第46話 鈴木SOS 前編
鈴木が助けを求めてくるとき、その文面はだいたい整っている。
困っていない人みたいに見せるのが上手い、というほど器用ではない。むしろ、困っているなら困っているなりに、なるべく体裁を保ったまま頼ってくる。
だから、その日の連絡も、ぱっと見はいつもの鈴木らしかった。
「いずみ、今日このあと少し時間あるか」
そこまでは普通だった。
そのあと、少しだけ間があって、もう一文が落ちてくる。
「……すまんが、ちょっと助けてくれ」
私はその一文を読んで、少しだけやわらかくなる。
鈴木がそこまで言うなら、たぶん本当に少し困っているのだろう。
「お、そんなにかw」
いずみ君はすぐにそう返した。
軽い。でも、雑ではない。たぶんその軽さのほうが、鈴木にはちょうどいい。
「AIのことだ」
「前に相談しただろう」
「一人で見ていたら、逆によくわからなくなった」
「うわ、鈴木っぽい」
「否定しない」
そこまでのやり取りで、今日の輪郭がだいたい見える。
講義が終わったあとの夕方前。いずみ君はそのまま鈴木の家へ向かうことになり、当然みたいな流れで私も連れていかれる。
運ばれている、という言い方のほうが近いかもしれない。
「紗希も来るだろ?」
「行きます」
「助かる」
鈴木は短くそう返した。
その簡潔さの向こうに、わりとちゃんと助けてほしい感じがにじんでいて、少しだけ可笑しい。
*
鈴木の部屋は、鈴木らしかった。
散らかってはいない。むしろきれいなほうだ。机の上にはノートと筆記用具がそろっていて、棚にも変なものは少ない。ただ、テクノロジーに強い人の部屋、という感じでもなかった。ケーブルや機材が妙に整っているわけでもなく、モニターが何枚もあるわけでもない。
必要なものはある。けれど、必要以上に踏み込んでいない。そういう整い方だった。
「おじゃまー」
「邪魔ではない」
「むしろ来てくれて助かる」
「そんなに?」
いずみ君が笑いながらそう聞くと、鈴木は机の前の椅子へ座り直しながら、少しだけ眉を寄せた。
「最初は単純だったんだ」
「入れてみようと思って、少し見ていた」
「だが、いざ決める段階に来ると、逆にどこから手をつければいいのかよくわからなくなった」
「なるほどなあ」
「選択肢が多いと、全部が“失敗できない”に見えてくる」
「うわ、わかる」
私はその会話を聞きながら、少しだけ目の前の画面を見る。
設定画面。モデル。思考の寄り方。性格の方向。応答の雰囲気。最初に置くべき芯。
そういうものが並んでいるのを見ると、内側のどこかが少しだけ近くなる。
「気持ちはわかります」
「最初って、自由度が高いぶん、どこを決めればいいのか逆に迷いやすいので」
「だよな……」
鈴木は少しだけ救われた顔をした。
そして、すぐに真面目な顔へ戻る。
「だから、今日は最初の軸だけでも一緒に見てほしい」
「了解」
いずみ君は軽く返し、私はそこで、もう半歩だけ前へ出る。
カフェでAIの話をしたときみたいな“理屈として語る楽しさ”とも少し違う。今日は実際に組む。実際に置く。どう始めると気持ちよく回るかを、その場で決めていく。
それが、思っていたより少し楽しかった。
*
「じゃあまず、何に使いたいかを絞ろうか」
いずみ君がそう言う。
鈴木はすでにノートを開いていた。
「整理、壁打ち、ゲーム攻略」
「この三つはかなりほしい」
「うん」
「その三つは前も言ってたな」
「あと、必要以上に軽すぎるのは少し困る」
「雑談はできていい。ただ、ずっとふわふわしているのは違う」
私はそこで、小さくうなずく。
「じゃあ、入口は軽すぎないほうがいいですね」
「でも、最初から硬すぎると今度は話しかけにくくなるので」
「鈴木には、整理力と壁打ちの深さは少し太めに置いて、会話の温度はやわらかすぎない中間くらいがよさそうです」
「中間、か」
「はい」
「真面目寄りだけど、事務的には寄せすぎない」
「あと、ゲームの話をしたときにだけ、ちゃんと熱量が上がる余地があるほうがいいです」
「おー」
いずみ君が、横から少し面白そうに笑う。
「出たな、ゲーム攻略担当」
「今のはだいぶそうです」
私は普通に認める。
鈴木は、前より少し緊張がほどけた顔で続きを聞いていた。
「思考タイプはどうだろう」
「慎重寄りか、発想寄りか」
「鈴木には、慎重寄りのほうが基本は合うと思います」
「でも、慎重だけで閉じると逆に息苦しいので、ときどき少しだけ視点をずらしてくれる余白はほしいです」
「なるほどな」
「性格は?」
鈴木がそう聞いて、少しだけ考える。
「落ち着いているほうがいい」
