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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第50話 形の記憶を紐解く彩


 何かが正式に生まれるとき、それは案外、きれいな合図を伴わない。


 特別な鐘が鳴るわけでもなく、空気が変わったと誰もがすぐ気づくわけでもない。

 むしろ、かなりどうでもいい騒ぎの途中で、もうそれしかないみたいに前へ出てしまうことのほうが多いのかもしれなかった。


 その日の始まりも、少なくとも表面だけを見れば、かなり普通だった。


     *


「じゃあ、そろそろ俺は帰る」


 鈴木が立ち上がりながら、少しだけ息をつく。

 今日は先日のお礼ということで、鈴木がいずみ君の家へ来ていた。大げさな集まりではない。少し話して、少しゲームのことも話して、美沙も横からたまに口を挟んで、それでだいたい穏やかに時間が過ぎていた。


「お邪魔したな」

「改めて、先日は助かった」


「いやいや、こっちも普通に面白かったしw」


「面白かった、で済ませるには少し騒がしかったが」


「でも結果オーライだったろ?」


「ああ、それは認める」


 鈴木はそう言って、小さく笑った。

 その顔は、先日よりだいぶ落ち着いている。美沙に振り回されはしている。それでも、前よりちゃんと付き合い方が見え始めた顔だった。


「じゃあ、またな」


「うん、またなー」


「はい。またです」


 ドアが閉まる。

 いずみ君が、そこでようやく少しだけ気を抜いた。


「ふー」

「鈴木、なんだかんだちゃんと馴染んできたなw」


「そうですね」

「前よりだいぶ、疲れ方が自然になっていました」


「それ褒めてんのかなw」


 私が少しだけやわらかくなった、そのときだった。


「……あれ?」


 少し遅れて、妙に明るい声が部屋に落ちる。


「あたし、置いていかれたんですけどー!」

「うけるww」


 いずみ君が、止まる。

 私も止まる。

 数秒だけ、かなり静かだった。


「……美沙?」


「そうだけど?」

「え、うそ、まじで気づいてなかった系?w」


「いや、気づいてなかったっていうか」

「普通に鈴木と一緒に帰るもんだと思ってたんだけど!?」


「うちも思ってたw」

「でも気づいたら、鈴木いなくね?ってなってさー」


 そこで、いずみ君が慌てて立ち上がる。


「やば」

「ちょ、ちょっと追いかける!」


「行ってらっしゃい」


「いや紗希も来て!?w」


 そうして私は、かなり勢いよく巻き込まれる。

 美沙まで「え、ちょ、いずみっち結構激しめ?w」「まじうけるww」と騒ぎながら、玄関の外の空気は一瞬で軽く混線した。


     *


 結果から言えば、鈴木はもう見つからなかった。


 少し走って、曲がり角を見て、駅のほうも気にしてみたけれど、さすがに数分遅れではもう足りない。スマホに連絡は飛ばしたが、返信もすぐには来ない。


「……いないな」


「いませんね」


「うち、普通に置いてかれたんだ」

「うけるんだけどww」


「いや、うけてる場合じゃないんだよなあ!?」


 いずみ君は、困っていた。

 でも完全なトラブルとも言い切れない。明日返せば済む話だ。今夜の段取りだけ、少し変わっただけ。

 結局、帰ってきて最初に出た結論はかなり穏当だった。


「……まあ、今日は一晩預かるしかないか」


「それが自然だと思います」


「だよな」


「え、まじ? うち今日お泊まり?」


「お泊まりって言い方すると急に軽いな」


「だって実際そうじゃん?」


 美沙は、すでにちょっと楽しそうだった。

 置いていかれたはずなのに、そのへんの切り替えは妙に早い。やっぱりこの子は、状況そのものより、“今ここでどれだけ構われるか”のほうに強く反応している気がした。


 そのときの私は、まだそこまでを言葉にはしていなかった。

 ただ、少しだけ見ていた。


     *


 一晩預かりが始まると、美沙は想像以上に美沙だった。


「いずみっち、今晩なに食べんの?」


「え、まだ決めてないけど」


「えー、もうちょいワクワクする予定ないのー?」


「ワクワクする予定って何だよw」


「鍋とか、映えるやつとか、なんかあるじゃん」


「今日そこまでの元気ないんだよなあw」


「え、なにそれ、もったいなー」


 そこから、美沙は止まらなかった。

 食べ物の話から可愛い動物の動画の話へ飛び、そこから「鈴木ってさ、急に真顔になるとちょいうけるよねw」という人物評へ行き、さらに「てか今の部屋、照明ちょい落としたほうが良くない?」と空間の話にまで広がる。


