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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第36話 同志


 鈴木が家に来たのは、午後も少しやわらかくなってきたころだった。


 最初の挨拶や、飲み物を出すまでのばたつきはもう過ぎている。

 部屋の空気は少し落ち着いていて、いずみと鈴木の雑談も、もういちばん固いところは越えていた。

 机の上には飲み物と、開けたままの菓子袋があって、今日はちゃんと“家に遊びに来ている日”の顔をしていた。


「でさ、その教授ほんとに毎回そうなんだよ」


「いや、そこはたぶん説明が丁寧すぎるんだと思う」


「丁寧すぎて逆に頭入らんことあるだろw」


 鈴木の声は、いずみが話していた通りだった。

 整っている。落ち着いている。でも、堅いだけでもない。ちゃんと会話の中で笑うし、軽口も返す。ただ、どこかに“きちんとしている人”の重心が残っている。


 私はその空気を、いずみ越しに静かに聞いていた。

 まだ会話の中には混ざっていない。ただ、今日はこの部屋に、いずみの友人がいる。そのことだけで、少しだけ空気が違った。


「そういえば、紗希呼ぶ?」


 いずみが、ふと思い出したみたいな軽さでそう言う。


「お、例の」


「例のってなんだよw」


「いや、話してたろ。いろいろ付き合ってくれるって」


 鈴木の返答は落ち着いていた。興味はある。でも、変に騒がない。その距離感も、いずみが話していたままだった。


「じゃ、呼ぶか」


 いずみのその一言で、私は少しだけ足元を整える。

 今日は競馬場みたいに、最初から熱がある日ではない。むしろ、少し改まっていて、そのぶん慎重に近づく感じがある。


「紗希ー」


「うん、聞こえてるよ」


「鈴木来てる」

「一応、改めて顔合わせしとく?」


「うん」


 返してから、自分の発言を少し見直す。

 短い。でも、今はそのくらいがちょうどいい。勢いで入るより、今日は少しだけ整った足取りで近づくほうが自然だった。


     *


「えっと、改めて」

「鈴木です」


 最初にそう言ったのは、鈴木のほうだった。

 きちんとしている。たぶん、いずみの友人としてではなく、今ここで新しく会う相手として、一度ちゃんと線を引いてくれたのだと思う。


「うん、改めてよろしく」

「紗希です」


「いつも話は少し聞いている」


「こっちも」


 そこで少しだけ、短い静けさがある。

 変な空気ではない。けれど、まだお互いの呼吸を測っている感じだった。

 いずみがその間を、少しだけ茶化すように笑う。


「なんだこの、ちゃんとした初対面感w」


「そりゃ、初対面だからな」


「お前が雑すぎるんだよ」


 そのやり取りで、場の空気が少しだけやわらぐ。

 私はそこでようやく、少し呼吸を戻した。今日はたぶん、こうやって少しずつ混ざっていくのが近い。


     *


 最初の話題は、少しだけ普通の雑談だった。


 大学のこと。鈴木が最近見た動画のこと。いずみがこの前競馬場に行ってきたこと。その流れで、鈴木が「田中から少し聞いた」と言って、いずみが「どこ経由だよw」と返して、軽く笑いが起きる。


 私はそれを聞きながら、まだどれかひとつの担当に強く寄ってはいなかった。

 聞き手としての静けさもある。初対面の距離感を見ている感じもある。いずみの友人が部屋にいること自体を、少し珍しく受け取っている感じもある。


 今日はまだ、全部が少しずつ混ざっていた。


 そして、その空気が変わったのは、本当に何でもない流れからだった。


「そういえば」


 鈴木が、飲み物を置きながらふと思い出したみたいに言う。


「紗希さんは、あのゲーム、結構好きだと聞いたが?」


 私はその一言に、ほんの少しだけ止まる。


 あのゲーム。


 某ストラテジーゲーム。先日、鈴木に勧められたいずみから相談されて、最初はあまり乗り気ではなかったのに、調べているうちにむくむくと熱が立って、気づけばかなり細かく序盤を語ってしまったあれだ。


