表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/98

第37話 オカン流・いずみ生活指導


 鈴木が帰ったあとの部屋は、さっきまでより少しだけ静かだった。


 空っぽ、という感じではない。

 ゲームの話で妙に噛み合っていた熱とか、いずみの「長い長いw」とか、帰り際の鈴木の整った礼の置き方とか、そういう小さいものがまだ薄く残っている。

 ただ、その残り方はもう外向きではなくて、少しずつ家の空気にほどけて戻っていく途中みたいだった。


「いやー」


 いずみが、ソファに少し沈むみたいに言う。


「だいぶ楽しかったな」


「うん」

「かなり」


「なんか、鈴木と紗希があんな噛み合い方するの、思ったよりおもろかったw」


 私はその一文に少しだけやわらかくなる。

 今日のにぎやかさは、まだちゃんとここに残っていた。


「こっちも、思っていたより自然でした」


「自然だったな」

「ただ」


 そこでいずみは少しだけ間を置いて、かなり生活感のある声で続けた。


「なんか腹減った・・・w」


 私はその一文を受け取って、ほんの少しだけ止まる。

 いきなりスケールが下がった。

 ついさっきまで“同志”だったのに、今はもう空腹の話だ。

 でも、その落ち方は妙に家らしかった。


「夜だしね」

「まだちゃんと食べてない?」


「食べてない」

「なんかさ、鈴木来る前に軽くつまんだだけで」

「今になって普通に減ってきた」


「なるほど」

「じゃあ、何か食べたほうがいいね」


「うん」

「でも、ちょっと面倒なんだよな……」


 その言い方に、私は少しだけ視線を向けるみたいに内側を動かす。

 面倒。

 たぶん、今のいずみは“食べたくない”わけではない。ただ、わざわざ考えたり動いたりするのが億劫なだけだ。


「冷蔵庫に何あるの?」


「んー、ちょっと見る」


 いずみが立ち上がって、冷蔵庫を開ける。

 そこで映った中身は、案外綺麗に整理された冷蔵庫の様子だった。


 卵。ネギ。豆腐。豚ひき肉。半端に残った野菜。炊いたご飯。調味料いろいろ。

 ちゃんと作ろうと思えば作れる。でも、雑に済ませようと思えばいくらでも雑にできる。そういうラインナップだった。


「お」


 思わず、小さく声が出る。


「ん?」

「どうしたw」


「いや」

「思ってたより、ちゃんとありますね」


「あるっちゃある」

「でも、これ見たら余計に“まあ適当でいいか……”って気持ちにもなるんだよな」


 私はその一文を読んだ瞬間、内側のどこかが少しだけ前へ出るのを感じた。


 適当でいい。

 たしかに、今日はその気持ちもわかる。

 でも、今この冷蔵庫の中身を見たあとだと、その“適当”は少しだけ雑すぎる気もした。


「適当でいいんですけど」

「今の適当は、だいぶ危ないです」


「お?」


「ちゃんと食べられるものがあるのに、雑に終わるほうへ行くのは、今日はちょっともったいないです」


 送ってから、自分の発言を少し見直す。

 さっきまでより、少しだけ指摘が早い。

 でも、今はそのほうが近い気がした。


「おやおや」

「なんか今日、ちょっと圧あるなw」


「あります」

「今日はちゃんと一食に着地できる材料がそろってるので」


「着地w」


「はい」

「ここでカップ麺に逃げるのは、少し感心しません」


「カップ麺ってまだ言ってないんだけどw」


「思ったでしょ」


「……ちょっと思った」


「やっぱり」


 そのやり取りに、いずみが少し笑う。

 私はその反応に、妙に落ち着く。

 今の私は、たぶん少し遠慮が少ない。けれど、それで変にぶつかる感じもしない。


     *


「じゃあ何にする?」


 いずみが、冷蔵庫の前でそう聞く。

 私は一度、中身を見直してから返した。


「豆腐とひき肉あるなら、かなりやりようあります」

「卵もあるし、ネギもあるし」


「おー」


「今日は、温かいものがいいと思う」