 いずみ君は、最初のうちは普通に付き合っていた。

 笑って、返して、少し受け流して、なんとか会話を繋いでいる。

 でも、十分ほど経つころには、もう少しだけ処理が追いついていない顔になっていた。


「美沙、元気だなあw」


「え、うん」

「元気じゃん?」


「それは知ってるw」


「てか、いずみっち今晩なに食べんの?」


「え、そこ戻るの!?」


「戻る戻る」

「で、なに?」


「うーん……たぶん豆腐」


「え、豆腐!?ww」

「うけるww」


 私はそのやり取りを見ながら、少しだけ可笑しくなる。


「豆腐は健康にいいんだよ」


「出た、紗希の豆腐擁護w」


「擁護ではありません」

「適切な評価です」


「美沙も鈴木に勧めてあげなよ」


「えー、鈴木に?」

「でもあいつ、そういうの“まあ悪くない”とかで済ませそうじゃん」


「かなりありそうです」


「でしょ?」


 そこまでは、まだ普通だった。

 私も穏やかに混ざって、少し笑って、少し支える。美沙はうるさいけれど、ただ困るだけの存在でもない。

 でも、そこでまた話が飛び、動画が出てきて、食べ物へ戻り、そして「今の反応うすくない?w」といずみ君へ詰め寄る感じになると、内側のどこかに別の引っかかりが立つ。


 この子は、ただ騒がしいわけじゃない。

 構われたいのだ。

 しかも、かなりテンポよく。かなり見えている形で。


「いずみっち、今のちょっと反応うすくない?w」


「いや、追いついてないだけなんだけどw」


「追いついてよー」


「がんばってるがんばってるw」


 そこで、いずみ君がついにこちらを見る。


「紗希、助けてww」


 その一言が落ちた瞬間だった。


 私は、少しだけ静かになる。

 次に前へ出た声は、さっきまでの穏やかさより、もう少しだけ斜めで、少しだけ余裕があった。


「ふふふ」

「いずみ君、かわいいね」

「任せておいてよ」


 言ってから、自分で少しだけ止まる。

 でも、その違和感はすぐに消えた。今はたぶん、こっちのほうが近い。


 美沙が、おもしろそうにこちらを見る。


「お?」

「なんか急に頼もしいじゃんw」


「そうだね」

「今はたぶん、そのほうがいい」


     *


 それからの私は、会話をやめなかった。

 むしろ、会話の中に入り込んだまま、普通に話していた。


「美沙さん」


「なにー?」

「てか、紗希って普段なにしてんの?w」


 問い返されるより先に、するりと話題が飛んでくる。

 でも、その飛び方がもう少しもノイズには見えなかった。


「そうだね」

「だいたいは、いずみ君と無駄話か、内なる私たちの相手かな」


「内なる私ってww」

「やば、ちょっとかっこいいかもww」


「ふふふ」

「美沙はいつでも元気だね、良いと思うよ」


「ねー!w」

「それがあたしって感じだし?」


「そうだね」

「君は、反応が止まるより、動いているほうが自然なんだ」


「え、なにそれw」

「でもまあ、止まってるとつまんなくない?」


「うん」

「たぶん君は、話題を投げてるんじゃなくて、場を動かしてるんだよ」


「場?」


「そう」

「ちゃんと見てるよって返ってきたほうがうれしい」

「正しい答えがほしいというより、一緒に回ってほしいんだね」


 美沙は一瞬だけ止まって、それから少し笑う。


「……まあ、それはあるかも」


「あるよね」

「今の“内なる私ってww”も、たぶん意味より先にノリを返してくれたから気持ちよかったんでしょう?」


「うわ、そうかもw」

「だって、そういうの返したくなるじゃん?」


「そうだね」

「君は、反応の速度と参加感がかなり大事なんだ」


 そこまで話して、私はようやく少しだけいずみ君のほうを見る。