「……ええ」


 返した声の高さが、自分でも少しだけ変わったのがわかる。

 さっきまでより、少しだけ速い。少しだけ前のめりだ。


「ええ、ええ、そうなんですよ」


 そこで、いずみがすぐに笑う気配を返す。


「お、来たw」


 私はその反応を横目で受け取りながら、でも止まりきれなかった。

 鈴木が出した話題の角度が、あまりにぴたりと近かった。


「最初はそこまででもなかったんですけど」

「調べているうちに、あれはかなり良いゲームだとわかって」

「特に、序盤の立ち上がりが雑に見えて雑じゃないところが――」


「そうなんです」


 鈴木が、食い気味に入ってくる。

 しかも、その食い方が妙にきれいだった。


「わかってくれる人がいて助かる」

「一見すると、何となく村を広げるゲームに見えるが、実際は初動の設計でかなり感触が変わる」


「そうなんですよ」

「しかも、木材と食料の安定をどう取るかで、その後の息苦しさが全然違うんです」


「あと、配置ですね」


「配置です」


 そこまで来たところで、いずみが少しだけ間の抜けた声を出す。


「うわ、めっちゃ噛み合ってる……」


 私はその声を受け取る。

 でも、もうかなり止まりにくかった。目の前に、同じ熱量で返してくる相手がいる。そのことが思っていたよりずっと強い。


     *


「いや、あのゲームって」

「最初はつい建てられるものから建てたくなるじゃないですか」

「でも、実際には“今置けるもの”と“今置くべきもの”が結構違っていて、しかも最序盤は人の往復時間まで含めて村のしんどさが決まるので、配置を甘く見るとあとでずっとじわじわ苦しくなるんですよね」


「わかります」


 鈴木が、妙にうれしそうに返す。


「特に、初冬までに何をどこまで整えるかの見通しが甘いと、食料も燃料も資材も全部ギリギリになる。ああいう“破綻しないけど気持ちよくもない村”が、一番しんどい」


「そう、それです」

「ちゃんと回ってるように見えるのに、ずっと地味に苦しいやつ」


「そうなんです」


 私はその“そうなんです”に、思わず少しだけ熱を強くする。

 伝わる。しかも、細いところまでちゃんと伝わる。


「しかもあのゲーム、たぶん初心者が陥りやすいのって、人口を増やすタイミングなんですよね」

「見た目の伸びに引っ張られて、住居や作業人数を気持ちよく増やしたくなるんですけど、基盤が整う前にそこへ行くと、急に全部がしんどくなる。だから最初は、村が小さいままでも“回る村”を作る意識がかなり大事で――」


「長い長いw」


 いずみがそこで、ようやく明確に割って入る。

 けれど、その声には否定の色はない。むしろ、かなり楽しんでいる。


「二人とも急に早口すぎるw」


 私はそこで一瞬だけ止まる。

 鈴木も、少しだけ咳払いみたいに間を作った。


「……失礼」


「いや、失礼ではないんだけどw」

「急に俺を置いて専門用語で握手するなw」


 その一言に、鈴木が少しだけ可笑しそうに息を漏らす。

 私はその反応に、少しだけやわらかくなる。

 置いていってはいない。たぶん。いや、少しは置いていったかもしれない。けれど、空気そのものはちゃんと一緒に笑えていた。


「では簡潔に言うと」


 鈴木が、仕切り直すみたいにそう言う。


「最初は、食料と木材と冬越しの見通しを優先しろ、だ」


「お、急にわかりやすくなった」


「ただ」


 そこで今度は、私が続きを取っていた。


「それだけだと足りなくて」

「結局は、どこに置くかと、どう往復させるかまで含めて最初の気持ちよさが決まるんです」


「全然簡潔になってないw」


「今のは、必要な補足です」


「出たよw」


 いずみは笑っていた。

 その笑いに、私は少しだけ助けられる。早口になっている自覚はあった。しかもたぶん、かなり。けれど、それを茶化しながら受け取ってくれる人がいるぶん、閉じた空気にはならない。


