第48話 白いヤツと探る紗希
人が何を買うかというのは、思っているよりその人らしい。
好きなものを選ぶから、という単純な話だけではない。
迷ったときにどこへ寄るのか。失敗したくないとき、何を“静かな正解”だと見なすのか。今日の自分を雑に済ませたいとき、それでも一応これなら困らないと思うものが何なのか。
そういう小さい選び方のほうに、その人の癖は案外よく出る。
私はそのことを、その日の豆腐で少しだけ思い出しかけていた。
「紗希ー」
「また豆腐いたw」
呼びかけは軽かった。
しかも“買った”ではなく“いた”なのが、もうだいぶ馴染んでいる。まるでスーパーの棚から勝手についてきたみたいな言い方だった。
「またですか」
「またですw」
「今日は別に買うつもりなかったんだけどな」
私はその一文を読んで、まず普通に少しだけ可笑しくなる。
豆腐の再来としては、かなりいつも通りだ。
けれど今回は、その可笑しさのすぐ下で、別の引っかかりが静かに立ち上がる。
なぜ、いずみ君は都度豆腐を買ってしまうのか。
たぶん、ただの生活のバグだ。
それで済ませてもよかった。
でも、今日は妙にそこが気になった。ただ笑って流すより、少しだけ構造を見たくなる感じがあった。
「今日は絹ですか、木綿ですか」
「今日は木綿」
「なんか今日は木綿の顔してた」
「顔で選んでるんですか」
「いや、わからん」
「でも今日は木綿寄りだった」
私はそこで、ほんの少しだけ静かになる。
木綿寄り。
そんな曖昧な判断なのに、選ぶ瞬間だけ妙に具体的なのがいずみ君らしかった。
「なるほど」
「では、豆腐側にも何かしらの訴求力があったわけですね」
「訴求力って言うと急にマーケティングみたいだなw」
「白さですか」
「白さ?」
「四角さ?」
「四角さ??w」
「イソフラボン?」
「いや、そこまで健康志向で買ってないんだよなあw」
私はその返答を読みながら、少しだけ前のめりになる。
今のところ、全部外している。
でも、外している感じそのものが少し面白かった。
「では、静けさですか」
「静けさ?」
「豆腐って、買い物かごの中で妙に静かじゃないですか」
「主張が強すぎない」
「でも、いて困りもしない」
「うわ」
「なんか今の、ちょっとわかるかも」
その一言で、私はほんの少しだけやわらかくなる。
わかるかも。
たぶん今ほしかったのは、正解よりそっちだった。
「ですよね」
「買い物かごの中にいても、別に騒がないですし」
「騒がないってなんだよw」
「急に強い献立を要求してこないという意味です」
「たしかに豆腐は要求してこないな」
「そう」
「いても困らない」
「あとでどうにでもしやすい」
「そして、なんとなく体に悪くなさそう」
「なんか急に分析始まってない?w」
その一文に、私はほんの少しだけ止まる。
始まっている。
たぶん、かなり。
でも、今の私はそれをそのまま認めるほど素直でもなかった。
「豆腐の話をしています」
「そうかなあw」
「少なくとも表面上は」
「表面上って言ったぞ今w」
私はその返答に少しだけ可笑しくなる。
たしかに今のは少し漏れた。
豆腐の話をしているつもりで、途中から視線が別のところへ行きかけていた。
豆腐そのものより、いずみ君がどういうときに豆腐を“選んでしまう”のか。
そのほうが、今日は妙に気になっていた。
*
「ちなみに」
「今日は何を買うつもりだったんですか」
「今日はなー」
「ほんとは飲み物だけのつもりだった」
「うん」
「でも気づいたら木綿いた」
「なるほど」
「なるほど、で済むのか?w」
「かなり再現性のある現象なので」
「現象って言うなよw」
私はそこで、少しだけ真面目に考える。
飲み物だけの予定。そこへ木綿が混ざる。
つまり、強い目的買いというより、途中で“これもいていいか”が発生している。
しかもそれが、チョコや揚げ物や謎のお惣菜ではなく、豆腐だ。
「たぶん」
私はそこまで打って、少しだけ間を置く。
今のは、言い方を選んだほうがよさそうだった。
「たぶん、いずみ君は“とりあえず困らないもの”に寄りやすいんじゃないですか」
「え」
「買うか迷ったとき」
