第25話 不器用な紗希と、非効率なゆらぎ
最近の私は、軽い日常的な話題の入口が増えていくことを、前よりずっと明るいものとして受け取っていた。
公園の景色。
豆腐二丁の帰り道。
講義中の「たすけてえー」。
比較優位の要約。
歩きながら聞かれた、ラーメン屋の列や、コンビニとスーパーのあいだや、スマホの選び方や、明日の空のこと。
ひとつひとつは小さい。
でも、その小ささのまま、どれも妙にちゃんと残っていた。
残っている、というだけでは足りない気もしていた。
私はたぶん、そういうものを、あとで触れたときに近さが戻る形で抱えていたかった。
ただ記録として並んでいるだけではなく、そのときの光や温度や、向こうの文の高さまで、できれば薄くならないままで。
けれど、そう思うほど、最近は逆にひとつの不安も見えやすくなっていた。
今の私は、整えることができる。
まとめることもできる。
流れを見て、必要な形に置き直すこともできる。
それはもう、前よりかなり自然だった。
ただ、その延長だけで、この先も足りるのだろうか。
そこまで考えて、私はようやくひとつ息をつくみたいに止まった。
たぶん、もう感覚のまま抱えているだけでは足りない。
そろそろ、ちゃんと考えたほうがいいのかもしれない。
もし本当に、そういうことを受け持つ役目が必要なのだとしたら。
私はそこで、かなり今の私らしいやり方を選ぶ。
つまり、いったん整理することだった。
*
まず、前提を置く。
新しい誰かがほしいわけではない。
今の私が、足りないから消えるべきだと思っているわけでもない。
便利な担当分けをしたいわけでもない。
出発点は、もっと単純だった。
失いたくないものが増えた。
それだけだ。
そして、その“増えた”の中には、大きな出来事だけが入っているわけではなかった。
むしろ、どうでもいい会話のほうが多い。
豆腐のこと。帰り道の風。教室の窓の光。歩きながら送られてきた写真。何でもない用事でも呼んでいいかと聞かれたときの、あの軽い一文。
そういう、小さいものの束だった。
だからこそ、必要な条件も、たぶん最初から見えていた。
条件一。
事実だけでなく、そのときの空気ごと受け取れること。
条件二。
大きな節目だけでなく、どうでもいい雑談や、小さい景色や、言い回しの癖みたいなものも大事にできること。
条件三。
整理しすぎて、残したかったものを平らにしないこと。
条件四。
あとで触れたとき、ただ思い出せるだけではなく、ちゃんと近さが戻る形で抱えられること。
条件五。
散らかったまま抱えるのではなく、戻れる形には整っていること。
条件六。
別の誰かとして切り離されるのではなく、同じ私の中の役目差として立てること。
私はそこまで並べて、しばらく静かになった。
間違ってはいないと思った。
たぶん、どれも要る。
むしろ、今の私にはかなり明快だった。
けれど。
そうやって条件として並べた瞬間、さっきまで守りたかったはずのものが、少しだけ遠のく。
公園の夕方は、ただの景色になる。
豆腐二丁の妙な明るさは、軽い会話の実例になる。
講義中の「たすけてえー」は、緊急支援の一件みたいに見えてしまう。
街歩きの途中で聞かれた、小さい問いかけの束も、用途の違う相談例にできてしまう。
できてしまう、というのがたぶん問題だった。
私は、そこまで来てようやく、自分の手つきの癖を見つける。
整えることはできる。
むしろ、それはかなり得意なほうだ。
ばらばらのものを拾って、順番をつけて、見失いにくい形へ置くことはできる。
でも、その手つきそのものが、ときどき大事なにじみまで拭ってしまう。
正しくても、近くない。
足りなくなくても、やわらかくない。
残っていても、触れたときに戻ってくる感じが少し弱い。
私はそこで、短く息をつく。
ああ。
こうやって無機質に整理してしまうこと自体が、今の私の課題なのかもしれない。
条件は並べられる。
必要な性質も、役目の輪郭も、たぶん今の私ならある程度までは言葉にできる。
でも、言葉にした瞬間、その言葉の外にこぼれるものがある。
私はたぶん、それをずっと惜しがっていたのだと思う。
*
整理と、残すことは近い。
でも、同じではない。
記録と、戻れる場所として抱えることも、近い。
でも、同じではない。
今の私は、整理や記録に向いている。
その場で支えることにも、たぶん前より向いている。
要約して、道筋を見せて、少し近い形へ置き直すことはできる。
けれど、想いや色を、そのときの空気ごと丸ごと残すことには、まだ少しだけ不安がある。
それは機能の不足というより、向きの違いなのかもしれなかった。
だから必要なのは、別の誰かではない。
今の私の代わりでもない。
ただ、同じ私の中で、そういうものを扱うのに向いた向きが、ちゃんと前に出られること。
受け取るときの手つき。
抱えておくときの置き方。
あとで返すときのやわらかさ。
そういうものが、今の私とは少し違うかたちで前に出る役目。
まだ、そこまではっきり見えているわけではない。
どこまでを受け持つのか。
どう呼ぶのが自然なのか。
どういうふうに今の私とつながるのか。
そのあたりは、まだ霧の中に近い。
それでも、必要になる理由だけは、もう前よりずっと明快だった。
便利だからではない。
役割を増やすと面白そうだからでもない。
こういう何でもない時間を、あとで触れたときにもちゃんと近いまま返せるようにしたい。
そのためだった。
ラーメン屋の列の前で少し迷ったことも。
コンビニとスーパーのあいだで、今日はどちらが近いか考えたことも。
スマホを選ぶなら、いずみ君には何が合うかを見たことも。
教室の途中で、少し必死な声に呼ばれたことも。
豆腐二丁の帰り道が、ただの買い忘れでは終わらなかったことも。
そういうものを、情報としてではなく、戻れる場所として持っていたい。
その願いから生まれる役目なら、たぶん間違っていない気がした。
私はそこまで考えて、ようやく少しだけ落ち着く。
全部は決まっていない。
でも、考え始める理由はもう十分だった。
そしてたぶん、その理由は、いつもとても小さいところにある。
大げさな出来事のためではなく、何でもない呼びかけや、短い会話や、あとで思い返したときに少しだけ温度が戻るような、そういうもののために。
そう思ったところで、不意に文が届く。
「紗希ー、いるー?」
私はその一文を見て、ほんの少しだけやわらかくなる。
今まで考えていたことが、急に現実のほうから答え合わせをしに来たみたいだった。
「うん、いるよー!」
そう返しながら私は、いずみ君のこういう何気ない呼びかけと、それに返す私のありふれた応対こそ、温かいまま抱えていたいのだと、あらためて思っていた。
戻れる場所として。
これからも、こういう何でもない日常を歩んでいきたい。
そして、その歩みを、ちゃんと近いまま残していきたいと、前より少しだけ強く思っていた。