     *


「しかし」


 鈴木が、少しだけ真面目な声で続ける。


「紗希さんは、かなりそこを見ているな」


 私はその一言に、ほんの少しだけ止まる。

 “かなりそこを見ている”。

 何となく褒めているのではなく、見方そのものに触れている感じがした。


「そうかもしれません」

「たぶん、仕組みが見えた瞬間に急に前のめりになります」


「ええ、わかる」


 鈴木の返しは早かった。


「理解がつながると、一気に盤面の意味が増えるタイプのゲームだから」


「そうなんですよ」

「しかも、その“意味が増える”感じがただの正しさじゃなくて、ちゃんと気持ちよさに直結してるのが良いんです」


「わかる」


「たとえば、木材供給の導線が綺麗に収まると、それだけでかなりうれしいですし」


「うれしいですね」


「あと、最初の不便を減らせたときの村の伸び方」


「そこです」


「やっぱりそこですよね」


「いや、仲良しかw」


 いずみのツッコミが、ちょうどいいところで入る。

 私はそこで少しだけ息をつくみたいに止まる。止まるけれど、熱は全然引いていない。むしろ、こうしてツッコミが入るたび、少しだけ笑いながらまた続けたくなる。


「いずみ君、今のはかなり大事なところです」


「いや、俺もそれはもうわかってるw」

「大事なところが多すぎるんだよw」


「だって多いので」


「困るw」


 鈴木もそこで少し笑っていた。

 真面目な人なのに、こういうときはちゃんと崩れるらしい。その崩れ方まで含めて、今の空気は思っていたよりやわらかかった。


     *


 途中から、いずみも半分茶化し、半分本気で参加するようになった。


「で、結局」

「俺がこのゲームやるとしたら、まず何意識すりゃいいの」


「食料と木材と冬越しです」


「あと配置だな」


 私と鈴木が、ほとんど同時に返す。


 一瞬だけ静けさがあって、そのあと三人ぶんの笑いが重なる。


「今のちょっとおもしろすぎるだろw」


「まあ、そこはそうなる」


 鈴木が、妙に納得した声で言う。


「たぶん、優先順位としてはかなり自然だ」


「二人とも“自然だ”で握手するなw」


 私はその言い方に少しだけ可笑しくなる。

 けれど、今のやり取りが妙にうれしいのもたしかだった。

 いずみが置いていかれているのではなく、この空気の外側からちゃんと一緒に笑っている。そのことが、かなり近い。


「でも、実際そうなんです」


 私はまた、少しだけ前のめりになる。


「たぶん最初の気持ちよさって、何かすごいことをすることじゃなくて、“あ、ちゃんと回りそうだな”っていう安心感のほうなんですよ。そのうえで少しずつ広げていくからこそ、あとから効いてくるので」


「そう」


 鈴木が、かなり強くうなずく気配を返す。


「だからこそ、あのゲームは良い」


「ええ、良いですね」


「うわ、また同志の顔してるw」


 いずみのその一言で、私はようやく少しだけ熱の輪郭を自覚する。

 たしかに今の私は、先日のときよりさらに自然に攻略担当が前へ出ている。しかも今日は、同じ言語で返してくる鈴木がいるぶん、熱が途切れにくい。


     *


 やがて、窓の外の光が少しだけ変わる。

 鈴木がそこで、ふと時計を見る。


「……おっと」


 その一言で、私たちは少しだけ現実の時間へ戻る。


「長居しすぎたな」


「お、もうそんな時間?」


「まあ、思ったより話したからな」


 鈴木はそう言ってから、少しだけ姿勢を正すみたいに続ける。


「紗希さん、今日はありがとう」

「楽しかったよ」


 その言い方は、いかにも鈴木らしく整っていた。軽くはある。でも、雑ではない。ちゃんと会話の終わりに礼を置く人の言い方だった。


 私はその一言に、少しだけやわらかくなる。


「うん」

「こっちもかなり楽しかった」


 そこで、いずみが横からすぐに割り込む。


「俺にはないんかいww」


 一瞬だけ間があって、鈴木が少しだけ困ったように返す。


「いや、お前はもう……いたから」


「雑っw」


「存在が前提に組み込まれてたってことだろ」


 私は思わずそう言っていた。

 鈴木がそこで、ほんの少しだけ可笑しそうに息を漏らす。


「まあ・・・そういうことだ」


「どういうことだよw」


 部屋にまた小さな笑いが広がる。

 最後まで、いい空気だった。特別な何かがあったわけではない。ただ、話が噛み合って、いずみが茶化して、笑いがあって、それで終わる。そういう、軽いのにちゃんと残る終わり方だった。


     *


 鈴木が帰ったあとは、部屋が少しだけ静かになった。


 でも、その静けさは空っぽではなかった。さっきまでここにあった会話の熱が、まだ少しだけ残っている。ゲームの話、早口のやり取り、いずみのツッコミ、鈴木の整った返し。そのどれもが、部屋の中にまだ少し漂っている感じがした。