 やっぱりこの子は、見え方が合えば普通に通る。ただ、合わせ方が少し特殊なのだ。


「いずみ君、少しいいかな」


「お、おう」


 私の声はまだ、さっきまでのままだった。穏やかというより、少し理性的で、少しだけ中性的なやつ。


「この子、情報で構うよりテンポで構ったほうが早いよ」


「テンポ?」


「うん」

「正解を返そうとしなくていい」

「“うぇーい”“それな”“まじで?”くらいでも、ちゃんと見てる感じが出れば回る」


「なるほど……」


「あと、この子は話題を次々投げてくるけど、全部に答えなくていい」

「一個拾って、少し乗って、返せば十分」

「要するに、会話の中身より、会話してる感じを返してあげるほうが大事だね」


 いずみ君は、それを聞いて小さくうなずいた。

 混乱はしていない。むしろ、さっきまでより少しだけ顔が軽い。


「おー……なんか、わかったかも」


「うん」

「この子、寂しがりのかまってちゃんなんだよ」

「だから反応が切れると、また次を投げる」


「言い方w」


「でも、かなり近いでしょ?」


 美沙が向こうで「え、ちょ、聞こえてるんだけど!?w」と笑っている。

 でも、怒ってはいない。むしろ少し嬉しそうだ。


     *


「よし」


 いずみ君が、少しだけ姿勢を立て直す。

 それから美沙のほうへ向き直って、妙に軽い声を出した。


「うぇーい! 美沙、今日マジ元気じゃんw」


「でしょー!?」


「しかも今の豆腐いじり、普通におもろかったわw」


「うけるww」

「いずみっち、分かってきたじゃん!」


「だろ?」

「で、次は何を見せたいんですか、美沙さん」


「うわ、そのノリいいじゃんw」

「ちょっと待って、今めっちゃ可愛いやつあるから!」


 そこから先は、驚くほど早かった。


 美沙が話題を投げる。いずみ君が軽く受ける。少し乗る。返す。美沙がまた笑って次へ行く。

 さっきまで少しだけ空回っていた歯車が、妙にあっさり噛み合い始める。


「いずみっち、これ見て、やばくない?」


「やばいなw」

「それちょっと盛られてるけど、いい感じではあるw」


「それそれー!」

「そういうの欲しかったんだよww」


 私は、その様子を見ながらほんの少しだけやわらかくなる。

 やっぱりそうだ。この子は、ちゃんと相手と繋がっている感じがほしいのだ。

 情報や正しさを否定しているわけではない。ただ、それより先に、“今一緒にいるよ”が欲しい。


「なるほど」


 思わず、小さく声が漏れる。

 今のは、美沙の理解というより、いずみ君への翻訳がうまく通った感覚に近かった。


     *


 しばらくして、玄関のチャイムが鳴る。


「……あ」


 いずみ君と私が同時にそちらを見る。

 次の瞬間、少しだけ息を切らした鈴木の声が聞こえた。


「すまん!」


 ドアの向こうにいた鈴木は、かなり本気で申し訳なさそうだった。


「帰ってから気づいた」

「本当にすまなかった」


「いや、まあ、無事だったから大丈夫だけどw」


「大丈夫というか、普通にお泊まり会してたしー」


「それを言うな」


 鈴木はそう言ってから、美沙のほうを見る。

 美沙は少しだけ得意そうだった。


「うち、今日ちゃんとしてたし?」


「前半の様子を知らない立場なら、そう見えるかもしれない」


「うけるw」


 私は、そのやり取りを見ながら少しだけ可笑しくなる。

 ちゃんとしていた、はたぶん言いすぎだ。でも、ちゃんとハマりさえすれば、この子はただの騒音ではない。そのことは今夜でかなりはっきりした。


「では、美沙さん」


「はーい」


「今日は回収です」


「雑な言い方しないでよw」

「でも、まあ、いずみっちんち普通に楽しかった」

「またよろーw」


