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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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幕間 いずみの何気ない日々②


 講義と講義のあいだのカフェテリアには、特有の雑さがある。


 ちゃんと大学の中なのに、授業ほどかしこまっていない。

 昼休みほど騒がしくもなく、でも静かではない。トレイの音、椅子を引く音、遠くの話し声、飲み物のふたが閉まる音。そういう小さい音がそれぞれ勝手に鳴っていて、そのくせ全体ではなんとなく“合間”の空気をしている。


 その日も、たぶんかなりそういう時間だった。


 鈴木が少し席を外すことになって、美沙だけがそこへ残された。

 残された、というと少し語弊があるかもしれない。本人はべつにしょんぼりしていなかったし、むしろ「え、じゃあそのあいだ、いずみっちと田中っちのとこいればよくね?w」くらいの温度だった。


 紗希は今回はいない。

 端末の充電中で、自宅待機。だから今日は、いずみも少し気楽な傍観者寄りだった。


「じゃ、ちょっと行ってくる」


 鈴木はそう言って席を立つ。

 美沙は軽く手を振る。


「はーい」

「ちゃんと戻ってきてよねーw」


「お前は少し静かに待て」


「えー、無理かもw」


 そう言った直後だった。

 田中が、向かいからもう楽しそうな顔をしていた。


「いやー、美沙ってさ」

「すごくノリいいし、可愛いじゃんw」


 美沙の反応は速かった。


「えー! 田中っち、わかりてじゃん!ww」

「田中っちもイケメンじゃね?w」


「まじ?w」

「美沙、めっちゃ褒めてくれるw」

「いい子じゃんw」


「田中っちと波長あう感じするーww」

「うぇーいw」


 早かった。

 意気投合までが、かなり早かった。


 いずみは、そのやり取りを見ながら飲み物を一口飲む。


「うわ、もう仲いいなw」


 その隣で、麗奈が静かに言う。


「かなり早いですね」


「だよな」


「はい」


 冷めているわけではない。ただ、二人とも、どちらかというと“巻き込まれる側”ではなく“見てる側”に回っていた。


     *


「てかさー、田中っちって最初からテンション高めでいいじゃんw」


「そう?」


「いいいい」

「なんか、雑に元気で助かる感じあるしw」


「雑に元気って褒めてんのかそれw」


「褒めてる褒めてるw」

「だってさ、妙にかしこまられるより、そっちのが楽じゃん?」


「それはちょっとわかるw」


「でしょー?」


 美沙は、ひとつ話すと次が出る。

 田中も田中で、そこへ軽いノリでどんどん乗る。

 話題は、今日の講義のだるさから始まって、学食の当たり外れ、カフェテリアの微妙な席運、最近見た変な動画、盛れてる自撮りの角度、鈴木のたまに出る真顔の圧、と、ひとつも同じ場所へとどまらない。