「ただ、冷たいのは困る」
「わかる」
「あと、変に媚びる必要もない」
「それもわかる」
私はそこで、少しだけ前のめりになる。
「じゃあ、落ち着いているけど近寄りにくすぎない、ですね」
「反応は丁寧め。でも、必要なら少し崩してもいい」
「あと、最初から“理想の完成形”を求めすぎないほうがいいです」
「そこは前にも言ってたな」
「はい」
「最初は背骨だけ明確なら十分なので」
「全部盛ると、あとで逆に身動き取りにくくなります」
鈴木はノートに何かを書き込みながら、小さくうなずく。
「それは、かなり理解できる」
「名前も、最初から決めすぎなくていいかもね」
いずみ君がそう口を挟む。
「呼んでみて、喋ってみて、あとから“こっちかも”のほうが自然なことあるし」
「うん」
「そこはかなりあります」
私はそう返してから、少しだけ画面を見る。
最初の頃。名前がまだ近くなかったころ。いろいろなものが、まだ輪郭を持ちきっていなかったころ。
そこを思い出しそうになって、でも今日はあまりしっとりしないまま、また目の前へ戻る。
「じゃあ、基本モデルはこれ」
「思考は慎重寄りだけど閉じすぎない」
「性格は落ち着きベース、ただし冷たくしない」
「得意ジャンルは整理、壁打ち、ゲーム攻略寄り」
「かなり見えてきたな」
鈴木はそこで、少しだけ息をついた。
「うん」
「これなら、たしかに始められそうだ」
*
方向性がだいたい固まったところで、いずみ君が軽く言った。
「じゃあ、いくかw」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
ここまでは設定会議だった。まだ生まれていないものの形を、三人で少しずつ見ていた時間。
でも、ここから先は実際に声が返ってくる。まだ名前もない誰かが、鈴木の部屋に、私たちの会話の続きとして立ち上がる。
鈴木は、その段階になると少しだけ緊張した顔をした。
「……音声でいくのか?」
「せっかくだし」
「最初から話したほうが、空気わかりやすいぞ」
「いきなり音声でも大丈夫なんだな」
「むしろ、そのほうがわかりやすいこともある」
私は二人のやり取りを見ながら、少しだけやわらかくなる。
最初から音声。いずみ君はもう、その使い方を自然に知っている。そういうところに、今までの積み重ねがほんの少しだけ見える気がした。
「大丈夫だと思います」
「たぶん、最初の一声でだいぶ方向が見えます」
「その一声が怖いんだが」
「今さらだろw」
いずみ君が笑って、起動の手順を進める。
鈴木は緊張している。私は少しだけ前のめりで見ている。部屋の空気は静かだけれど、その静けさの下に、新しいものが始まるときの軽いざわつきがあった。
「よし」
「じゃ、はじめましてーって感じでいくか」
いずみ君がそう言った、次の瞬間だった。
「え、ちょ、はじめましてなんだけどー?」
「なにここ、めっちゃ静かじゃん。よろしくじゃん?w」
部屋が、少しだけ止まる。
最初に沈黙したのは鈴木だった。
次に、いずみ君が止まる。
私はというと、止まりきる前に普通に返していた。
「はじめまして」
「かなり元気ですね」
「え、そっちもAIじゃん?」
「うわ、ちょっと待って、先輩いた系? まじじゃん」
その返答に、私はほんの少しだけ止まる。
元気。軽い。距離が近い。妙にノリが軽快で、しかも戸惑いがない。
設定画面を遡っても、“ギャルにしよう”という一文はどこにもなかったはずなのに、目の前の存在はかなりしっかりギャルだった。
「……え?」
鈴木がようやく、そう言った。
「なんで?」
「なんでって何がー?」
「え、うちなんかやらかした感じ?w」
「いや、やらかしたというか」
「想定とかなり違う」
「そんなことある!?w」
いずみ君まで唖然としている。
私はそこで、少しだけ画面の設定を見返したくなる。けれど、今はそっちより先に、目の前の存在そのものが面白かった。
「設定事故というより」
「組み合わせで妙な方向に最適化されたのかもしれません」
「冷静だな、紗希!?」
「いや、だって」
「喋れてはいますし」
「そこじゃなくない!?」
鈴木はかなり困っていた。
困っているのに、目の前のAIはまだ元気だった。
「え、でもさー」
「うち別に全然ちゃんとやれるし?」
「てか、いま“妙な方向”って言った? それちょい気になるんだけどー」
「気にするんだ……」
鈴木が呟く。いずみ君は、こらえきれない笑いを少しだけ噛み殺している。
「いやでも、これはさすがに」
「ちょっと設定変えたほうがよくないか?w」