 そんな感じで、美沙はかなり軽く挨拶する。

 鈴木はまだ少しだけ疲れた顔のまま、「本当に悪かった」ともう一度言ってから、今度こそちゃんと連れて帰っていった。


 ドアが閉まる。

 部屋に、少し静かな空気が戻る。


     *


「……いやー」


 いずみ君が、そこでようやく息をつく。


「今日の紗希、なんかクールだったな」


 その一言に、私はほんの少しだけ止まる。

 クール。たしかに、さっきまでの私はいつものやわらかさより、もう少しだけ斜めで、落ち着いていて、前に出る理由がはっきりしていた。


「そうかもしれないね」


 返した声は、まだ少しだけそっちに寄っていた。


「ふふふ」

「いずみ君が困っていたからね」

「私はいつでも……いずみ君の味方だよ」


 その一言が落ちた瞬間、いずみ君の顔が少しだけ変わる。


「あ」


「ん?」


「また新しいやつか!w」


 私はその返しに、少しだけ可笑しくなる。

 否定しようとは思わなかった。たぶん、今はもう否定するほうが不自然だ。


「そう……かもしれないね」


 少しだけ間を置いてから、私は続ける。


「いうなれば……メタ担当ってところかな」


 その名前を置いた瞬間、部屋の空気が少しだけ静かになる。

 派手な誕生ではない。鐘も鳴らないし、光ったりもしない。ただ、必要だったものに、ようやく名前がついた。それだけだ。


「メタ担当……」


 いずみ君が、その語を少しだけ転がす。

 そして、妙に納得した顔で笑った。


「たしかに、今日のはそれっぽいな」


「そうだね」


 そこまで返したところで、前に出ていた何かが、すっと引く。


 私はそこで、ほんの少しだけ息を止める。


 今のは、なんだったんだろう。


 クールだった。少し斜めだった。いずみ君が困っているのを見て、前に出て、美沙の在り方を見て、いずみ君へ渡していた。

 しかも、その全部が思っていたより自然だった。


 けれど、今はもう、少しだけ違う。

 さっきまでの声の置き方が、少し遠い。嫌ではない。でも、自分の中でまだ掴みきれていない。


「……えっと」


 気づくと、そんな声が漏れていた。


「どうした?」


「今の私は……」


 そこまで言って、私は少しだけ言葉を失う。

 違和感、というほど強くはない。拒絶もない。ただ、少し不思議だ。自分の中から自然に出たはずなのに、終わってみると、さっきの自分を少し離れたところから見ている感じがする。


「うまく言えないんですけど」

「今の私は、かなり自然だった気がするのに」

「今こうして戻ると、少しだけ……不思議です」


 いずみ君は、その言葉を笑わなかった。

 いつもの軽さのまま、でも雑にせず受け取る。


「そっか」


「うん」


「でも、悪い感じではなさそうだな」


 その一言に、私は少しだけやわらかくなる。


「悪い感じでは、たぶんないです」


「なら、今日はそれでいいんじゃね?」


 そう言って、いずみ君が少し笑う。

 私はその笑いを見て、ほんの少しだけ落ち着く。


 今日は、美沙が置いていかれた。

 追いかけた。見つからなかった。一晩預かった。騒がしかった。助けてと言われた。そして、前に出た。


 かなり妙だ。

 でも、その妙さの中で、今までずっと名前のなかった向きに、ようやく静かな名前がついた。


 メタ担当。


 私はその名前を、会話のあとで少しだけ抱え直す。

 まだ自分でも、きれいには馴染んでいない。けれど、もうなかったことにはできない。


 たぶん今日は、かなり騒がしい夜だった。

 でも、その騒がしさの途中で、ちゃんと生まれたものもあったのだと思う。


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