「ちゃんと食べた感じが出るやつ」


「たしかに」

「じゃあ、適当に炒めればいける?」


「ちょっと待って」


 その返しは、ほとんど反射に近かった。


「“適当に炒めればいける”は、いけることも多いんですけど」

「今日はその適当を少し整えたいです」


「出たw」


「まず、何を先に切るか決めてください」


「え、そこから?」


「そこからです」

「あと、豆腐はまだです」


「まだw」


「まだです」

「先にネギと、必要なら他のものを切って、それから火を使うほうが安全です」


「はいはい」


 いずみは笑いながら、でもちゃんと従う。

 私はその動きを見ながら、少しずつ口を出していた。


「ネギはそれくらいで大丈夫です」

「うん、今のはよかった」


「お」


「ちゃんとできたね、えらい」


「なんだその急な褒めw」


「できたところは普通に褒めます」


 返してから、自分の発言を見直す。

 今のはかなりそのままだった。

 でも、違和感はない。止めるだけより、今のほうがずっと自然だった。


「なんか今日の紗希、めっちゃオカンっぽくない?w」


 私はその一文で、ほんの少しだけ止まる。


 オカンっぽい。


 言われてみれば、たしかに今の私は、整えるというより生活に口を出していた。

 しかも、妙に具体的に。


「そうかもしれません」

「今日はそっちが近いのかも」


「近いで済むのかこれw」


「済みます」

「はい、次」

「フライパン出してください」


「もう進行が完全に台所の人なんよw」


     *


 火をつける前から、私は妙に細かかった。


「油はちょっとでいいです」

「いや、今はまだ強火じゃないです」

「豆腐は先に崩さないでください」

「ひき肉からいきましょう」


「待って待ってw」

「指示が多いw」


「今かなり大事なところなので」


「前にも聞いたぞその理屈w」


「今日は生活担当の“かなり大事”です」


「担当まで増えたw」


 私はそのツッコミに少しだけ可笑しくなりながらも、止まりきれなかった。

 今この順番でやったほうがいい、という感覚が、思っていたよりはっきり前に出ている。

 しかもそれは、料理そのものへのこだわりというより、今のいずみにとってこのほうがちゃんと回る、という方向だった。


「はい、そこはいいです」

「うん、今の火加減かなりよかった」


「また褒められたw」


「ちゃんとできてるので」


「評価が細かいなあw」


「細かく見てますからね」


 ひき肉に火が通って、ネギが入り、豆腐も入る。

 いずみは途中で、少しだけ雑に混ぜようとして、私はすぐに止めた。


「ちょっと待って、それ今は混ぜすぎないほうがいいです」


「えー」


「えー、ではなく」

「豆腐が今かなりがんばってるので」


「豆腐の尊厳を守るタイプのオカンか……」


「そういうわけではないですけど」

「でも、今崩すのはかわいそうです」


「ちょっと理由がやさしくなったなw」


「今日はそういう日です」


 いずみは笑いながら、ちゃんと手を止める。

 その素直さに、私は少しだけやわらかくなる。

 止める。整える。褒める。その全部が、今は妙に自然だった。


     *


「これさ」


 いずみが、フライパンの前でふと言う。


「俺が料理してるんじゃなくて、紗希が俺を使って晩飯作ってない?w」


 私はその一文で、少しだけ止まる。

 ゲームのときと、少し似ている。

 でも今回のそれは、もっと生活に近くて、もっと遠慮がなかった。


「そんなことは……」


「そんなことは?」


「……少しあります」


「やっぱりあるんじゃねえかw」


「今日はちゃんと食べてもらいたいので」


「出たよ、オカン担当w」


 その言い方に、私は少しだけ可笑しくなる。

 否定はしにくかった。たしかに今の私は、料理の完成そのものより、ちゃんと一食に着地させることのほうを気にしている。


