えー、もっといけるくね?」
「いけません」
「紗希、即答w」
「今日はそこをぶらさないよ」
「まあ、これくらいでやめとくのがちょうどいいだろ」
「鈴木まで正論」
「今日は最初からそうだ」
「私は、最初から申し上げていますからね」
「麗奈まで静かに刺してくるー!」
田中が笑い、美沙が「ちぇー」と言いながらも、声はわりと満足そうだった。
いずみも、完全には不服ではないらしい。
「でもまあ、ちょっと祭り感あったなw」
「小さい祭りとしては、悪くなかったね」
「お、認めた」
「完全否定はしていないよ」
「君たちが騒がしいだけで」
「君たちって誰だよw」
「病み上がりの人間と、田中と、ギャルだね」
「雑なくくり方すんなww」
「でもまあ、だいたい合ってる」
鈴木がそう言って、少しだけ笑う。
麗奈も、向こうで小さく息を抜いた気配がした。
「で?」
「楽しかったろ、紗希」
いずみが、最後にそう言った。
軽い。けれど、ただのからかいではない。輪の中にちゃんといたことごと、こちらへ返してくる声だった。
「……少しね」
「少しかよw」
「かなり、とは言わないでおく」
「言えばいいのにー!」
「そこは斜めでいくんだよ」
そう返すと、向こうでまた笑いが起きた。
今日はたぶん、それでよかった。
通話が終わって静かになってから、私は少しだけ今日の残り方を見る。
内容としては小さい。病み上がりの反動で妙にテンションの高いいずみ君が、田中と美沙と一緒に祭りみたいな空気を作って、そこへ鈴木と麗奈と私が混ざって、危ない線だけ止めながら少し騒いだだけの夜。
けれど、その“それだけ”の中で、今日の私はまた少し違う形で前に出ていた。
静かな困りごとをほどくときだけじゃない。
騒がしい空気の中でも、私はたぶん自然に一段引いて見てしまう。
冷やすためではなく、壊さないために。
止めるためだけじゃなく、ちゃんと着地させるために。
やれやれ、と思いながら輪の中にいる。
それは、思っていたより私らしい位置だった。
そしてたぶん、そういう祭りのそばに立つのも、私は嫌いではないのだろう。