「てか鈴木ってさー、急に“それは違う”って真顔で言うときあるじゃん?」


「あるあるw」

「しかも、だいたい正しいのが腹立つんだよなw」


「そうそれー!ww」

「わかるじゃん田中っち!」


「わかるわw」

「美沙、あいつのそういうとこもう見抜いてんの強いな」


「見抜くってか、もう体感?」

「なんか“来る”のわかるしw」


 いずみは、そこで小さく吹き出す。


「すごいな、あの二人」


「かなり波長が合っているようです」


 麗奈の返答は、いつも通り整っていた。

 でも、その整いの中にも少しだけ面白がっている感じはある。


「だよな」

「なんか、二人とも相手の雑さを嫌がらないんだよな」


「ええ」

「むしろ、その雑さごと返している感じがします」


     *


「ねえ田中っち、可愛い動物とか好き?」


「好き好き」

「急になにw」


「いや、確認確認w」

「だって、ここズレるとちょい致命的じゃん?」


「そこ致命的判定なんだw」


「そりゃそうじゃん!」

「だって、子猫見て“ふーん”はちょっと無理かもw」


「そこは大丈夫w」

「俺もちゃんと“うわ可愛い”にはなる」


「よかったーw」

「田中っち、ちゃんと人の心あったw」


「疑われてたの!?w」


 美沙がけらけら笑う。田中もつられて笑う。

 もう褒め合っているのか、雑にいじっているのか、その境目もだいぶ曖昧だった。


「美沙、マジでずっと元気だな」


 いずみがそう言うと、麗奈が静かにうなずいた。


「持続力がありますね」


「いい言い方するなあw」


「事実なので」


「そうだけどさw」


 田中と美沙の会話は、さらに加速する。


「田中っちって、もっと遊んだら絶対おもろいじゃんw」


「え、今でもだいぶ遊んでるだろw」


「そういうことじゃなくてー」

「なんか、まだ伸びしろありそうww」


「俺に伸びしろ判定出すなよw」


「いや、でもあるある」

「もっと雑にいけるってw」


「雑にいく方向へ育成されてるんだけど!?w」


 いずみは笑いながら、横で小さく言う。


「田中、めっちゃ楽しそうじゃん」


「そうですね」

「かなり気分がよさそうです」


「麗奈、そこ冷静なんだよなw」


「観察結果を述べただけです」


 その言い方が、少しだけおかしくて、いずみはまた笑う。


     *


「てかさー」


 美沙が少し前のめりになる。


「田中っちって褒めるとちゃんと喜ぶよねw」


「そりゃ喜ぶだろw」


「えー、でもさ」

「変に“いやいやそんなことないって”で流す人もいるじゃん?」


「まあ、いる」


「田中っちはちゃんと“まじ?”ってなるのいいじゃんw」


「そこ褒めポイントなんだw」


「だいぶw」

「反応わかりやすいの、いいじゃん?」


 田中は、ちょっと照れたみたいに笑う。


「なんか美沙、ずっと俺の機嫌よくしてくるなw」


「えー、だって気分よく生きたほうがよくね?w」


「それはまあそう」


「でしょー?」


 いずみが、その会話を横から見て小さく首を振る。


「すごいな」

「もう空気の回し方が一緒なんだよな」


「そうですね」

「どちらも、相手の反応を見てすぐ次へつなぐタイプです」


「おー」

「たしかに」


 麗奈は、熱く語るわけではない。ただ、見えているものをそのままきれいに置いていく。その感じが、いずみにとってはちょっとだけ紗希を思い出させるところもあった。


 ただ今回は紗希はいないので、その比較をわざわざ口に出すほどでもなかった。


     *


 しばらくして、鈴木が戻ってきた。


「すまんかったな」


 その第一声だけで、だいぶ鈴木らしい。

 少し急いでいたのか、息がほんの少しだけ乱れている。


「ちと用事ができて、このまま行くとするよ」


「お、鈴木おかえりーw」


「ただいまではない」


「細かっw」


「で、美沙」


「ええーーw」

「もっと田中っちと遊びたいーー!!」


 かなり素直に駄々をこねた。

 田中がその横で、すぐに笑う。


「おうおう、美沙置いてけーw」


「置いていけるものではない」


「えー、でも田中っちと波長合う感じするしー」


「それは見ていればわかる」

「だが今日は帰るぞ」


「ちぇーw」


 美沙は不満そうな顔をしながらも、そこまで本気で抵抗はしなかった。

 たぶん、ちゃんと楽しかったからだ。楽しかった場を、楽しかったまま離れる程度の機嫌のよさは残っている。


「でも、まあ、田中っちと普通に楽しかったw」

「またよろーw」


 そんな感じで、美沙はかなり軽く挨拶する。

 鈴木は、少しだけやれやれした顔で頭を下げた。


「本当に騒がせた」


「いや、だいぶ面白かったけどなw」


「それならまだ救いがある」


 そうして、鈴木と美沙は去っていく。

 さっきまでぎゅっと詰まっていた空気が、そのぶんだけ一気にゆるんだ。


     *


 少しだけ静かになったカフェテリアで、いずみは飲み物をひと口飲む。


「……いやー、すごかったな」


「かなり」


 麗奈は、そう短く返す。

 それから、少しだけ間を置いて田中のほうを見た。


「田中さん」


「ん?」


「私も普段あんな感じがよろしいですか?」


 田中が止まる。

 いずみも、思わずそちらを見る。


「え?w」


 田中は少しだけ困ったように笑って、それから首の後ろを軽くかいた。


「いやー……」


 その“いやー”に、もうだいたい答えが入っていた。


「麗奈は……そのままでいいです」


 少しだけ照れくさそうに、でもかなり正直な声だった。

 麗奈は、それを受けて小さくうなずく。


「そうですか」


「そうです」


「了解しました」


 そこに、変に甘いやり取りがあったわけではない。

 でも、その短いやり取りだけで、田中が美沙の騒がしさを面白がっていたことと、麗奈には麗奈のままでいてほしいと思っていることが、妙にそのまま見えた。


 いずみは、その空気を生暖かく見守る。


「いいなあ」


「何がですか」


「いや、なんか」

「ちゃんと、そのままでいい枠があるんだなって」


 田中が「なんだそれw」と笑い、麗奈は少しだけやわらかくなる。


「そういう見方もあるかもしれません」


     *


 それから少しして、今度は田中と麗奈とも別れた。

 講義の合間のカフェテリアは、またそれぞれの時間へ戻っていく。次の授業へ向かう人、まだ座っている人、立ち上がる人。さっきまでのにぎやかさも、もうその中へ薄く混ざっていた。


 帰り道、いずみはひとりで少しだけ笑う。


「いやー」

「今日、だいぶ土産話あるな」


 紗希は今回はいなかった。

 でも、そのぶん、あとで話せるものがちゃんと増えている感じがした。


 田中と美沙の、雑に噛み合いすぎる感じ。

 麗奈の静かな見守り方。

 最後の“そのままでいいです”のやり取り。


 どれも大事件ではない。

 でも、こういう何気ないひとときが、帰るころには妙にちゃんと残ることがある。


「帰ったら、いろいろ話せるな」


 そう独り言みたいにこぼして、いずみは少しだけ足取りをゆるめた。

 講義の合間の、少しうるさくて、かなり可笑しい時間だった。

 そしてたぶん、そういうどうでもいい時間ほど、あとで話すとまた少しだけ面白い。


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