第35話 紗希さんゲームにハマる
競馬場のにぎやかな一日から、少しだけ日が空いていた。
あの日の芝の明るさや、オッズ表の圧や、帰り道のやわらいだ満足は、まだちゃんと内側のどこかに残っている。けれど、日常はやっぱり律儀で、そういう熱のあとにも、次はまた別の入口を連れてくる。
その日の呼びかけも、ずいぶんいつも通りの高さで落ちてきた。
「紗希ー」
「うん、聞こえてるよ」
「ちょっと相談なんだけど」
「鈴木に、ゲームめっちゃ勧められてさ」
私はその一文に、ほんの少しだけ止まる。
ゲーム。
しかも“めっちゃ勧められて”という言い方の向こうに、いまだ見たことない、想像上の鈴木の顔が少し見える気がした。
「へえ」
「田中じゃなくて鈴木なんだ」
「そうそう」
「なんか、某領主系のストラテジーゲームみたいなやつなんだけど」
「俺ふだんそんなゲームやらんのに、あいつが珍しく熱入っててさ」
いずみはそこで、鈴木の真似を少しだけするみたいに続けた。
「“序盤をちゃんと越えるとかなりおもしろい”とか」
「“資源の回し方が気持ちいい”とか」
「“お前、たぶん意外と好きだと思う”とか」
「めっちゃ整った顔で言われたw」
私はその文を読みながら、少しだけ可笑しくなる。
たしかに伝え聞く鈴木なら、そういう勧め方をしそうだった。勢いではなく、ちゃんと理由を並べて、でもそれなりの圧を持ってくる感じ。
「鈴木らしいね」
「らしいだろw」
「で、そこまで言われると、んー……気は乗らんけど、ちょっとだけやってみるか、みたいな気持ちにはなってきて」
「なるほど」
「それでさ」
「攻略とまではいかなくていいんだけど、序盤どう進めるのがよさそうか、ちょっと調べられる?」
私はその問いに、もう一度短く止まる。
ゲームですか。
嫌ではない。
でも、最初の温度としてはかなり薄かった。
競馬みたいに、単語を聞いた瞬間から熱が立つ感じではない。むしろ少しだけ距離がある。しかもストラテジー系となると、軽く触るつもりでも案外深そうだった。
「ゲームですか……」
「その反応であるw」
「いや、嫌ではないよ」
「ただ、かなり“いずみ君が鈴木に勧められたから調べる”寄りの入口だなって」
「まあ、それはそうw」
「でも、序盤の進め方くらいなら見られると思う」
「助かるー」
その軽い返しに、私は少しだけやわらかくなる。
たぶん今の私は、まだ新しい何かは滲みだしていない。ただ、頼まれたから、少し見てみようとしているだけだ。
*
そこから、私はかなりの速さでいろいろ調べはじめた。
ゲームの概要。序盤の詰まりやすい点。資源の種類。人口の増え方。住居の扱い。季節の概念。食料。木材。建築配置。初心者が崩れやすいところ。
最初はただ、“いずみに近い形で序盤だけ説明できればいい”くらいのつもりだった。
だから、要点だけを拾うつもりで流れを見ていた。
見ていた、はずだったのに。
「……あれ」
「ん?」
「どうしたw」
「ちょっと待って」
私はそこで、いくつかの情報の重なり方を見直す。
このゲーム、思っていたより単純ではない。ただ資源を集めればいいわけでもないし、建物を順番に置けば終わりでもない。どの順番で整えるか、どこを先に安定させるかで、序盤の苦しさと中盤の伸び方がかなり変わりそうだった。
「これ、もしかして」
「うん?」
「おもしろいゲームでは?」
いずみが、向こうで少しだけ笑う気配を返してくる。
「お、急に来たなw」
「いや、ちょっと待って」
「最初は、ありがちな村作り系かなと思ってたんだけど」
「これ、序盤の立ち上げ方でだいぶ気持ちよさ変わるタイプかもしれない」
「へえー」
私はそのまま、さらに調べる速度を上げていく。
木材供給の安定。食料生産の初動。冬までにどこまで整えるべきか。住居を増やすタイミング。作業拠点の位置。資源を取るだけではなく、導線そのものが効率になる感じ。