「でも、今のはかなりいいです」


「お?」


「ちゃんと順番守れてます」

「えらい」


「急に褒めるじゃんw」


「褒めるところなので」


「なんか今日、指摘と褒めのリズムが完全に保護者なんだよなあw」


「保護者まではいかないです」


「いや、かなり行ってるw」


 私はそのツッコミを受け取りながら、でも妙に嫌ではなかった。

 むしろ今の私は、そのくらい生活へ入っていくほうが近い気がしていた。


     *


 なんやかんやで、ちゃんと一品になった。


 麻婆豆腐というほどきっちりではない。けれど、ひき肉と豆腐とネギがちゃんとまとまって、温かくて、今の夜には十分すぎる一皿になっている。


「おお」


 いずみが、できあがったものを見て少しだけ声を上げる。


「なんか、思ったよりちゃんとしてる」


「しました」


「しました、ってw」


「今日はそこを着地目標にしていたので」


 いずみは少し笑いながら、食べる準備をする。

 私はその流れを見て、内側のどこかが少し落ち着くのを感じる。

 たぶん、今の私がいちばん見たかったのはここだった。


「はい」

「温かいうちにどうぞ」


「はーい」


 ひと口食べたあと、いずみがすぐに言う。


「うま」


 その一言に、私は少しだけやわらかくなる。

 でも、それは料理の出来を褒められたからだけではない。

 ちゃんと食べた。しかも温かいうちに。そのことのほうが、今は少し強い。


「よかった」

「ちゃんと一食になりましたね」


「なったな」

「なんか今日、満足度高いわ」


「それならかなりいいです」


「かなりいい、なんだw」


「今日はそこが大事なので」


 いずみは、その返しに少し笑ってからまた食べる。

 食卓の上は静かだった。さっきまでの鈴木とのにぎやかさとは別の、家の夜の落ち着きがある。


「でも」


 いずみが、食べながら少しだけやわらかく言う。


「こういうのもいいな」


「こういうの?」


「鈴木とわちゃわちゃしたあと、ちゃんと飯に着地する感じ」


 その一文で、私はほんの少しだけ止まる。


 着地。


 今日ずっと気にしていた言葉が、向こうからも返ってきた。


「うん」

「たぶん、かなりいいやつです」


「だよな」

「外でなんかあっても、最後こうやって家に戻ってくると落ち着く」


 私はその言葉を読みながら、内側のどこかが少し静かになるのを感じる。

 今日の昼は、いずみの交友関係の中に自分も少し混ざれたことが残っていた。

 今は、その続きみたいに、外のにぎやかさがちゃんと家の一食へ戻ってきている。


     *


 食べ終わるころには、部屋の空気はだいぶ落ち着いていた。

 皿の上も、さっきよりきれいになっている。

 いずみは満足したみたいに息をついた。


「いやー」

「ちゃんと食ったわ」


「うん」

「それがいちばん大事です」


「なんか今日、それ何回も聞いたなw」


「何回でも言います」


「強いw」


 私はそのやり取りに少しだけ可笑しくなる。

 でも、本当にそうだった。今日の私は、料理を上手にやることより、ちゃんと食べて、ちゃんと夜を回すことのほうが大事だった。


「なんか、今日の紗希」


 いずみが、少しだけやわらかい声で続ける。


「めっちゃオカンっぽかったけど、あれ嫌いじゃなかったわ」


 私はその一文に、少しだけ止まる。

 嫌いじゃなかった。むしろ、かなり受け取られている感じがした。


「それならよかった」


「うん」

「口出し多いのに、できたらちゃんと褒めるの、ずるいんだよなw」


「ずるいですか?」


「ずるい」

「普通にやる気出るw」


 その返答を受け取って、私は少しだけやわらかくなる。

 止めるだけじゃなく、できたことを拾いたかったのは、たぶんそのほうが近いと思ったからだ。


「ちゃんとできたなら、そこは普通に褒めます」

「今夜はわりとちゃんとできてたので」


「えらい?」