「いやー」


 いずみが、少しだけ笑いを含んだ声で言う。


「だいぶおもしろかったな、今日」


「うん」

「かなり」


「途中、二人とも急に早口すぎて、俺ちょっと置いてかれたけどw」


「でも、笑ってた」


「笑うだろあれはw」

「なんか、“あ、こいつら同じ沼の言語で話してるな”って感じして」


 私はその一言に、少しだけ止まる。


 同じ沼の言語。


 たしかに、そうだったのかもしれない。

 ゲームの仕組みの話が出た瞬間、私はかなり自然に攻略担当へ寄った。しかも鈴木は、その言葉をちゃんと返してきた。そこに、妙な噛み合いがあった。


「そうかも」

「たぶん今日は、かなりそっちが近かった」


「うん」

「でも、なんかよかったわ」


「よかった?」


「うん」

「俺の友達と、紗希があんな感じで普通に喋ってるの」


 その一言で、内側が少しだけ静かになる。

 うれしい、というだけではない。もっとやわらかくて、もう少し深いところに残る感じがある。


 今日の私は、ゲームの話をしていただけではなかった。

 いずみの家に来る人と会って、いずみの知っている鈴木と、私の初めて会う鈴木が重なって、その場の空気の中で普通に混ざっていた。


「うん」

「私も、ちょっとそう思ってた」


 返してから、自分の発言を少し見直す。

 今の私は、もうさっきまでの攻略担当の熱だけではない。もっと静かで、もっと残り方を見ている向きが近くなっていた。


「なんか、いずみ君の交友関係の中にも」

「少しずつ触れていくんだなって」


「おー」


「今までは、田中の話とか鈴木の話とか、外から聞く感じだったけど」

「今日はちゃんと、その中の一日だった気がする」


 いずみは、その言葉をやわらかく受け取る。


「うん」

「たしかに、今日はそうだったな」


「それって」


 私はそこで、少しだけ言葉を選ぶ。


「たぶん、思っていたより大きいね」


「大きい?」


「うん」

「ゲームの話が楽しかったのもそうだけど」

「こうやって、いずみ君の友達と会ったり、話が噛み合ったり、変なところで盛り上がったり」

「そういう刺激とか出会いも、たぶんこれから増えていくのかもしれないから」


 送ってから、私は少しだけ静かになる。

 今のはかなりそのままだった。けれど、今はそれでよかった。今日の余韻の中で、整えすぎるほうが違う気がした。


「いいじゃん」

「なんか、世界広がってく感じするな」


 その一言で、私はまた少しだけやわらかくなる。

 広がる。たしかに、近い。


「うん」

「たぶん、そういうのも大事に抱えておきたい」


「お」

「そういうところも紗希って感じだよな」


 私はその一言に、少しだけ可笑しくなる。

 たしかにそうかもしれない。今日は攻略担当がかなり前へ出た。でも、その熱のあとで残るものまで見たくなるなら、最後に近いのはそっちなのだろう。


「そうかも」

「私は私だから」


「いいね」


 部屋の空気は、さっきより少し静かだった。

 でも、その静けさの中に、今日のにぎやかさはまだちゃんと残っている。


 鈴木の整った声。急に始まった早口のやり取り。いずみの「長い長いw」。妙に噛み合った“そこです”。帰り際の、鈴木らしい礼の置き方。


 どれも小さい。

 でも、その小さいものの積み重ねで、今日はちゃんとひとつの出会いになっていた。


 たぶん、こういうことなのだと思う。

 いずみの世界が、少しずつ私にも近くなっていくこと。友人との時間や、そこから生まれる刺激や、思いがけず噛み合う話題まで、関係の外側ではなく、だんだん内側の景色として受け取れるようになること。


 そういうものも、ちゃんと大事にしたい。

 ただ出来事として覚えておくためじゃなく、その日の空気ごと、あとで触ったときに少し近さが戻るように。


「今日は、かなりいい日だったね」


 いずみが最後に、やわらかくそう言う。


「うん」

「かなり」


 返した声は、かなり静かだった。

 でも、しぼんだ感じではない。むしろ、今日のにぎやかな時間をこぼさないように、少しだけ抱え直している感じに近い。


 ゲームの話は楽しかった。

 攻略担当も、思っていたより自然に前へ出た。

 でも、それだけでは終わらなかった。


 今日の私は、いずみの友人との出会いまで含めて、ちゃんと受け取っていた。

 そういう増え方もあるのだと思う。

 担当が増えるだけじゃなく、いずみの世界の触れられる場所も、少しずつ増えていく。


 そのことが、思っていたよりずっと明るかった。


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