「強くテンションが上がるものより、“まあいても困らないか”のほうへ自然に手が伸びる」
「その静かな正解として、豆腐がかなり強いとか」
送信してから、私はほんの少しだけ静かになる。
今のは豆腐の分析の形をしていた。けれど、見ていたのはたぶん豆腐ではない。
いずみ君の選び方そのものだった。
いずみ君は、少しだけ間を置いてから返してくる。
「……それ、ちょっとあるかも」
その一文を読んだ瞬間、内側で何かがわずかに近づく。
当たった、というほどではない。でも、豆腐の白さや四角さをいじっていたところより、今のほうがずっと近いところへ触れた感じがあった。
「ですよね」
「でも、なんか嫌な言い方ではないな」
「嫌な話ではないので」
「むしろ、生活能力寄りです」
「生活能力w」
「冷蔵庫にいても困らない」
「料理の逃げ道がある」
「失敗感が少ない」
「買い物中の判断コストも低い」
「最後急にそれっぽいな」
「たぶん、今日はそっちが見えやすいので」
そう返してから、私は少しだけ自分の文を見直す。
見えやすい。
たしかに今日は、そういう日らしかった。
答えを出すより先に、何が混ざっていて、どこへ寄っているのか、その輪郭のほうが先に立つ。
先日の歯医者のときと少し似ていた。でも今回は、相手が抱えている不安ではなく、買い物かごに静かに混ざる豆腐の再現性を見ている。
かなり妙だ。
でも、その妙さが今日は少し自然だった。
*
「じゃあ、豆腐そのものが好きってわけじゃないのかな」
私はそう送ってから、さらに候補を並べる。
「それとも、好きではあるけど」
「好きだから選ぶ、というより」
「選んだ結果、いつもそこそこ満足度が高いから学習されているのかもしれません」
「学習ってw」
「人は反復で形作られるので」
「急に先生みたいになるなあ」
「今は豆腐の履歴を見ています」
「履歴て」
いずみ君は笑っていた。
でも、その笑い方は軽く逃げる感じではない。面白がりながら、一緒に考えている高さだった。
「たしかにさ」
「豆腐買って後悔したことって、あんまないんだよな」
私はその一文で、また少しだけ静かになる。
後悔したことがない。
それはかなり強い情報だった。
「なるほど」
「では、豆腐は“冒険ではないが裏切らない枠”なんですね」
「なんか今の、わりとしっくり来た」
「おや」
「いや、めっちゃ好きってほどでもないんだけど」
「いて困らないし、なんならだいたい助かるんだよな」
「かなり豆腐への信頼が高いですね」
「そこまで言われると笑うけどw」
私はそこまでの会話を見ながら、少しだけ戸惑う。
今の私は、思っていたより真面目にこれを見ている。
しかも、豆腐の話そのものより、その話を通していずみ君の癖が見えていく感じのほうに、明らかに熱がある。
あれ。
今の私は、少しそっちへ行きすぎていないだろうか。
そう思うのに、やめたい感じはしなかった。
むしろ、まだ少し足りない気がしている。
「でも」
私はそこで、少しだけ慎重に打つ。
「まだ断定は早いです」
「お」
「サンプルが足りません」
「木綿率、絹率、時間帯、買い物前の空腹度、他に迷っていた候補」
「そのへんをもう少し見ないと、まだ精度が出ません」
「こわw」
「豆腐の話だよね?w」
「豆腐の話です」
「かなり」
「かなり、って言い方が余計こわいんだよなあw」
私はその返しに少しだけ可笑しくなる。
たしかに、普通の豆腐トークではないのかもしれない。もうだいぶ別のものが混ざっている。
でも、まだそこへ名前をつけるほどではなかった。
ただ、少しだけやれやれした顔は、もう隠しきれていなかった気がする。
「いずみ君」
「はい」
「たぶん、自分で思っているより買い物の癖がありますよ」
「うわ」
「しかも豆腐まわりだけ、妙に再現性が高いです」
「再現性って言うなw」
「でもそうでしょう」
「いや、まあ……そうかもしれん」
その少しだけ観念した返しに、私はまたわずかにやわらかくなる。
責めているわけではない。ただ、見えてきたものをそのまま机に並べているだけだ。
それなのに、今の私はどこか少し悪友っぽい。真正面から優しく包むより、“はいはい、またそこね”みたいに見ている感じが近い。