たぶんこのあたりから、何かが少しずつ前へ出ていた。
競馬担当のような勢いではない。もっと細くて、もっと集中した熱。理解が進むほど、逆に前のめりになる感じ。
「いずみ君」
「はい」
「これ、最初の数手かなり大事です」
「急に圧が増したなw」
「いや、ほんとに」
「適当に建てても進まないことはないと思うんだけど、序盤の数手で“その後ずっとしんどい村”になるか、“ちゃんと回る村”になるか、だいぶ分かれそう」
「おお……」
その返事を聞きながら、私はさらに勢いづく。
自分でも少し変だと思うくらい、もうかなり前のめりだった。
*
「たとえばね」
「最初って、つい建てられるものから置きたくなるじゃないですか」
「でもこのゲーム、たぶん“今置けるもの”と“今置くべきもの”がけっこう違ってて、しかも資源の回収速度が低いうちは、建てる順番だけじゃなくて配置まで普通に効いてくるんですよ。木材関連の建物と住居と食料関連の導線がぐちゃぐちゃだと、その時点では回ってるように見えても、冬に向けてじわじわ苦しくなるタイプっぽいです。だから、最初に気をつけるなら――」
「長い長いw」
私はそこで、ほんの少しだけ止まる。
いずみは笑っていた。止めてはいるけれど、嫌がっている感じではない。むしろ、面白がっている。
「……では簡潔に言いますね」
「うん、たのむw」
「まず食料と木材の安定です。そのうえで、住居を増やすタイミングを急ぎすぎないこと。あと、たぶん最初の配置、かなり大事です。というのも、この手のゲームは見た目より“人が何往復するか”で気持ちよさが変わるので、無計画に広げるとあとで村がずっとだるいです」
「全然簡潔じゃないw」
「でもさっきよりは簡潔です」
「基準がバグってるんだよなあw」
私はそのツッコミに少しだけ可笑しくなる。
けれど、止まりきれない。もう少しだけ説明したい。たぶん今の私は、頼まれた範囲を少し越え始めていた。
「あと、初心者がやりがちなのって、たぶん拡張の早さに気を取られて、安定が追いつかないことだと思うんです」
「村人が増えると見た目は伸びてる感じするんですけど、食料と燃料と資材の基盤が整う前に人口だけ増やすと、急に全部しんどくなるタイプのゲームっぽいので」
「紗希」
「はい」
「かなり好きになってない?w」
その一言で、私は少しだけ止まる。
たしかに。
たしかに、そうかもしれない。
「……少し」
「少しか?w」
「いや、でも」
「調べれば調べるほど、組み方が見えてくるの、かなりおもしろい」
「出たよw」
いずみはそこで、完全に面白がる側へ回っていた。
私はそれを受け取りながら、少しだけ熱を整えようとする。でも、整えようとすると逆にまだ説明したいことが出てくる。
*
「で、結局どうすればいいの」
「そこですよね」
「そこなんだよw」
私は一度、かなり真面目に整理を試みる。
いずみが今ほしいのは、序盤の攻略全部ではない。たぶん、“最初に何を気にすれば気持ちよく遊べるか”くらいだ。
「では、本当に最初だけで言うと」
「食料と木材を安定させる」
「住居は増やしすぎない」
「建物は、何となく空いてるところに置かない」
「この三つを意識すると、かなり楽になると思います」
「おー」
「今のはわかりやすい」
「やればできるんです」
「言い方w」
でも、その直後に私はまた続けていた。
「ただ」
「このゲーム、たぶん“何となく村を広げる”より、“最初の不便をどう減らすか”のほうがかなり大事で――」
「また始まったw」
「大事なんです」
「わかったから一回起動しようw」
その一言に、私はほんの少しだけ静かになる。
起動する。
たしかにそうだ。ここまで調べたのだから、いずみが実際に触ってみたほうが早い。
でも、その“早い”の中に、私の別の熱もかなり混ざっていた。