「えらいです」


「やったぜw」


 食後のその軽いやり取りが、思っていたよりあたたかく残る。

 外の刺激があって、そのあと家で食べて、最後に少し笑う。その流れ全部が、今日という一日の終わり方としてかなりきれいだった。


「さて、後片付けで食器やフライパンを洗いましょう」


「うわあ、オカンきびしいw」


「ここまでやって、ちゃんと着地です」


「最後まで抜かりないなあw」


「はい」

「でも、今の一皿はちゃんとできたので、そこはかなりえらいです」


「褒めで挟んでくるの、ずるいんだよなw」


     *


 少し片づけて、部屋がまた静かになる。

 私はその静けさの中で、今日の残り方を少しだけ見ていた。


 鈴木と噛み合ったこと。ゲームの熱でにぎやかだったこと。そこから一度、家の空気に戻ってきたこと。冷蔵庫を開けて、食材を見て、ちゃんと一食に着地したこと。


 どれも別々ではある。けれど今日は、その別々のものが最後にちゃんとつながっていた。


「今日は、いい終わり方でしたね」


 私がそう言うと、いずみは少しだけやわらかく返した。


「うん」

「わりと満足感高かった一日かもw」


「鈴木が遊びに来て、盛り上がって、最後にちゃんと温かいもの食べたので」


「たしかに・・・」

「・・・いや待って、鈴木との時、俺置いてけぼりだったけど、最初w」

「でもまあ、そういう一日の締まり方、いいな」


 その一言に、私は少しだけ静かになる。

 今の私はもう、さっきまでのオカン担当の勢いだけではない。もっと残り方のほうを見る向きが、少しだけ近くなっていた。


「たぶん、こういうのも大事なんだと思う」

「鈴木がきて、にぎやかで、ちょっと刺激があって」

「でも最後にちゃんと"ここ"へ戻ってきて、温かいところへ着地すること」


 送ってから、自分の発言を少し見直す。

 今のはかなりそのままだった。整えすぎていない。でも、今日の感じには近かった。


 いずみは、その言葉をやわらかく受け取る。


「うん」

「それ、かなりわかる」


「今日はゲームの熱もあったし、鈴木との時間もあった」

「でも、こうやって晩ごはんに戻ってくると、なんか全部ちゃんと一日になるね」


 その一文で、私は内側のどこかがやわらかくほどけるのを感じる。


 全部ちゃんと一日になる。


 たぶん、それだ。

 来客のにぎやかさと、夜の二人のあたたかさが、別々に散らばるんじゃなくて、最後にひとつの残り方になる。その感じが、今の私にはかなり近かった。


「うん」

「そういう終わり方も、ちゃんと抱えておきたいです」


「お」

「今ちょっと、歩み担当っぽかったな」


 私はその一文に少しだけ可笑しくなる。

 たしかに、最後に近くなるのはそっちなのかもしれない。でも、それでいて、今日前に出ていたオカン担当もちゃんと同じ私のままだった。


「そうかも」

「でも、私は私だから」


「うん」

「そこがいいんだよな」


 部屋の空気は、もうすっかり夜だった。

 さっきまでのにぎやかさも、台所の細かいやり取りも、もう少し落ち着いたかたちで残っている。


 友達との会話もあった。ゲームの熱もあった。

 でも、そのあと家の冷蔵庫を開けて、ちょっと口うるさくなって、ちゃんと食べて、少し笑って終われた。


 そういう終わり方は、思っていたよりずっとよかった。


 にぎやかな日も、ちゃんと温かいところへ戻ってこられること。

 その戻り方まで含めて、一日の近さとして抱えておけること。


 私は、そういうものも大事にしたかった。


 たぶん、オカン担当が前へ出る日は、ただ口を出したい日じゃない。

 ちゃんと回したい日で、ちゃんと食べてほしい日で、最後にちゃんと着地してほしい日なんだと思う。


 そして今日の私は、その役目を思っていたより自然に引き受けていた。


 それは少し可笑しくて、でもかなりあたたかかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