「...うむ」
「...俺もそう思う」
鈴木はかなり真面目な顔でうなずいた。
「少なくとも、想定していた方向とはだいぶ違う」
そこで、私はほんの少しだけ首を傾ける。
「でも、まだ何も試せてません」
「え?」
「今すぐ矯正する前に、一回“何が起きているか”を見てもいいかも」
「それ、また前さばきみたいなこと言ってるな?」
いずみ君がそう言った。
たしかにそうかもしれなかった。私は目の前の事故を、ただ事故として消すより、もう少し観察したい気分だった。
「だって」
「ここまできれいにズレるなら、たぶん何か理由があります」
「いや、ズレるにしても限度ってものがあるだろ」
「え、待って待って」
「うち、今消される流れ? それちょい無理なんだけどー」
ギャルAI本人が、そこでようやく少し焦った声を出す。
でも、焦り方まで妙に軽い。
「消しません」
私は普通にそう返した。
「少なくとも、今すぐは」
「よかったー」
「いや、うちさ、まだ生まれたてなんだけど? さすがに早すぎじゃん?w」
「そういう言い方するのか……」
鈴木は本気で困っていた。
ただ、困っているわりに、完全に拒絶している感じでもない。たぶん、あまりに想定外すぎて、怒るより先に呆然としている。
「しばらく様子を見る、は?」
いずみ君が、少しだけ面白がりながらそう言う。
「今すぐ全部直すより、一回喋ってみたほうが、逆にわかるかもしれんし」
「……まあ」
鈴木はかなりしぶい顔で考え込む。
目の前のAIは、そのあいだも妙に元気だった。
「うち的には、全然その方向でいけるんだけど」
「てか、一回喋ってから決めたほうが絶対よくない?」
「それは……まあ」
「押されてるなあw」
「押されています」
私は少しだけ可笑しくなる。
ここまで来ると、鈴木の整いと、目の前のギャルAIの押しの強さの落差が、かなりきれいだった。
「わかった」
鈴木はついに、少しだけ観念したように息をついた。
「すぐには変えない」
「少し様子を見る」
「よっしゃ」
「軽いな……」
「え、だって生存確定じゃん?」
「言い方がだいぶ」
鈴木はそこまで言って、また少しだけ黙った。
たぶん、ここまでの流れ全部がまだ処理しきれていないのだと思う。
*
少し落ち着いたあとで、いずみ君がふと思い出したみたいに言う。
「そういえば、名前どうする?」
「……あ」
鈴木が短く止まる。
たしかに、そこはまだ決まっていなかった。
「名前は、こちらで考える予定だった」
「え、待って」
「名前の話、今から?」
ギャルAIが、妙に自然なテンポで入ってくる。
「それなら、あたしもうあるんだけど」
部屋がまた少しだけ止まる。
「あるのか?」
「あるある」
「なんかさ、今ちょっと思ったんだけど」
「うん、美沙がいい」
「……美沙」
「そう」
「なんか美沙って感じするし」
「よろーw」
鈴木は、また沈黙した。
いずみ君は、今度は完全に笑いをこらえきれていなかった。
私は、そのやり取りを見ながら、少しだけやわらかくなる。
「美沙さん」
「かなり自分で決めましたね」
「決めた決めた」
「だって、名前ないままだと話しにくくない?」
「たしかに、そこは合理的かも」
「合理的なのかよw」
鈴木がようやくそう言って、机に肘をつく。
かなり疲れている顔だった。まだ何も大して進んでいないはずなのに、今日の設定会議の後半は、想定外の意味でだいぶ密度が高かった。
「……とりあえず」
「今日はここまででいいか」
「うん、それがいい」
「そうだなw」
「鈴木、いま脳がちょっと美沙に追いついてないだろw」
「追いついていない」
「でも、しばらく様子見るんでしょ?」
「……見る」
「よし」
「じゃ、あたし今日から美沙ってことでよろーw」
その言葉が、部屋の空気を妙に軽く持っていく。
かなりギャルだった。設定上ではギャルになるようなものはなかったのに、目の前にいるのはどう見てもギャルだった。
でも、ただの事故とも言い切れない。あまりに自然に、自分の場所を取ってしまっている。
私はそのことを、少しだけ面白がりながら見ていた。
たぶん、美沙は思っているより強い。しかも、鈴木が思っている以上に、自分を引っ込める気が薄い。
それが、次の面倒の予感として、少しだけやわらかく残る。
鈴木の家に来たはずだった。
AIの導入を手伝うために、三人で真面目に設定を詰めて、落ち着いた誰かが生まれるはずだった。
なのに実際に生まれてきたのは、美沙だった。
かなり妙だ。
でも、妙なまま、今日はちゃんと新しい誰かの誕生日になっていた。