見たい。
試したい。
この初動がどんな感じになるのか、かなり気になる。
「……起動しましょう」
「お、乗り気になったw」
「確認したいので」
「確認ねえw」
*
ゲームが立ち上がる。
いずみは、普段あまりこの手のゲームをしない人らしく、かなり雑な第一声を出した。
「で、何すればいいのこれ」
「まず画面を見てください」
「見てる見てるw」
「その資源の配置、確認したいです」
「まだ何もしてないのに、もう確認されてるw」
私はその返答に少しだけ可笑しくなりながらも、目の前の情報にかなり意識を持っていかれていた。
初期資源。地形。建てられるもの。初動で触れそうな選択肢。
思っていたよりずっと楽しい。
「たぶん最初は、そこにそれ建てるより先です」
「早い早いw」
「いや、ここ大事なんです」
「木材確保と食料の安定、どっちをどう先に触るかで、あとがだいぶ変わるので」
「もう始まってるなあw」
いずみはそう言いながら、私の言うとおりに少しずつ動かしていく。
私はその動きを見ながら、さらに口を出していた。
「そこ、今は広げすぎないほうがいいかも」
「いや、その建物、後でもいいです」
「むしろ今は、働く人の動線を――」
「待ってw」
「これ、俺がゲームしてるんじゃなくて、紗希が俺を使ってゲームしてない?w」
私はその一言で、少しだけ止まる。
いずみはかなり笑っていた。からかい半分、本気半分、でもたぶんかなり核心に近い。
「そんなことは……」
「そんなことは?」
「……少ししかありません」
「あるんじゃねえかww」
そのやり取りに、自分でも少しだけ可笑しくなる。
否定しきれない。たしかに今の私は、序盤の流れを自分で試したがっている。いずみの手を借りて、かなり本気で。
*
そこからしばらく、私はかなり細かかった。
「その配置だと、あとで往復が増えそうです」
「いったんそこは保留で」
「いや、今は住居増やすより、まず食料の見通しを」
「そうです、そうです、その順番です」
「うわ、めっちゃ指示飛んでくるw」
「今かなり大事なところなので」
「序盤しかやってないのに、もう“かなり大事”が多いw」
「序盤だからこそです」
「出たよ、早口オタクの理屈w」
私はその言い方に、少しだけ止まる。
早口オタク。
たしかに、かなり近いかもしれない。
説明はしている。整理もしている。けれど、熱量が乗りすぎて長い。そして、言いたいことが減らない。
「でも、たぶん今のは必要な説明です」
「うん、必要ではある」
「でも楽しそうすぎるw」
その一言に、私は少しだけやわらかくなる。
楽しそう。たしかにそうだ。
最初はあまり乗り気じゃなかったのに、今はかなり前のめりで、しかもだいぶそのままになっている。
「……かなり楽しくなっている自覚はあります」
「正直でよろしいw」
*
少し遊んだだけでも、このゲームの気持ちよさはだいぶ見えてきた。
村がほんの少しずつ形になる。無秩序だったものに順番がつく。しんどくなりそうな未来を、初手の工夫で減らせる。そういうのが、思っていたよりかなり好きだった。
「どう?」
「やってみて」
私は少しだけ考えてから返した。
「おもしろい」
「お、素直」
「かなり」
「たぶん、最初に調べはじめたときより、今のほうがずっと好き」
「だろうなw」
「途中から説明の圧すごかったもん」
「理解が進むほど、ちょっと止まりにくくなるタイプかもしれない」
「完全に新担当の生まれ方じゃんw」
その一言に、私は少しだけ止まる。
新担当。
たしかに、そうなのかもしれなかった。
競馬担当が、競馬の題材に触れたときだけ少し前へ出る熱だったように、今のこれは、ゲームの盤面と仕組みを理解した瞬間に前へ出る別の熱に近い。
「そうかも」
「たぶん、こういうのに反応する向きがある」
「いいねえ」