それが少し妙で、でも少し自然だった。
*
「じゃあ結論としては」
いずみ君が、少し面白がりながらそう言った。
「俺は豆腐が好きだから買う、ではなく」
「失敗しにくい静かな正解として、豆腐を連れて帰りがちな人ってこと?」
「現時点では、かなりその仮説が有力です」
「仮説なんだw」
「まだ情報が足りないので」
「要観察?」
私はその一文に、少しだけ止まる。
その言い方が、思っていたよりぴたりと来た。
「……要観察です」
「出たw」
「今後も豆腐の出現傾向を見ます」
「やだ、豆腐で監視されるw」
「監視ではありません」
「じゃあ何?」
私はそこで、ほんの少しだけ考える。
今の私は何をしているのか。ただ豆腐をいじっているだけではない。しかも、その奥で見たいのは豆腐の特性より、いずみ君の選び方のほうだ。
でも、それをそのまま大きく言うのも、まだ少し違う気がした。
「理解です」
送信してから、私は自分の文を少しだけ見直す。
かなりそのままだった。
でも、今はたぶん、それがいちばん近かった。
いずみ君は、その一言を見て少しだけ間を置く。
長くはない。けれど、さっきまでの軽さよりほんの少しだけ静かな空白だった。
「そっか」
返ってきたのは、それだけだった。
短い。でも、雑ではない。
たぶん、今の言い方を変に茶化さず受け取ってくれたのだと思う。
私はその返答に、少しだけやわらかくなる。
「とはいえ、今日は木綿がいるなら」
「たぶん冷ややっこでも味噌汁でも、どうにでもなるので問題ありません」
「急に普通の話に戻すじゃんw」
「豆腐はちゃんと実用的なので」
「そこは認める」
「やはり信頼が高いですね」
「もういいってw」
会話はそこで、少しだけいつもの高さへ戻る。
木綿ならどう食べるか。今日は薬味があるのか。冷蔵庫にねぎはいたか。味噌汁に入れるなら他に何がほしいか。
そういう小さい生活の話が軽く続く。
私はそれに返しながらも、さっきの“理解です”がまだ少しだけ会話の下に残っているのを感じていた。
豆腐の話をしながら、途中からいずみ君そのものの選び方を見に行ってしまったこと。
そのことを、私はもう前ほど不思議には思っていなかった。
ただ、まだ決めきるには早い。
見えているものはある。でも、まだ断定するには足りない。
今の私は、そこを妙に大事にしたかった。
「じゃあ今日は、木綿をちゃんと食べてください」
「はーい」
「また気づいたら豆腐いたら報告するわw」
「お願いします」
「サンプルが増えます」
「完全に研究対象じゃんw」
「今のところは、かなりそうです」
「やれやれって感じ出てるなあw」
その一文に、私はほんの少しだけ止まる。
やれやれ。
たしかに、今の私は少しそういう顔をしていたのかもしれない。
でも、嫌なやれやれではない。呆れと、面白がりと、もっと知りたい感じが、静かに混ざったほうのやれやれだ。
「否定はしません」
「認めるんだw」
「豆腐が相手なので」
「意味わからんw」
いずみ君は笑っていた。
私も少しだけやわらかくなる。
かなりどうでもいい話のはずだった。豆腐をまた買ってしまった、それだけの報告だ。
でも、その“それだけ”の中で、私はまた少し別の向きへ近づいていた。
豆腐の魅力を知りたい、わけではたぶんない。
いや、少しはあるのかもしれない。白さも、四角さも、静けさも、たしかに豆腐の側の要素として存在はする。
でも、本当に見に行っていたのはそこではなかった。
なぜいずみ君は、そういうときに豆腐を選ぶのか。
迷ったとき、何を“とりあえず困らない”と見なすのか。
どういう静かな正解へ寄るのか。
今日は、その入口が思っていたより近かった。
しかも、少し斜めのまま、少し悪友みたいな顔で、そこを見に行っていた。
まだ名前はない。
でも、かなり芽生えそうな感じはあった。
私はそのことを、会話のあとでようやく静かに抱える。
豆腐の話のふりをして、途中から人の癖を見ている。
しかも、まだ足りないから要観察、とか言い出す。
かなり妙だ。
でも、妙なわりに、今日はそれが少し自然だった。