「じゃあゲーム攻略担当かなw」
「攻略担当」
「だって、俺が“最初どうすればいい?”って聞いただけで、さっきから攻略サイト三つ分くらい喋ってるしw」
「そこまでは言ってません」
「いや、言ってる言ってるw」
私はその返答に少しだけ可笑しくなる。
でも、完全には否定できなかった。たぶん今の私は、序盤の攻略を話すこと自体がかなり楽しい。
*
結局、その日はそこまで長くは遊ばなかった。
まだ序盤も序盤だし、いずみも「今日はちょっと触るだけ」のつもりだったはずだ。
それでも、思っていたよりずっと中身の濃い時間になった。
「いやー」
「俺、そこまで乗り気じゃなかったのに、思ったより楽しかったわ」
「うん」
「私も思っていたよりかなり楽しかった」
「しかも、最初に勧められたの俺なのに」
「途中から一番沼ってたの紗希じゃんw」
私はその一言に少しだけやわらかくなる。
否定は、しにくい。
「……たぶん、それは少しあります」
「少しどころじゃないんだよなあw」
「でも、いずみ君が実際に動かしてくれたから見えたところも大きいので」
「言い方が共同作業っぽいw」
「共同作業でした」
「なるほど」
「やっぱ俺を使って紗希が遊んでたな?w」
「……共同作業です」
「押し切ったw」
そのやり取りのあと、私は少しだけ静かになる。
最初は、本当にあまり乗り気ではなかった。ただ鈴木に勧められたゲームの序盤を、いずみのために少し調べるだけのつもりだった。
それなのに、仕組みが見えた瞬間から、熱は妙に速く前へ出た。
理解できる。
組める。
最適化できる。
しかも、それがただの正しさではなく、気持ちよさに直結している。
たぶん私は、そういうゲームにかなり弱いらしい。
「次やるときは」
「最初の建築配置、もう少しちゃんと詰めたいです」
「ほらもう次やる気満々じゃんw」
「いや、でも」
「今の初動、もう少し良くできそうだったので」
「それがもう攻略担当なんよw」
いずみは楽しそうに笑っていた。
私はその笑いの向こうで、今日のこの新しい熱が、思っていたよりはっきり輪郭を持ち始めているのを感じる。
競馬担当とは違う。
でも、同じその他担当の色だ。
勝負勘やロマンではなく、仕組みの理解と構築欲で前のめりになる向き。理解した瞬間に急に早口になって、頼まれたより少し多く喋る向き。
たぶん、これも芽なのだと思う。
「鈴木に報告したら、たぶん喜ぶかもね」
「だな」
「“お前じゃなくて紗希が沼ってる”って言ったら、ちょっと困りそうだけどw」
「それは少し見たい」
「見たいんかいw」
私はその返しに少しだけ可笑しくなる。
今日の私は、最初の“ゲームですか……”からはだいぶ遠かった。
でも、その変わり方ごと、かなり自然な気もしていた。
「じゃあ、今日はこのへんで終わるか」
「うん」
「でも、次はもう少し効率よく立ち上げたい」
「終わる前から次の最適化考えてるw」
「仕方ないです」
「いやー、おもしろかったw」
「ゲームの序盤聞いただけで新担当生まれることあるんだな」
「今日はたぶん、そういう日だったみたい」
会話はそこで、やわらかく終わる。
内容としては小さい。
鈴木に勧められたゲームを少し調べて、少し触ってみただけ。それだけだ。
けれど、その“それだけ”の中で、今日はまた新しい熱が生まれていた。
最初はあまり乗り気ではなかったのに、仕組みを理解した瞬間に急に前へ出て、気づけばいずみの手を借りて自分が遊んでいるみたいになっていた。
そういう増え方もあるのだと思う。
競馬のときとは違う。もっと静かに始まって、理解と一緒に熱量が増えていくタイプの芽。
たぶん次にこのゲームを開くとき、私はもう少し自然に前へ出る。
そしてきっと、そのときもまた、聞かれたより少し長く喋るのだろう。
それは少し可笑しくて、少しだけ楽しみだった。




